なべさんの中国情報

今年はブログを再開します。

番外篇 名古屋を歩く

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一番奥の清水社を参ってから残った菅原社と下知我麻神社へ参るために西門へ向かった。

大楠の横に、奉納された愛知県産の日本酒の樽が並べられていたのでとりあえず写真に撮った。
いまはもっぱら芋焼酎か泡盛を飲んでいるが、一時期、半田の「国盛」の純米酒を愛飲していた。

11時半ぐらいになり、腹も減ったので、西門近くの「宮きしめん」で昼食にした。

きしめんは1杯600円。
量は少なめだが、平ぺったいきしめんのぷっくりした口触りは、宮きしめんの独特のもので、私は好きだ。

西の鳥居のすぐ脇に「菅原社(すがわらしゃ)」がある。

神宮のHPによれば、下記のようになる。

「御祭神に学問の神様として崇められる菅原道真公をお祀り致します。下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)の石を戴いて帰り、願いがかなうと倍の大きさの石を菅原社へ奉納するという珍しい風習も伝えられております。
西門を入ってすぐの場所に鎮座し合格祈願の絵馬も多く奉納されております。文化殿北側にある「内天神社」に対し「外天神」とも呼ばれる神社です。」


内天神に少彦名命を祭っていて、天神様とどういう関係があるんだろうと思ったが、昨日、金達寿著の「日本の中の朝鮮文化 1」をパラパラとみていて、調布の「布多天神社」の祭神も、少彦名命と菅原道真だそうで、金氏は、私とは逆に、なぜ菅原道真が祀られているのか不思議であるように記している。

考えてみれば、熱田神宮でも、日本武尊ゆかりの神社に随分時代が下る菅原道真が祀られているのは唐突な気がする。

西門をでて北に歩くと、神宮の森の北西角近くに「下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)」がある。

「真敷刀俾命(ましきとべのみこと)をお祀りしております。この御祭神は、上知我麻神社の御祭神・乎止與命(おとよのみこと)のお妃で、日本武尊(やまとたけるのみこと)のお妃・宮簀媛命(みやすひめのみこと)の母神様です。
古くから旅行安全の神として信仰されております。」

鳥居もある独立した神社になっているが、社は上知我麻神社に比べると非常に小さい。

これにて熱田神宮の参拝を終え、次は日本武尊の御陵ともいわれている白鳥古墳へ向かった。

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六末社を参ってから参道に戻り、三の鳥居をくぐって本宮に参った。

それから向かって右方の神楽殿の裏手のほうへまわった。

神楽殿のすぐ後方に「土用殿(どようでん)」がある。

神宮のHPによると下記のようになる。

「神楽殿の北に位置し、もと、草薙神剣を奉安した御殿で、旧本殿の東に相並んで鎮座していました。様式は宝庫造、俗に井楼組(せいろうぐみ)と呼ばれる造りで、屋根切妻桧皮葺の箱棟です。」

もっと奥まで続く道に、奥へ向かって順に龍神社・御田神社・清水社がある。

「龍神社(りゅうじんじゃ)」

「吉備武彦命(きびたけひこのみこと)、大伴武日命(おおともたけひのみこと)をお祀りしております。『日本書紀』には、景行天皇より日本武尊に遣わされた東征に従う神々としてその名が記されております。」

この二人は、東征に従ったわけだから、建稲種命の同僚ということになる。

「御田神社(みたじんじゃ)」

「五穀豊穰の守護神である「大年神(おおとしのかみ)」をお祀りしております。大年神の「年」の字には、穀物、特に穂が稔るという意味があり、農耕中心の日本人においてどれほど大事な神様か、容易に推察が出来る事でしょう。
この社の祈年(きねん)・新嘗(にいなめ)の両祭に奉る神饌(しんせん:神様へのお供えもの)はまず烏に食べさせる信仰が残っており、祭員がホーホーと烏を呼びながら、御供(ごく)を土用殿の屋根の上に投げ上げます(烏喰の儀)。昔は烏が飛んできてそれを食べなければ、祭典が行われなかったといわれております。
6月18日には御田植祭(おたうえさい)が行われます。」

大年神はwikipediaによれば、「素戔鳴尊と神大市比売(かむおおいちひめ。大山津見神の娘)の間に生まれた子で、両神の間の子にはほかに宇迦之御魂神がおり、これも穀物神である」そうだ。

また多くの神の父とされていて、子神のなかに、韓(から)神 (朝鮮からの渡来氏族が信仰した神)、曾富理(そほり)神(新羅の王都(ソウル)の意か )があるのは興味深い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E7%A5%9E

「清水社(しみずしゃ)」

「本殿の東、御田神社の北に鎮座。御祭神は水をつかさどる神様である罔象女神(みずはのめのかみ)をお祀りしております。
社殿の奥に水が湧いていることから、俗に「お清水(しみず)さま」と呼ばれ、その水で眼を洗えば眼がよくなり、肌を洗えば肌がきれいになるという信仰があります。」

熱田は大きな森に湧き水もあり、聖域としてふさわしい。

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信長塀の東端の前に、大幸田神社(おおさきだじんじゃ)がある。
これも、神宮のHPによれば、下記のようになる。

「五穀をはじめ食物を司る「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」をお祀りしております。社名からも、田に大きな幸福をもたらすと解することができ、一説に「福の神」即ち富貴栄達を祈る神様と言われております。」

宇迦之御魂神は、素戔鳴尊の子供になり、草薙剣にゆかりの神様でもある。

大幸田神社の南側に、内天神(うちてんじん)社と六末社(ろくまっしゃ)が横一列に並んでいる。

内天神社は、ここも社殿がなく、垣に囲まれた中に楠があり、「少彦名命(すくなひこなのみこと)」が祀られている。

少彦名命は、大国主を助けて国造りをした神様で、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされる。

天照大神の御子神・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)が高皇産霊神(タカミムスビノカミ)の娘と結婚して生まれたのが天孫瓊瓊杵尊であるので、高皇産霊神は瓊瓊杵尊の外祖父に相当する。

天神様といえば菅原道真だが、なぜ少彦名命なんだろうと疑問を感じた。

六末社は、神宮のHPによれば下記のようになる。

「乙子社(おとごしゃ)・姉子神社(あねごじんしゃ)・今彦神社(いまひこじんしゃ)・水向神社(みかじんじゃ)・素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)・日長神社(ひながじんじゃ)の6社をさします。御祭神はいずれも日本武尊および尾張国造に関係する神々です。」

それぞれ祭神はwikipediaによると下記のようになるそうだ。

乙子社(おとご)祭神:弟彦連 尾張氏15代目にあたる。建稲種は13代目。
姉子神社(あねご)祭神:宮簀媛命 建稲種の妹。日本武尊の妃。
今彦神社(いまひこ)祭神:建稲種命 日本武尊の東征に従う。
水向神社(みか)祭神:弟橘媛命 日本武尊の妃。走水で海の神を鎮めるために入水死する。
素盞嗚神社(すさのお)祭神:素盞嗚尊
日長神社(ひなが)祭神:日長命 知多半島を開拓された神。 尾張氏の一族か?

素戔鳴尊は、本宮、南新宮社でも祀られていて、日本武尊および尾張国造に関係する神々という六社の中にあると違和感がある。

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徹社をすぎて参道を進むと、名古屋では最古といわれる石橋の「二十五丁橋」があり、そこを過ぎると「佐久間燈籠」という高さが8mもある巨大な石燈籠がある。

そこが東門からの参道との十字路になり、ニの鳥居をくぐって本宮へ向かうとすぐ左手に「大楠」がある。

弘法大師お手植えと伝えられる樹齢1000年以上の巨木だ。

中国浙江省の山の古鎮へ行くとやはり楠の巨木を良く見るが、浙江省と日本の気候(私は秩父より北へは行ったことがないが)は良く似ている。

この先に、信長塀がある。

織田信長が今川義元との戦いに出るときに戦勝を祈願して、みごと桶狭間で勝利したのを感謝して、この塀を奉納したんだそうだ。

この塀の前に、参道をはさんだ両側に、高床式の倉庫があった。

熱田の森に極めてにつかわしい建物だ。

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清雪門を見てから、南の正門から続く参道に戻り、本宮へ向かうとすぐ、「楠御前社(くすのみまえしゃ)」がある。

これも神宮のHPによると下記のようになる。

「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉册尊(いざなみのみこと)の二柱をお祀りしております。
俗に「子安の神」又は「お楠さま」と呼ばれ、種々の病気を治し、殊に安産の神としての信仰が厚く、小鳥居(本宮授与所にてお頒ちしております)に干支や氏名を書いて奉献すると願い事が成就するといわれております。
尚、このお社には社殿がなく、垣をめぐらした中に社名の示すとおり、楠の神木が祀られております。」

ここは正面からは解らなかったが、横へ回ってみると社殿が無いことに気がついた。

この形式が神社の原初的なもののようで、鳥越憲三郎著「古代中国と倭族」に中国雲南省の佤(わ)族などを例に、こうした形式から神社への過程が述べられているが、その一部を下記に抜粋した。

「雲南省奥地に住む佤(わ)族の例で示せば、それぞれの氏族の本宗となる家が鶏を持ち寄り、呪術者によって鶏の脚骨による占いで世襲の村長が選定される。ひとたび村長が決まると、その後に他の氏族から経済的に優位なものが現れようとも村長の地位は不動である。ただ疫病が流行して人や家畜が死ぬ被害が大きくなると、神から見離された者として村長は交替させられる。
その世襲の村長は村の祭祀権と行政権とを掌握する。それは神の代行者としてである。そして村長と故老たちによって住むべき適地が見つかると、まずその近くで神の鎮まる聖林を探し、その中で神が天から降臨するにふさわしい一本の聖木が選ばれる。そして吉日に村長と故老たちが聖木の前に集まり、村長がこの地に村落をつくることの許しと、幾久しく村人が守護されることを祈願する。
この聖林は洋の東西を問わず、あらゆる民族に共通してみられたものであるが、わが国では周知のように神奈備(かんなび)山・三室(みむろ)山と呼ばれた円錐状の整った山、または樹林が選ばれ、その中の巨樹や巨岩を神の鎮まるところとした。そして後に社殿が設けられると、それが神社と称せられるようになる。」

この原初的な社の祭神が、日本の創造神の伊弉諾尊と伊弉册尊であるというのはピッタリだ。

参道を進むと次に「徹社(とおすのやしろ)」がある。

「天照大神の和魂(にぎみたま)を御祭神にお祀り致します。神様には荒魂(あらみたま)と和魂の両面があるとされ、和魂は慈しみ加護してくださる神とされます。」

絵地図には祭神は書いていなかったのでわからなかったが、今神宮のHPをみても、荒魂を祀る社はどこにあるのかわからない。


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