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3月31日、熱田神宮の摂社、氷上姉子神社で「太々(だいだい)神楽」がある、ということで見に行った。
氷上姉子神社には、これまで何度か来ている。
この太太神楽は、神社で配布されたパンフレットによると、
江戸時代の熱田神宮では神楽の一つである太太神楽が行われていた。これは熱田宮に古くから伝わる神楽ではなく、他へ習いにでかけ取得して始めたものであったようで、・・・・・・・・・・・・。
太太神楽の始まりは正徳2年(1712年)のことである。・・・・・・・・・・・。
(氷上姉子神社のある)大高で太太神楽が始まったのは天保2年(1831)と伝える。・・・・・・・・・。
パンフレットに神楽の演目の詳細が紹介されている。
この神楽では、演者が手にする器物がキーになっているようだ。
神楽は、一連の神事のなかで舞われ、お祓いが、西と東北に向かって行われたのが印象的であった。
巫女さんの頭飾りも独特のようだ。
神事は14時から始まったが、私は13時前に神社に着いてしまったので、元宮のある雑木林を歩くと、いくつかの樹木が花をつけているので写真に撮って、帰ってから図鑑で木の名前を調べた。
「アセビ」の鈴を連ねたような白い花が美しい。
「ヒサカキ」の花も可愛らしい。
「アオキ」も葉の新芽の根元に可愛い花をつけている。
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番外篇 名古屋を歩く
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昨日3月17日は、熱田神宮の「祈年祭」を見に行った。
祈年祭は、熱田神宮のHPによると、
祈年祭は「としごいのまつり」ともいわれ、一年間の五穀豊穣を祈る祭りです。熱田神宮では、本宮はもとより農業の神様をお祀りする御田神社をはじめ全ての摂社末社で祈年祭を執り行っております。春の祈年祭と秋の新嘗祭は日本古くの農業神事で全国で行われております。
日本では古く、春のはじめになると神様は里に降りられ暮らしを見守り、秋の収穫が終わると山に還られると信仰されてきました。祈年祭は、春の農作業のはじまりに豊穣を祈って祭りが行われます。
午前10時より、本宮・別宮をはじめ境内外全ての神社(43の摂社末社)で祈年祭が行われます。そして、午後2時より御田神社(みたじんじゃ)のご神前にお供え物があげられ「烏喰(おとぐい)の儀」「韓神舞(からかみまい)」が舞われます。
烏喰(おとぐい)の儀については、
御田神社の祈年祭・新嘗祭では、お供え物はまず烏に食べさせる信仰が残っており、祭員がホーホーと烏を呼びながら、御供(ごく)を土用殿の屋根の上に投げ上げます。
本社殿では奥の本殿の神事は見ることはできない。
私は、午後の「御田神社」での神事を見たかったので、本殿での神事が終わった後は、境内にある、定番の「宮きしめん」で昼食にする。
食後、宮きしめん横の池のベンチに腰掛けていると、雅楽の音が聞こえてきたので八剣宮へいくと、ここでも祈年祭の神事が行われていた。
13時前まで境内のベンチに横になり休憩してから、御田神社へ行くと、以前はなかった「こころの小径」という遊歩道が開放されていて、本殿の北西後方に位置する,
天照大神の荒魂を祀る「一之御前神社」に初めて参拝した。
13時すぎに御田神社前に戻ったが、神職が祭祀の準備をしているのみでカメラマンは一人もいない。
警備の人が、神職が神前に来てお祓いをしてすぐ烏喰の儀のため二人の神職が土用殿のほうへ行く、と教えてくれたので、私は少し上ったところにある土用殿の前で神事が始まるのを待った。
14時、太鼓の音が聞こえて、神職が御田神社の神前にやってきて、神事が始まった。
「韓神舞」というのは、雅楽にのせた舞ではなく、若い神職が両手に榊を持って、東・東南・東北と三方向に鳥が飛び立つような仕草をする。
また本殿に向けての祝詞に加えて、東南(辰巳)の方向に向かっても祝詞が奏上された。
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7月31日夕方、熱田神宮の南東に位置する境外末社の「鈴之御前社(れいのみまえしゃ)」で、夏の疫病除けの神事、「茅の輪くぐり(ちのわくぐり)」があった。
神事は18時から、ということで、4時半ごろ家を出て、名鉄で神宮前駅までいき、そこから南東へ10分ほど歩く。
伝馬町の大きな交差点の南一本に旧東海道が東西はしり、東へ少し行くと街道に面して鈴之御前社がある。
鈴之御前社は、祭神は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)。
「「鈴の宮(れいのみや)」とも呼ばれ、昔は精進川がこの宮のかたわらを流れていました。東海道を往来する旅人は、熱田の宮にお参りする前にここで身を清め、お祓いを受けてから本宮へ参拝する習わしでした。」
社殿は、北東向きに建ち、本殿は神明造り。
境内には、黒大龍神の小さな社もある。
「茅の輪くぐり神事」については、熱田神宮のHPによると、
「末社鈴之御前社(れいのみまえしゃ:熱田区伝馬二丁目に鎮座)の例祭で、夏病みを防ぎ健やかな日々を送れるよう、茅の輪くぐりを行います。
このまつりは夏越(なごし)の祓とも云われ、境内に設けられた高さ2m余りの茅の輪を、祓芦を持って左・右・左と8の字にくぐってお参りをし、邪気を祓い去ります。
町内各戸に吊された笹提灯や御神燈は、夏の夜に欠かせない風物詩です。」
茅の輪くぐりは、「芦(アシ・ヨシ)」を持ってくぐる。
その祓芦を納めるところには、五方を表す色、黒・青・赤・白・黄の御幣を掲げた竹ざおが立つ。
鳥居には、茅の輪くぐりの作法が貼り出してあった。
17時ごろ着いてしまったので、旧東海道をブラブラして、17時半ごろ神社へもどり18時少し前に神事は始まった。
8月1日の中日新聞の記事によると、茅の輪くぐりは、「「夏越しの祓」とも呼ばれ、江戸時代中期から続くそうで、この日は、200人ほどの参拝者が茅の輪をくぐったそうだ。
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昨日6月18日、熱田神宮の境内にある摂社の御田神社(みたじんじゃ)の御田植祭を見に行った。
御田植祭は、神宮のHPによると、
「五穀豊穣を祈る祭りです。
神前には斎田に植えられる玉苗が供えられ、斎主の祝詞奏上の後、田歌(たうた)に合わせて緋袴(ひばかま)緋襷(ひだすき)に芙蓉(ふよう)の花に模した挿頭花(かざし)をつけた早乙女(巫子)4名の優雅な田舞(たまい)が奏せられます。
6月第4日曜日には、大高斎田においても、御田植祭が行われます。」
9時半ぐらいに御田神社の前に着いたが、すでに20人ほどのカメラマンが陣取っていた。
10時少し前、太鼓の音が聞こえて、まもなく神職が御田神社まえにやってきて、御田植祭の神事が始まった。
拍子木の音に田歌が響き、緑濃い森の中に巫女さんの緋袴の赤が映えて美しい。
神事は30分ほどで終わった。
主役の玉苗の姿が見えないので、おかしいな、と思っていたが、境内奥の清水社に参拝して戻ってきたら、社殿の前に玉苗と鍬が置かれていた。
係りの若い神職がそばにいたので聞いてみると、神事の行われている間、玉苗は瑞垣の内側、社殿の向って右側に置かれていた、とのことだった。
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和尓良神社から矢田川を渡って北西へ、庄内川近くの住宅街の中に式内社の「川嶋神社」はある。
社殿はコンクリート造りで、東南東向きに建つ。
由緒書はなかったが、「式内社調査報告8」によると、
祭神は、伊邪那美命、大苫邊命(おおとまべのみこと)、譽田別天皇、日本建命、須佐之男大神、大山津見命。
「社伝によれば、神社は孝安天皇(6代)2年尾張連の祖沖津世襲の勧請といい、川島之里鴨渡立江之川上の宇津神木に鎮座したという。」
とある。
大苫邊命というのは、ウキペディアによれば、男神の大戸之道命(おおとのぢのみこと)と対となる女神で、「大地が完全に凝固した時を神格化したものである」そうだ。
拝殿屋根には、「菊輪紋」の中に「川」の字。
拝殿正面の蟇股には、「矢じり様」の飾りがつく。
参拝して、拝殿の中をのぞこうと近づいたら警報がプワーン・プワーンと鳴って驚いた。
本殿は、流造りで、千木・鰹木がつく
社殿の向って左側に、瑞垣に囲まれて、末社の金刀比羅神社、神明社、秋葉神社がある。
御嶽社も祀られている。
この日はここまでで、西区の実家へ帰った。 |





