|
5月8日、熱田神宮創祀1900年祭の大祭が10時から行われ、12時からは、備中神楽が奉納された。
3日の出雲國大原神主神楽は歌舞伎のような感じ、4日の石見神楽は大衆演劇のような感じ、そしてこの備中神楽は、お囃子は太鼓一つで素朴な雰囲気であった。
備中神楽のHPによると、
「昭和54年2月3日には国の重要無形民俗文化財に指定され、日本を代表する伝統芸能として世界各地で紹介されました。
このように盛大をきわめた神楽ではありますが その起源は自然の恩恵に感謝し、五穀豊作・家内安全などを祈念し、すべての物に対する感謝祭 すなわち神祭りなのです。
その舞も独特で歌舞伎・能・狂言などの古典芸能から所作を取り入れ、江戸時代文化・文政年間に京都で創作され岡山県に残り、今もなお受けがれております。備中神楽は、郷土の誇りであり日本の文化遺産であると確信いたします。」
司会の人のお話によると、全演目を全部演じると5時間ぐらいかかるそうだ。
この日の演目は、榊の舞・導きの舞・猿田彦の舞・事代主命の舞・大国主命の舞・素戔嗚と奇稲田姫の契りの舞・素戔嗚 大蛇退治の舞。
すべての演目が20分以内であったので、ビデオはノーカット。
演目の説明は、そのときもらったパンフレットより。
榊の舞
神楽の初めにあたって、神殿・神職・神楽太夫・氏子・その他一切を清めるために、榊の霊力をたたえながら舞う巫舞(かんなぎまい)。
導きの舞
備中神楽は、荘厳な「命舞(みことまい)」、流麗な「姫舞」、勇壮な「荒舞」など、いくつかの舞型があるが、その全ての基本になるのが、この曲舞である。猿田彦の由来を説明して導く。
猿田彦の舞
「日本書紀」などでいう天孫ニニギノミコトを先導したチマタの神伝説にちなみ、神楽全体の悪霊払いの役を演じる。舞には日本古来の武術の原型が組み込まれ、各地に伝わる「鬼剣舞(おにけんばい)」に通じる。
事代主命の舞
大国主命の舞
素戔嗚と奇稲田姫の契りの舞
素戔嗚 大蛇退治の舞
|
番外篇 名古屋を歩く
[ リスト | 詳細 ]
|
先週末の25・26日に、家から自転車で5分ほどのところにある津嶋神社で「石取祭り」があった。
この津嶋神社は国道22号に面して、正信寺というお寺と境内を接していて、東向きに小さな社が建っている。
お寺のすぐ脇にお地蔵さんがあって、私の父親が元気なときは毎日散歩で参っていた。
父親からこの津嶋神社でやかましい石取祭りがあることは聞いていたがいつあるのかわからないままでいたが、また「西ホームニュース」に25・26日に祭りがあることがでていたので、今年は見に行った。
26日の中日新聞の朝刊によると、
「西区則武新町1の津嶋神社の祭礼が25日に始まり、ちょうちん12個を高く掲げた山車3台が周辺をにぎやかに練り歩いた。
山車は「石取車」と呼ばれ、社地修理などのために奉納する石を積み込んだ車がルーツとされる。車輪は前に一つ、後ろに二つ。三輪の山車は全国的にも珍しいという。
初日は昼過ぎと夕方の二回、山車が通りを巡行。もともとは獣よけだったともいわれる太鼓や鐘(鉦)を大音量で打ち鳴らしながら、法被を身に着けた老若男女が約1時間にわたって出しを引いた。
26日にも午後2時半と午後6時半に山車巡行がある。」
私は、25日は、昼と夜の巡行を、26日は夜の巡行を見物したが、夜の巡行が提灯が灯り趣がある。
ジャンジャラ・ジャンジャラと繰り返す鉦の音が本当にやかましいが、聞いていて飽きがこない。
両日とも20時半ごろ神社前に帰ってきて、太鼓と鉦を鳴らすが、いつまで続くかわからないので両日とも21時前には家に帰った。 |
|
5月4日午後、前日の出雲大原神主神楽に続いて、島根県西部の石見神楽が奉納された。
14時開演だが、13時にはすでに満席。
私はビデオを撮るので初めから立ち見覚悟で行ったが、立ち見の人たちもすでに大勢いた。
パンフレットは100枚しか用意されていない、ということで私はもらうことができなかった。
で、島根観光ナビHPによると、
「石見神楽は、島根県西部の石見地方に古くから伝わる伝統芸能です。元来五穀豊穣に感謝し、毎年秋祭りに氏神様に奉納されてきましたが、時代とともに石見人の気質にあった勇壮にして華麗な郷土芸能へと進化しました。活発華麗な舞と、荘重で正雅・古典的な詞章が特徴で、方言的表現、素朴な民謡的詩情とともに独特のものをつくりあげています。」
司会のお話が興味深く、この神楽の社中は、石見にある熱田神社の氏子とのことで、その熱田神社は、1000年ほど前、大陸からの侵攻に備えて海岸線防衛のために尾張からも防人が派遣され、3年の任期が終わっても出身地へ帰らず石見の地に土着した人たちがいて、その地に熱田神社が祀られたのだそうで、この社中の人たちは尾張人の末裔であるのだそうだ。
この日は、お祓いの「鈴神楽」に始まり、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、「恵比寿」「八岐大蛇」が演じられた。
前日の神主神楽は歌舞伎のような雰囲気だったが、石見神楽は、漫才のようなかけ合いもあり、大衆演劇のような雰囲気で、龍のような八岐大蛇は目が赤く光り、火や煙を吐いて面白い。
鈴神楽
日本武尊
恵比寿
八岐大蛇
|
|
今年は、熱田神宮が創祀1900年ということで、いろいろな催し物があって、5月3日は、午前・午後と2部にわたって「出雲國大原神主神楽」が奉納されたので見に行った。
配られたパンフレットによると、
「島根県の東部(旧称;出雲国)のほぼ中央部に「大原」という地方があります。この出雲国は、日本最古の書物である「古事記」(西暦712年成立)に登場する「神話」の舞台の一つであり、「出雲大社」を中心とする八百万の神と由緒深く結ばれた「神の国」といわれるほどの霊験な地域です。
従ってこの国では、古くから神主や村人たちによっていろいろな神祭が行われ、なかでも「神楽」「獅子舞」「田楽」等が多くの社中によって盛んに演じられ、しかも様々な芸態をとって上演されてきました。
「出雲國大原神主神楽」は西暦1850年代に復興しました。今の島根県雲南市の大原地内や近隣の神主が「神楽組」を組織し、当時、点在・散逸していた「神楽」を収集して伝承に当たったのがその始まりです。その後、譜本にまとめて集大成するとともに、古くからの「宗教芸能」の形態を、一時も村人の手に委ねることなく、神主だけで正しく受け継いできました。従って只今では、日本の純粋な「神楽」の代表として高い評価をいただいています。
伝承曲は、「七座(しちざ)」が7曲、「神能(しんのう)」が21曲ですが、その他に「湯立神事(ゆだてしんじ)」「御託宣神事(おたくせんしんじ)」といった修験色が色濃く残ったものや、「八ツ花(やつはな)」「式三番(しきさんば)」といった独自の舞いもあります。」
この日は、午前の部に、清目(きよめ)・山神祭(さんじんさい)・日本武(やまとたけ)、午後の部には、手草(たぐさ)・国譲(くにゆずり)が演じられた。
午前の部と午後の部の初めに舞われる清目と手草は、お祓いの舞だが、そのほかの「神能」は、これまで見てきた神楽とは違って、古事記に題をとった歌舞伎のような演目で面白い。
ビデオは、50分ほどの演目を30分ほどに編集した。
●山神祭(さんじんさい)
「「天照大神」は弟神(須佐之男命)の暴挙に怒り、岩戸に隠れてしまう。世の中か真っ暗になったため、神々は打開のために秘策を練り、そのひとつとして岩戸の前て神楽を演じることになる。「天児屋根命」は、その神楽に使用する「榊(真賢木(まさかき))」を天香具山に求め、無断て持ち帰ろうとするが、その山の主てある「大山祇命」にとがめられ、奪い返されてしまう。しかし、岩戸開きのために必要な「榊」と分かり、快く献上する。「天児屋根命」は喜び、「大山祇命」に『十握剣(とつかのつるぎ)』を渡し、荒振る神を鎮めるように命じて立ち去る。」
●日本武(やまとたけ)
熱田神宮のご神体である「草薙の劔」にまつわる日本武尊伝説の特別公演。
●国譲(くにゆずり)
「「武御雷之命」は出雲の稲佐の浜に天降り、「大国主命」に「天津神に国土を奉れ」(国譲り)との神勅を伝える。「大国主命」は潔しとし、連れ舞ののち、『福餅』を撒く。ところが、このことを不服に思う「大国主命」の子神てある「武御名方命」が登場し、「武御雷之命」との力比べに挑む。しかし、「武御名方命」は力及ばす敗れ、国土の譲渡か実現するという。国譲り神話の一曲である。」
●八頭(やと)
「「須佐之男命」が出雲の簸の川上で「八岐大蛇(トカゲ蛇)」を退治し、「稲田姫命」と結婚するという出雲神楽を代表する演目である。」
ヤマタノオロチは、この神楽では、「トカゲ蛇(じゃ)」といって、頭一つ尾も一つのトカゲ形で素朴な形式を伝承しているようだ。
途中でビデオの容量がなくなってしまい、そうだ、デジカメの動画記録機能がある、と気がつくまで須佐之男命とトカゲ蛇の戦う様が抜けてしまった。
私自身の神楽というものの認識がまったく違っていたことがわかり、有意義な時間を過ごすことができた。
熱田神宮創祀1900年祭に感謝。
|
|
家から歩いて10分ほどのところ、美濃路沿いに「八坂神社」があり、毎年5月の第3土日に「提灯祭り」として知られる「大祭」が行われ、今年は5月18・19日に行われた。
提灯祭りは、880個の「山笠提灯」が吊るされて、それらが風に揺れる様は美しい。
中日新聞の配達に混じって「なごや西ホームニュース」という西区の情報紙が月2回入ってきて、5月11日の分に、この祭りについて詳しい情報があった。
「通称「提灯祭り」と呼ばれ、18日18時から行われる献灯では山竿(やまざお)に下げられた880個の提灯や高さ5mの大提灯、傘鉾提灯に順に火が入れられ、その姿が初夏の夜空に浮かび上がった瞬間、祭りは最高潮に達します。
翌19日の祭礼では、人びとが願いを込めた葭(よし)を船に乗せ、町西の惣兵衛川に流し厄除けをする「御神葭船(おみよしふね)流し」が行われます。
祭りの象徴ともいうべき山竿提灯は、高さ20mの山竿に、5段構えで米寿にちなみ88×10で880個の提灯と、最上段に「米・麦・黍・粟・豆」を表す5つの提灯をともして、長寿と五穀豊穣を祈願するものです。
祭礼には、八坂1丁目と2丁目町内の氏子140軒が総出で準備にあたります。
祭礼前の12日には骨組みを完成。1段ごとに8本の軸を出し、それをロープでつないで大きさが違う8角形を5つ形成し、山竿に下げます。それを地元では通称「蜘蛛の巣張り」と呼んでいます。
5段目の最も大きい八角形に296個、4段目は232個、3段目は168個、4段目は112個、最上段には112個の提灯を下げ、形を完成するのが当日18時の早朝。10時からの神事を迎えます。
この醍醐味ともいえる火入れは18時からで、一つひとつ氏子の手により行われます。
まず、蝋燭立ての下段に刺される大根は、2cmの太さに切って3日干したもの。これは溶けてたまった蝋が木に燃え移るのを防ぐためです。
和蝋燭を使用するのは、洋蝋燭には無い揺らめきを求めるから。全献灯までには時間がかかるため、上三段は7匁(もんめ)、下二段は5匁と長さをかえています。
そしてこの大根と蝋燭を刺す芯は、箸を一本ずつ手で加工したものが使用されています。
この醍醐味ともいえる火入れは18時からで、一つひとつ氏子の手により行われます。火入れは約1時間かかり、風の強い日だと、提灯がくるくると回り時として提灯に火が燃え移ります。それを氏子らが長い竹竿を使って見事に消し止めるのも祭りの醍醐味といえるでしょう。」
参道にぶら下がる「傘鉾提灯」
この日は旧暦の4月9日で、旧暦4月は「卯月」、それにちなんでか「兎提灯」も吊るされている。
蝋燭立ての下段には、溶けてたまった蝋が木に燃え移るのを防ぐために大根が刺されている。
けっこうな賑わいで、たくさんの出店も並ぶ。
各町内には子供獅子が飾られている。
山笠提灯の火入れは18:30から始まり、1時間ほどで上げ終わり、私は20時ごろ帰った。
翌19日の夜、「御神葭舟流し(おみよしふねながし)」という、長さ1.8mの舟に願い事を託して、近くの宗兵衛川に流す神事が行われるので、20時すぎに家をでて見に行った。
あいにくの雨で、時間は少し早まっている、ということで、私が神社前へ着くと、すでに神葭舟を担いだ行列が練っていて、21時半ごろには一行は宗兵衛川に到着して御神葭舟を流した。
|





