なべさんの中国情報

今年はブログを再開します。

番外篇 名古屋を歩く

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南門からの参道と平行して昨日の日割御子神社などが並ぶ細い道があり、南新宮社の先に「清雪門(せいせつもん)」がある。

この門について、神宮のHPでは、下記のような説明文がある。

「末社楠御前社の北東に位置し、もと本宮の北門ともいわれております。俗に不開門(あかずのもん)とも言われております。
天智天皇7年(668)新羅の僧が神剣を盗み出しこの 門を通ったといわれ、以来不吉の門として忌まれたとも、神剣還座の際門を閉ざして再び皇居へ遷ることのないようにしたとも伝えられております。」

この新羅の僧道行が草薙剣を盗んで新羅へ逃亡しようとしたが、途中嵐に遭い日本へ吹き戻された、という事件については、井沢元彦著「逆説の日本史2」にけっこう詳しく書かれていて、それを要約すると下記のようになる。

668年という年は、天智天皇が、母の斉明天皇が亡くなってから皇太子のまま政務をとっていたが、この年に正式に天皇に即位した年で、その年に、新羅のスパイ道行が皇位の象徴の草薙剣を盗み出した。
これは明らかに天智の正式な即位を妨害するためである。
要するに、道行は天智の天皇としての権威を失墜させようとしたが、それは、明らかに天智が反新羅派であったからだ。

逆説の日本史では、大和朝廷の新羅派と百済派の対立として古代史が読み解かれていて、天智天皇から天武天皇への壬申の乱では尾張氏が重要な位置を占めていることもあって、このあたりの歴史も興味が尽きない。

いったん盗まれて取り戻された草薙剣は宮廷内に置かれていたが、686年、天武天皇が病気を占ったところ、草薙剣のたたりとわかったので、いそぎ熱田社へ送った、ということで、草薙剣は熱田の地に鎮座しなくてはならないものらしい。

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正門からはいってすぐ、参道をはさんで、西に昨日の上知我麻神社と八剣宮があり、東側にまず「日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)」があり、その北側に造りはそっくりな「孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)」がある。

日割御子神社は、やはり熱田神宮のHPによれば、「天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)をお祀りする式内名神大社です。この鎮座地は往古、海に臨む「干崎(ひさき)」と呼ばれたと伝えられております。」ということで、天忍穂耳尊は、天照大神の御子で、尾張氏の祖神である天火明命(あまのほあかりのみこと)の父にあたる。

孫若御子神社は、「尾張氏の祖とされる天火明命をお祀りしております。式内名神大社に列せられております。」ということで、天照大神の孫神にあたり、天孫降臨の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)とは兄弟神になる。

この2社と本宮の天照大神と合わせて、尾張氏が天照大神につながる祖神3代が祀られていることになる。

尾張氏は神代までさかのぼると、天皇家の親族で、熱田神宮が伊勢神宮とならぶ神宮である由縁はここにあるんだな。


そして、孫若御子神社に北に「南新宮社(みなみしんぐうしゃ)」がある。

「疫病退散を願う「京都祇園まつり」で有名な八坂神社のご祭神と同じ素盞嗚尊(すさのおのみこと)をお祀りし、6月5日を祭日として南新宮社祭を行っております。当神宮唯一の丹塗りの社殿です。」

この社の脇に、「八子社(やこのやしろ)」があり、少し離れて「曽志茂利(そしもり)社」がある。

八子社は、天照大神と素戔鳴尊の誓約(うけい)から生まれた、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命の3柱の女神と、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命の5柱の男神を五男三女神として祭っている。

曽志茂利社は、居茂利大神(素戔鳴尊)を祀る。

曾尸茂梨(そしもり)は新羅の地名だそうで、金達寿著の「日本の中の朝鮮文化3 近江・大和」によれば、「曾尸茂梨の曾はもとより、熊曾の曾や筑紫の紫も新羅の原号であったソ=斯羅(しら)(羅は那と同じで国土という意)からきたもので、これはさらに転訛して阿蘇、伊蘇、伊勢、宇佐、須佐、周防、諏訪などとなっている。須佐之男命(素戔鳴尊)の須佐なども、これからきていることももちろんである。」とある。

この社は丹塗りになっているのも下記のように素戔鳴尊が渡来神であることをよく表わしているように思われる。

「この丹塗りの建物は多分に中国・朝鮮などの文化の影響が色濃いようです。稲荷神社の御本社である京都・伏見稲荷大社は元々、古代、朝鮮からの渡来氏族である秦氏(はたうじ)の氏神であり、このことが直接的に社殿の色にも表れたのではないかと思われます。朱色とはまさに血液の色であり、大陸ではこの色が最も生命的な躍動を現すとともに、災厄を防ぐ色としても重視されました。大陸文化との交流により稲荷神社をはじめ、その他の神社仏閣にもその影響が見られるようになったのです。」

http://www.hpmix.com/home/hachiman/C7_4.htm

この社の存在が、素戔鳴尊と新羅とのつながりを表わしているように思われる。

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熱田神宮の正門になる南の鳥居をくぐるとすぐ左手に摂社の「上知我麻(かみちかま)神社」があり、鳥居をくぐってその境内に入ると右手に別宮の「八剣宮(はっけん)ぐう」がある。

上知我麻神社の社務所で境内の絵地図をもらえたので、境内にある摂社・末社の位置がわかり、大変役に立った。

上知我麻神社は、熱田神宮のHPによると、「尾張国造「乎止與命(おとよのみこと)」をお祀りし、熱田の地主神とされます。「知恵の文殊様」として崇(あが)められ合格祈願に詣でる方が多い神社です。
この社の境内に、大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)をお祀りし、毎年1月5日は「初えびす」として盛大なにぎわいを見せます。」とのことだ。

http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/yukari/

乎止與命は、建稲種命と宮津媛命の父親で、大和国高尾張邑(奈良県御所市)の出とされ、尾張大印岐(おわりのおおいみき)の娘、真敷刀婢(ましきとべ)を娶り、成務天皇の時代に尾張国造となったとされる。

もとは熱田の市場町にあったのが、昭和24年12月2日に道路区域整備のため、現在の場所に移築されたそうで、今の場所にあるのはそんなに古いことではない。

http://www.geocities.jp/engishiki01/owari/bun/ow100702-01.html

熱田の地主神ということで、国津神の大国主神と事代主神を左右に祀ってあり、もともとは上知我麻神社がこの地の尾張氏の氏神様だったのかなあ、とも思う。

八剣宮はやはり熱田神宮のHPによると、「元明天皇の和銅元年(708)、宝剣を新たに鋳造し創祀されました。一の鳥居(南門)の西側に鎮座し、本宮と同じ祭神をお祀りします。社殿も本宮と同じ造りで年中祭儀も同様に行われます。
八剣宮は武門の信仰が篤く、織田信長、徳川綱吉等により社殿の修造造営が行われてきました。なお、別宮とは名が示すように本殿の別れとして祀られ篤い崇敬を受けます。」とのことで、本宮のスペアーのような存在だ。

元明天皇といえば、奈良の都へ遷都した女帝だが、和銅の年号は武蔵の国の秩父から和銅(精錬を要しない自然銅)が献上されたことに由来するそうで、その銅を使って宝剣を作ったんだろうか。。。


いずれにしろ、この両社の第一印象では、非常に美しい、と感じた。

熱田神宮 その1

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昨日は雪で驚いたが、今日はいい天気で、久々に熱田神宮へお札を買いに行ってきた。

普通は名鉄の神宮前で降りて東の鳥居をくぐって境内へ入るんだが、今日は、地下鉄で一つ先の「伝馬町」で降りて、南の正門から境内に入った。

南の鳥居をくぐってすぐ左に「上知我麻神社」があるが、とりあえず、本宮から話を進めることにする。

南の鳥居からいろいろな摂社・末社によりながら進み、織田信長が桶狭間の戦いの戦勝に感謝して寄進した「信長塀」をすぎると本宮がある。

今年建て替えられたばかりで、ピカピカした印象だ。

社務所でもらった由来書きは下記のようになる。

祭神:熱田大神(あつたのおおかみ)

相殿神(あいどののかみ):天照大神、素戔鳴尊、日本武尊、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)

「祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)として、よらせられる天照大神のことであります。
天照大神は、言うまでも無く、皇室のご先祖として至高至貴の神と仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神であります。また、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として、仰がれる神々でもあります。
御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父景行天皇から絶対の御信任を受けた尊は、御東征の帰途、尾張国造の御女宮簀媛命をお妃にお迎えになり、やがて草薙神剣をこの国にとどめておなくなりになります。その後、宮簀媛命は尊の御遺志を重んじられ、神剣を今の熱田の地にまつられました。今からおよそ一千九百年前になります。」


祭神については、Wikipediaの説明がわかりやすい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E7%94%B0%E7%A5%9E%E5%AE%AE

「熱田大神(あつたのおおかみ)とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御神体とする天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。
相殿には、天照大神、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命(たけいなだねのみこと)と草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その草薙の剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した。」


素直に考えれば、宮簀媛が亡くなった夫の日本武尊を祀った神社ということになる。

ただ、日本武尊は一人の英雄ではなく、多くの勇者を一人にまとめたものであるという考え方が一般的だが、とりあえず尾張氏の媛を妃とした皇族の勇者がいたんだろう。。。

神楽殿の側面の壁に大きな石板が立てかけてあったが、何なんだろう???

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東谷山山麓の古墳群

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東谷山の斜面や山麓にはたくさんの古墳が築かれているそうで、ガイドブックをみながらそれらのいくつかを訪ねた。

高蔵寺駅から庄内川を渡って、東谷山に登る手前に「白鳥1号墳」があった。
横穴式石室が完全な形で残っているが、鉄格子があって中には入れない。

ここのすぐ近くに山へ登る道があって、途中に「東谷山12・16号墳」があるとのことだが、新興住宅街を抜けて山道を登っていくうちに、どこかわからないまま通り過ぎてしまった。

尾張戸神社から下って、フルーツパークにでて、ここは入場無料で、最も西側の屋外休憩所の横に「東谷山31号墳」の横穴式石室の一部があるとのことだったが、石組みはあったが、公園の造園の一部のようで、表示板もなく、どれが古墳の跡だかよくわからなかった。

フルーツパークから西北方向へ下ると「白鳥塚古墳」があった。

前方後円墳の円と方の境目に登り、そこから円部の頂上へはかなりきつい勾配を上る。
頂上の真ん中は窪んでいて、盗掘の跡だそうだ。

ここの北にある「山ノ田」の集落の中に「石室がむきだしになった山の田古墳がある」ということで見に行ったが、それらしいものが見つからないので、洗濯物を取り込みに来たおばさんに聞いてみると、「そこを左にまがったところだけど、もう終わってるよ」と教えてくれた。

で、その方向へ行ってみると、さっき通り過ぎた工事現場のロープが張ってある所だった。
どこかへ移転されたんだろうか。。。。

ガイドブックにはまだいくつか古墳が紹介されているが、そろそろタイムアップで帰路についた。


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