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綿神社から北東へ2kmほど、庄内川の支流の矢田川の近くの住宅街の中に式内社の「別小江神社」はある。
「別小江」というのは「江(川)」の「別れるところ」という意味だそうで、庄内川と矢田川の分水点に近く、その名にふさわしい。
神社の石標から鳥居までは一般道が続く。
由緒の略記がある。
祭神:いざなぎ、いざなみのみこと、あまてらすおおみかみ、つきよみのみこと、すさのおのみこと、ひるこのみこと
「延喜式神名帳に尾張国山田郡別小江神社、本国神名帳に従三位別小江天神とある官社でした。
往古(ここより約300m東北の)千本杉と称する所にありしを天正12年(1584)織田信雄の命により現在地に遷座す。
昭和20年5月(1945)戦火にあい焼失し、昭和41年10月(1966)再興す。」
境内末社:八幡社(じんくうこうごう、ほんだわけすめらみこと)、日神社(あまてらすおおみかみ)、金刀比羅社(すとくすめらみこと)、御嶽社(おおみぬいのみこと)、津島社(すくなひこなのみこと、はやすさのおのみこと)
特記として、
「当社は古くより安産・小児の守護神・寿命の神様として源義家・為義郷を始め織田・豊臣・徳川公代々の崇敬最も厚かりし神社なり。
枯れた杉の大木は(夫婦杉)天然記念物です。
名古屋市の史蹟名勝となっている。」
拝殿は、簡素な造りで、その向こうにコンクリート造りの祭文殿、本殿が、南南東向きに建つ。
本殿は、神明造り
拝殿正面には、「五三桐」の紋が掲げられている。
社殿の向って右に「御嶽社」が祀られていて、その中の石碑に「神武天皇・日本武尊・明治天皇」と刻まれている。
この日はここまで、自転車で2時間足らずで帰り着いた。
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番外篇 名古屋を歩く
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多奈波太神社から北東へ1kmほどのところの住宅街の中に、式内社の「綿神社」はある。
入口は狭いが、境内は思ったより森が大きく広い。
由緒書板があり、
「祭神 玉依比売命(神武天皇の御母)、応神天皇(八幡様)
(一)綿神社の創建は大変古く文字の使用もなかった弥生前期に九州の弥生人が此の地に定住し稲作農耕文化を東海以東へ拡めた基となった。其の中核は北九州「志賀」の安曇部族であろう。即ち故郷九州「志賀」には祖神、海神の裔「玉依比売命」を祀り「海神社」と称し、此の新天地も亦「志賀」と偲び名し同じく玉依比売命を祀って「海神社」と称した。既に「延喜式」にも「尾張の山田郡綿神社は筑前志賀の「海神社」と同列の社なり」と記され本国帳にも従三位綿天神(略)綿は海の仮字にて(略)昔は此のあたりまで入海にてさる神社のおわしまししなり(略)とある。文字の転化は縁起や因縁等時代により珍しい事ではない。
(二)志賀村の領主平手政秀(織田家の家老で信長の師傳役(もりやく))は常に信長の奇行を心痛せるが、天文21年綿神社を再建し「願主政秀」と刻銘せる神鏡と自ら手彫りの狛犬一対を奉納した(信長も槍先一穂奉納)。政秀の祈願は察するに余りあるも祈願空しく翌天文22年正月13日遂に諫死するに至った。爾後信長の態度一変し天下平定の基を開いたのも実に政秀の誠忠に依る。即ち政秀なくば郷土三英傑の出現も又疑問ではなかろうか。
(註1)綿神社は尾張藩主の崇敬も厚く「別社児子宮」もあり御幼君には御札守り等も差し上げ、赤丸神事の例祭3月14日には子供を連れての庶人参詣群をなす様は「尾張名所図絵」にも描かれている。「児子宮」は徳川時代志賀村が東西に分かれた時、東志賀村へ移譲された。
(註二)慶長以後の再建も数度ありしが現在殿は太平洋戦火により名古屋城と運命を共にしたのを明治百年記念事業として昭和45年に完工されたものである。」
綿神社の「綿」は、海神の「綿津見(わたつみ)」の「綿」で「海」を表し、九州志賀島の安曇海人がこの地に移り住み、地名も「志賀」としたのだそうだ。
教育委員会の説明板もあって、祭神については、「誉田別尊(応神天皇)、玉依比売命、神功皇后」と、神功皇后も加わる。
玉依比売は、海幸・山幸伝説の山幸の妻である海神の娘豊玉比売の妹。
江戸時代は「八幡宮」となっていたとのことで、そのときに祭神の応神天皇と神功皇后は加えられたのだろう。
社殿は、コンクリート造りで、南向きに建つ。
拝殿正面の鬼瓦には「橘」の紋がつく。
拝殿内部の垂れ幕には、八幡さまの「三つ巴」の紋も見られる。
祭文殿はなく、本殿は流造りで千木・鰹木が載る。
本殿屋根の造りも美しい。
社殿の東側に南面して、瑞玉稲荷大明神と浅間大社・秋葉神社、四十八祖社が祀られている。
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11月18日午後、また自転車で北区の式内社をまわった。
家から東へ20分ばかり、名古屋城のすぐ北にある「多奈波太神社」へまず寄った。
教育委員会による説明板があり、
「平安時代に編纂された「延喜式」に「山田郡多奈波太神社」と記される格式の高い神社で、主祭神は、天之多奈波太姫命(あめのたなばたひめのみこと)(天之棚機姫命)である。
「尾張名所図会」にも「田幡(たばた)村にあり、七夕の森といひて、例祭七月七日、燈(ともしび)をかかげて諸人参詣す」とある。昔からの祭礼風景が七夕祭りとして現在も続いている。
社殿は、昭和20年5月の空襲で消失、昭和39年に現在の木造銅板葺きに復興再建された。」
例大祭 8月7日
茅輪祭 7月7日
ということで、7月7日は、夏の病気除けの茅輪くぐりが行われるようで、七夕祭が行われているわけではなさそうだ。
来年は見にきてみようと思う。
祭神は、「式内社調査報告8」によれば、天之多奈波太姫命遺骸にも、応神天皇、大山津見神、素戔鳴尊、天照皇大神、大己貴命も祀られているそうだ。
社殿は、南南東向きに建つ。
拝殿正面には、「五三桐」の紋がみられ、鬼の部分には、「ゆり紋」のような紋がつく。
正面の蟇股にも「五三桐」の紋がつく。
社殿は、祭文殿は無く、拝殿の後ろには本殿が建つ。
本殿は流造りで、千木・鰹木が載る。
拝殿前の狛犬には、紅白の前掛けが掛けてあり、表情も可愛い。
境内には、「乳イチョウ」というイチョウの木が祀られている。
説明板によると、
「イチョウは、柱状の瘤(乳垂)が出来る事があり霊力の宿る神木といわれます。
多奈波太神社の「乳イチョウ」は樹齢が若いにも拘らず多くの瘤(乳垂)が垂れ下がっており珍しい存在です。
この乳イチョウの生命力にあやかり健やかで豊かな母乳にめぐまれたという逸話も聞かれ参拝の皆様の健康と幸せに役立てば幸いです。」
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12月5日午後、名古屋城の東、名古屋大地の北端に位置する式内社の「片山神社」へまた自転車で行って来た。
住宅街のはずれに大きな森が見えて、そこが片山神社だった。
教育委員会の説明板があり、
「社伝によれば和銅2年(709)の創建とある。延喜式神名帳にもみえている古社で、山田郡鎮座、19座の首位にあり、又国内神名帳には従三位片山天神とある。祭神は安閑天皇と国狭槌尊(くにさつきのみこと)の2神を祀る。安閑天皇の御生母が尾張連の祖の媛であったところからこの地に祀られたと伝えられる。」
先日行った西区の「六所神社」の境内にも安閑天皇が祀られていたが、名古屋市西北部は安閑天皇にゆかりがあるのだろうか。。。。
社殿は南東向きに建つ。
黄色にいろづいたイチョウやムクノキが美しい。
拝殿正面には、「桜」の紋がつく。
拝殿正面には、「龍」の飾りがつく。
拝殿内側正面にも「龍」の飾りがつく。
拝殿後方に続く祭文殿・本殿は、神明造り。
本殿は、棟持柱もあり神明造りだが、屋根は直線的ではなく、美しい曲線を描く。
社殿の両側に、境内末社が並ぶ。
境内者には、白山社・龍神大神、観音大神・浅間社、稲荷社・玉津嶋社(衣通姫命)・金刀比羅社・香良須社(少彦名命)・秋葉社があったが、玉津嶋社に祀られている「衣通姫命」というのは、ネット検索によると、
「記紀に登場する伝説上の女性。その名は、容姿が美しく、艶色が衣を通して光り輝いたことによるという。古事記の允恭天皇の皇女軽大郎女(かるのおおいらつめ)、日本書紀の允恭天皇の皇后衣通郎女(そとおりのいらつめ)(弟姫(おとひめ))の別名とされる。後世、和歌三神の一人として和歌山市の玉津島神社にまつられる。」
境内の木々が色づき美しい。
神社の有る大地から急斜面を下りると名鉄瀬戸線の高架が東西に走り、その線路沿いの道を名古屋城の近くまで走ったが、この道は車もほとんど通らなくて、気持ちよく走ることができた。 |
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雨の降らない日はできるだけ自転車で1−2時間は走ろうと思い、11月14日午後、西区内だが、庄内川を越えて比良にある「六所神社」へ行った。
この神社の本殿の隣に、式内社の「非多神社」と比定されている社がある。
鳥居をくぐった正面の蕃塀に、神社名と祭神が掲げられている。
非多神社の名は「非田神社」となっている。
社殿は、東向きに建つ。
拝殿屋根の鬼瓦には、「六所社」の文字。
正面には、「鴛鴦」だろうか、鳥と「龍」の飾りがつく。
上のほうには、「鯉の滝登り」の飾りがつき、中央の柱には「蛇腹」模様がつく。
拝殿の側面の蟇股にも鶏など、いろいろな鳥の飾りがつく。
拝殿の向こう正面にも、龍などの飾りがつく。
祭文殿、本殿は、神明造り。
本殿の向って左隣の小さな社が式内社の「非多神社(非田神社)」であろう。
「式内社調査報告8」によると、
「非多神社は、大正8年に堤防改修のため現在地に遷座された。」とのこと。
境内の小高いところに末社の社が並ぶ。
一箇所は、御嶽社(大己貴命・少彦名神)・渕嶋神社(山ノ神社)(大山祗命・伊奘諾尊・建御雷命)、
もう一箇所には、天王ノ社(素戔鳴尊・稲田姫命・八王子)・社宮司ノ社(保食ノ神)・金峯ノ社(安閑天皇)
が並んでいる。
金峯ノ社に祀られている安閑天皇は、継体天皇の妃になった尾張目子媛(おわりのめのこひめ)の第一子。
その弟の宣化天皇が祀られていないのは何故だろう。。。。
鳥居の向って左にこんもりと茂みがあり、「御嶽神社」が祀られている。
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