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ブログのアップをしばらくお休みしていたが、昨年12月11日の名古屋東部の式内社巡りの続き。
景行天皇社から神社近くを西へ流れる水路沿いに走り、やがて香流川に合流してさらに西へ、香流川が矢田川に合流する手前、香流川と矢田川にはさまれた新興住宅街のゆるやかな丘の上に式内社「和尓良神社」の候補の一つの「和尓良神社」はあった。
由緒書の石碑があり、
祭神は、武内宿禰、誉田別命、木花咲耶姫命、五仁吉師(山ノ神)(字藪より移す)、大山祗神(山ノ神)(字交換より移す)、富士浅間社・秋葉山(西原交差点西北より移す)
「古くからの語り伝えによると、この地に居を構えていた武内宿禰の子孫が、安土・桃山時代の文禄2年癸巳(1592年10月6日)に創建したとされている。当時この地は、秀吉の海外出兵等の際の交通の要所として栄えており、宿禰の子孫は平和(安全)を願って社を建て、御神(仁)に武内宿禰を祭った。
創建時、記念として境内に植えられた栃の木が、幹周り3m程の大木に成長し近隣の人々より、「学問・長生き・五穀豊穣・繁栄にご利益がある」と親しまれ、明治の始めまで「原の天神様」と呼ばれていた。
大木は伊勢湾台風で倒れ、平成始めまで廃木として残っていたが、いつしか姿を消した。」
石碑には、山ノ神の「五仁吉師」となっているが、「式内社調査報告8」によると、これは漢字と儒教を伝えた百済人の「王仁吉師(わにきし)」となっていて、「五」と「王」を間違えたようだ。
社殿は、南向きに建つ。
拝殿はコンクリート造りで、屋根瓦には「五七桐」の紋。
本殿は、木造の流造りで、千木・鰹木はない。
本殿正面には、龍の飾り。
脇障子には、獅子の飾りがつく。
本殿の東側に、境内社の英霊社、秋葉社、山ノ神社が並ぶ。
杜は伊勢湾台風で壊滅したとかで境内は明るいが、比較的大きな木の根元に山神様だろか、石が立てられている。
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番外篇 名古屋を歩く
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天白区の針名神社から北へ、名東区の丘陵地帯の丘の中腹に式内社「高牟神社」の候補の一つの「高牟神社」がある。
一の鳥居は丘の中腹にあるが、そこから少し登った丘の頂上部に、二の鳥居をくぐった先に社殿が建つ。
由緒書板があり、
「創立年代不詳なるも元禄15年社地覚書書に八幡宮一社東西134間、南北84間とある。
応神天皇を祀る八幡の神なり。産霊神(むすびのかみ)を配祀する。」
ということで、もともと応神天皇を祀る「八幡社」で、式内社「高牟神社」であるとは主張していない。
社殿は、南西向きに建つ。
拝殿屋根には「橘」の紋。
拝殿正面の蟇股にも「橘」の紋。
本殿は、流造りで千木・鰹木が載る。
境内社は、神明社、白山社、山神社と高針護国神社がある。
境内の森は枯れてしまった時期があったようで、植林の石碑も立っていた。 |
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飯田街道をひたすら東へ、名古屋東部の丘陵地に入り、坂を上ったり下りたり、新興住宅街の中に大きな森があり、それが式内社の「針名神社」であった。
一の鳥居は社域の西側にあるが、参道を進み、中門のところにくると、社殿正面に続く南側にも鳥居と社標がある。
南側の鳥居は丘の頂上にあり、社殿へは階段を下る。
階段を下ると中門がある。
中門には、「五三桐」の紋がつく。
由緒書の石碑があり、
祭神は、尾治針名根連命、大己貴命、少彦名命、応神天皇。
「御祭神は本社に尾治針名根連命を主神とし大己貴命大国主命少彦名命の三神と別に八幡社を合祀せらる。
神明社には山神社(大山祗神)稲荷社(宇賀能美多麻神)御鍬社(豊受毘売神)知立社(鵜葺草葺不合神)金刀比羅社(大物主神)の七神を合祀する。別の末社として天王社(建速須佐之男命)あり。
当針名神社は慶長年間部落と共に約300m北の元郷より現在地に移ったとされている。
創建については延喜年間作成の国内神明帳に従三位針名天神と記載されていることによりその時代前から鎮座されているものである。以後今日に至るまで氏子の厚い崇敬を受けている。」
尾治針名根連命は、饒速日命(火明命)14世孫、尻綱根命の子。
社殿は、南西向きに建つ。
拝殿屋根にも「五三桐」の紋。
拝殿正面の蟇股には、「矢じり」のような意匠の飾りがつく。
本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。
青銅製の燈籠には、「四方神」の飾りが付く。
絵馬は「馬塔(おまんと)」。
境内社は、
天王社、針名天神社、針名稲荷社、神明社・知立社(鵜葺草葺不合神)・山神社・御鍬社・洲原社(菊理比売神)・金刀比羅社
ヒノキとスギが同じところから生えている「御縁木(ごえんぼく)」も祀られている。
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昨年12月11日、名古屋東部の式内社を自転車で巡った。
ずっと前、千種区と昭和区の境のあたりに住んでいて、このとき巡った地域は子供のころ自転車で遊びまわったところで、畑や原野だったところがすっかり住宅街になってしまっていて、あれから40−50年の月日を思った。
まずは飯田街道に面した式内社の「川原神社」を訪れた。
ここは、子供の頃遊び場になっていたところだ。
二の鳥居をくぐると、木製の蕃塀がある。
境内社の名称が書かれた看板が立っている。
由緒書があり、
祭神は、日神(ひのかみ)、埴山姫命、罔象女命。
「平安時代初期の年中行事や制度などを記した「延喜式」に載る「愛智郡川原神社」にあたるとされる格式の高い神社で、日神(ひのかみ)、埴山姫命、罔象女命の三神を祀っている。創建年代は明らかでないが、鎮火の神として知られている。
戦災にあい、昭和28年再建された。
境内に大きな池があって、弁財天を祀っているところから「川名弁天」の名で知られている。」
祭神については、日と土と水の神様で、どうして鎮火の神なんだろうと思ったら、「式内社調査報告8」に、
「日神は当社を神明社と称したことに関連し、埴山姫命と罔象女命の二神は、延喜式鎮火祭祝詞に川菜より出たる神を埴山姫・罔象女命の二神としてをり、これに因むものであろう。」
とある。
社殿は、南南西向きに建つ。
拝殿屋根には「菊菱」の紋。
拝殿正面の蟇股には、植物を模したような飾りがつく。
本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。
境内の片隅に、石橋が残っている。
一の鳥居をくぐってすぐ、西側に池があり、「川名弁天」が祀られている。
社は美しく彩色されていて、正面には、鳳凰と龍の飾りがつく。
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昨年11月27日、自転車で庄内川の上流の定光寺まで行き、春日井の式内社も巡ってきた。
春日井へ向う途中、矢田川の堤を走っていて、予定外ではあったが堤防下にこんもりと森があったので寄ってみると、式内社の「高牟神社」であった。
由緒書板があり、
祭神は、高皇産霊神。
相殿に、伊邪那伎命、素戔鳴命、天照皇大神、大山祗命、菊理媛命、菅原道真公
「元正天皇養老元年11月15日鎮座、高見の称を賜えりと、爾来千二百余年社伝によれば醍醐天皇昌泰3年9月15日再建、又、文政8年9月17日再々建。
延喜式神名帳、本国帳にも記されて由緒ある社であった。古くは瀬古以外八ケ村の総鎮守と仰がれた。昭和20年5月14日被爆焼失するも、36年4月再建の上今日に至れり。」
社殿は南向きに建つ。
拝殿屋根の鬼瓦には相殿として祀られている菅原道真に由来するのか「梅」の紋。
菅原道真の天神様に由来する「牛」の像もある。
本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。
境内末社には、熱田社、金刀比羅社、靖国社がある。
また、「高牟音頭」の石碑もあった。
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