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星神社から庄内川の堤防を西へちょっと歩くと、堤防下に「五所社」がある。
由緒書の石碑があり、それによると、五所社は、創建は詳らかではないが、この地、中小田井の氏神で、地域の南端、堤防下に鎮座する。
祭神は、本殿に、八幡社(応神天皇)別名(誉田別命)と白山社(菊理比売命)が祀られていて、本殿の両脇、向かって左側に、熊野社(伊奘冊尊)、天神社(大己貴御尊)が、右側に神明社(天照大神)、愛宕社(迦具土命)の社が建ち、これら五つの社をまつっているので「五所社」と名づけられたそうだ。
蕃塀はなく、広場の向こうに南向きに社殿が建つ。
拝殿屋根には、「橘」の紋。
拝殿正面にすばらしい木彫りの鯉・鳩・龍の飾りがついている。
向こう正面には、祭神が八幡社の応神天皇ということで、「神功皇后と応神天皇を抱く武内宿禰の図」の飾りがつく。
側面にもいろいろな鳥の飾りがある。
祭文殿の中には、何かわからないものが掲げられている。
本殿は流れ造りで千木・鰹木が載る。
本殿にも鳥の飾りがつく。
本殿脇障子には、獅子の木彫りの飾りがつくが、わが子を谷に落とす図で、これは初見。
境内には、稲荷社、金刀毘羅社、秋葉社、津島社、国府宮社の末社も祀られている。
ちょっと寄ってみた神社だったが、すばらしい木彫りの飾りにめぐりあえて、うれしかった。 |
番外篇 名古屋を歩く
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時間はまたさかのぼって、1月3日の午後、やはり天気もいいことだし、ということで、私の最寄の名鉄栄生駅からすぐの、名鉄犬山線、中小田井駅近くの星神社へ詣でた。
庄内川の河川敷から大きな「庄内緑地公園があり、公園の外縁に堤があり、その堤から見おろせるところに神社はあった。
鳥居の脇に由緒を記した石碑があり、読みづらかったが、要約すれば、
「仁和年間(885ー888年)にこの地に住んでいた大江音人政盛の子孫により社が建立されたが、弘安3年(1280年)の戦火によって社殿を焼失。その後、藤原朝臣実秋によって復興された・・・・・。」
星神社は、小牧市にある「坂庭神社」とともに、式内社の「坂庭神社(さかにわじんじゃ)」の論社と考えられていているそうだが、由緒書には何もふれられていない。
祭神は、大己貴命、天香香背男(あめのかがせお)、牽牛織女。
天香香背男は、星の神であるそうだ。
鳥居をくぐった正面には、木製の蕃塀が立ち、社殿は南向き。
拝殿には、お正月ということでか、「七曜紋」の神紋がついた幕がかかっている。
拝殿屋根の瓦には、「菊」の紋。
拝殿の蟇股には飾りがついているが、残念ながら扁額で見えない。
拝殿と渡り殿の向こうの祭文殿にも神饌が並ぶ。
祭文殿には向拝がつき、その屋根には「七曜紋」がつく。
向拝の庇には「鶴」の飾りがつき、
蟇股には、「牽牛」にちなんだものか、「牛」の飾りがつく。
本殿は、八幡造銅板葺きで、屋根にはやはり「七曜紋」。
祭文殿の横に、天神社(少彦名命)、神明社(天照大神)、津島社(須佐之男命)、金刀比羅社(大物主神)、秋葉社(迦具土命)、稲荷社(倉稲魂命)、國府宮(大國主神)の境内社が並ぶ。
絵馬は、牽牛・織女。
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5月は熱田神宮で神事が続いて行われていて、昨日8日は「豊年祭」が行われた。
この祭は、神宮のHPによると
「「花のとう」と呼ばれ親しまれている農業神事です。「おためし所(西楽所)」に造られた畠と田を模した飾り物の出来具合により農家の方々自らが今年の作柄を占っております。境内には野菜の苗、植木等の市が並びます。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の道すがらあまねく人々に農耕・養蚕などの産業技術を授けられた御徳を今も感謝する祭りです。
祭りでは、西楽所内に神職によって作られた畠所(はたどころ)と田所(たどころ)の模型が飾られ、8日より13日まで一般に展覧します。農業関係者はこの田所、畠所の出来具合によってその年の作柄を占っております。」
朝8時開始ということで、7時ごろ家を出て、名鉄神宮前駅のスターバックスで朝食にして、7時50分ごろ本宮前に行く。
神主さんたちは、8時に神楽殿前に集合、本宮前の森の中の斎場で祓いの儀式をしたあと、本殿のなかへと入っていった。
神主さんたちはなかなか出てこなかったが、神楽殿前の西楽所では、その飾り付けが公開された。
西楽所の横で、1枚100円でこの飾り付けを描いた図を配布していたので私も1枚買った。
この図を手にした人たちは、人形の色とか、飾りつけの内容を書き込んでいる。
これで、どうやって今年の作柄を占うんだろうと不思議に思い、神宮の広報の人だろうか、いつもカメラで記録している神社の人に聞いてみると、ここに来ている人たちは、村というか、今は農協かもしれないけど、そうしたところからの代表の人たちで、飾り付けの様子を記録して、それぞれのところでこれまで録りためた図の記録とその年の状況を照らし合わせて今年の天候などを予測して、作柄を占うんだそうだ。
このあと、この日は快晴の朝ということで、まだ参拝者も少ない境内の新緑を眺めて楽しんだ。
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昨日5月5日は、熱田神宮の神輿渡御(しんよとぎょ)神事を見に行った。
子供たちの写生大会もあって、境内は賑わっていたが、祭目当ての人は昨晩の酔笑人神事より少し多いくらいか。
10時から神事が始まり、社殿前で祓いの祝詞があげられ、本殿前で祝詞があげられ出発。
南門をでてぐるりとまわって西門に向かう。
西門前では、また祝詞があげられ、神楽が舞われる。
そして榊を奉じて祭典は終了、また本宮へ行列が戻って、12時前に終了した。
この神事は、神宮のHPによれば、
「神剣が当神宮に還った故事にゆかりのある神事です。王朝絵巻さながらの装束で神輿(みこし)を中心に行列を整え、本宮から鎮皇門跡(ちんこうもんあと)の西門まで進み祭りを行っております。
酔笑人神事(えようどしんじ)の翌日に行われる神剣還座の故事に由来する神事です。天智天皇朱鳥元年(686)、神剣が当神宮に還座された際「都を離れ熱田に幸すれど、永く皇居を鎮め守らん」との神託(しんたく)にもとづくもので、「神約祭(しんやくさい)」とも称されます。当日は、雅やかな装束を着けた約100名の奉仕者が御神宝をささげ持ち、神輿を中心に行列を整え、本宮から正参道を経て鎮皇門跡(ちんこうもんあと・現在の西門)へと進まれ、皇居を護り鎮める祭典が執り行われます。」
「皇居を護り鎮める祭典」ということで、天武天皇当時の飛鳥浄御原宮の方向になる西を向いて祭典が行われるのかと思ったが、現在の皇居のある東を向いて行われた。
というか、大神のいます御輿は西を向いているので、西向きの祭典ということだろうか?
このあと、宝物殿によってみたが、ここで、昨晩の「酔笑人神事」は、「会影堂神事」とも書くということを知ったが、「えようど」という読みからすると、「会影堂」のほうがしっくりするように思う。
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昨晩、5月4日夕暮れ時の19時から、熱田神宮で酔笑人神事が行われたので見に行った。
「酔笑人」は、「えようど」と読むが、何故、「ようえど」ではないんだろう。。。。。
守衛のおじさんに聞いたところでは、例年30人ほどが見に来ている、ということだったが、昨晩は多くの若者がいて、100人以上が見に来ていた。
神事は暗闇のなかで行われ、オホ(私にはアハと聞こえたが)と言う声のあと、カチ・カチ・カチと木を打つ音が聞こえ、ピーヒョロリと笛が鳴って、ワッハッハと大笑いが響く。
この神事は影向間社・神楽殿前・別宮前・清雪門前の4ヶ所で同じように行われるので、我々も神職の行列について歩く。
この神事は、熱田神宮のHPによると、
「俗に「オホホまつり」「於賀斯(おかし)まつり」とも呼ばれます。祭員各自が神面を装束の袖に隠し持ち、内2人が袖の上から叩いて「オホ・オホ」と唱え、笛を合図に全員が大声をあげて笑う神事です。
この神事は、故あって天智天皇7年(668)から皇居に奉斎されていた草薙神剣が、天武天皇朱鳥元年(686)に再び当神宮に還座され、当時の神宮関係者が歓喜笑楽したという故事を今に伝えるものです。」
「故あって」というのは、以前も書いたが、新羅僧道行が熱田社から草薙の劔を盗んだが、失敗して皇居に納められていた、ということ。
「再び当神宮に還座され」というのは、天武天皇が病気になり、それは草薙の劔の祟りである、ということで、熱田神宮にもどされた、ということ。
天武天皇はこの病で崩御したそうだから、暗闇のなかで笑う、というのは、なにか呪いが成就した笑いなのだろうか。。。。
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