なべさんの中国情報

今年はブログを再開します。

番外篇 尾張を歩く

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全41ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


毎年7月中旬、今年2019年は7月20・21日に愛知県南知多町豊浜で「鯛祭り」が行われた。

「鯛祭り」とは、会場でもらったパンフレットによると、

「明治18年ごろ祭礼に興を添えようと「ハツカネズミ」の張りぼてをつくったのが最初といわれています。その後魚類になり、大正初期に「大鯛」に、昭和初期には胴内ではやしながら海に泳がせるようになりました。長さ10〜18mの竹と木の骨格に白木綿を巻いて作った大小鯛5匹が若者たちにかつがれ、街中や海を練りまわる奇祭です。その様子は海の祭りにふさわしく勇壮で、豊浜の象徴ともいえる「鯛祭り」、それは歴史と伝統の中で生まれ育ち、人々の心に深く刻み込まれた文化遺産でもあります。」

21日日曜日に見どころの「打ち込み」があるということで、21日早朝4時過ぎに車で家を出発、日曜日の早朝ということで道路は交通量が少なく、快調に走ることができて、6時過ぎ、2時間ほどで豊浜に到着した。

祭りは豊浜港の広場がメイン会場になっていて、その近くに駐車スペースはいくらでもあった。

幟が立つ「御仮屋」へ向かい、まずは参拝。

イメージ 1


神様は、お神輿で鎮座している。

イメージ 2


腹もすいたので豊浜といえば「お魚ひろば」、そこの食堂へ向かうと、「東部地区」の鯛みこしが出陣するところに行き当たった。

イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5


祭りの衆の着る法被も美しい。

イメージ 6


イメージ 7


7時過ぎに鯛みこしは港へ向けて出発、7時半ごろ、舟下ろし場から鯛みこしは海に入った。



みこしの担ぎ手が泳ぐのかと思っていたが、みこしの下に浮きをいれて海上に浮かし、船で引っ張られて鯛は港内を泳ぎ回る。

イメージ 8


「お魚ひろば」は8時から開くということで、ちょうど私も8時ごろ行きついたので、市場食堂で、海鮮丼(1500円)と缶ビール(400円)で腹ごしらえする。

イメージ 9

サザエのつぼ焼きとマグロの天麩羅もついて、まずまず。

祭りは「御仮屋」前で行われるが、本宮の「津島神社」も見ておこうと向かう。

イメージ 10


まずは参拝。

イメージ 11


境内は思っていたより小さく、御仮屋を作らなければこの祭りはできない。

9時ごろ車に戻り、インターネットで一仕事してから、キャンプ用ベッドを車の外に広げて11時過ぎまで一休み。

この日は曇り日で弱い風もあり、真夏の祭り見物には絶好の日和だ。

12時ごろから中村・鳥居・半月・東部の4地区の鯛みこしが御仮屋前の広場に集結するとのことで、11時半ごろ私も広場に行く。

御仮屋では、巫女さんの神楽奉納もあり、13時からまずは、2地区ずつの集団が「太鼓打ち」を奉納してから、14時ごろからいよいよ4地区の鯛みこしが御仮屋前に組まれた鳥居のような丸太組に突入する「打ち込み」が始まった。



丸太に激突すると「バリ・バリ」と音がして、破壊の快感。

打ち込みの時に若衆が「伊勢音頭」の歌詞を印刷した団扇を私の目の前に落としていってくれたので、それも最後に拾った。
この祭りでは、ずっと「伊勢音頭」が歌われていたので、この団扇は神様が授けてくれたと思う。

イメージ 12

番外もあったが、その歌詞は猥歌になっているので、自主規制。

東部地区の打ち込みが最後で、すでに15時20分を過ぎていて、少し離れた中洲地区の鯛みこしの海中遊泳はすでに始まっているようだし、少々疲れもしたし、見物はここまでにして帰ることにした。



国府宮 梅酒盛神事

毎年5月6日に稲沢の国府宮では、午前中に例祭があり、午後「梅酒盛神事」が行われる。
 
神社のHPによると、
 
梅酒盛神事は、当神社がこの地に御鎮座になった時の姿を現している神事です。十歳前後の男の子に装束を着せて「神代」(神様の代わり)として神事を行ないます。また、この日には氏子中より飾馬が献じられ、参道を駆け抜けます。これは、寛永3年(1626年)に日照りが続いた際、近隣の農民が五穀豊穣を願って高御堂村から飾馬を献じた事に始まります。この事から別名「馬まつり」として知られる神事です。
 
イメージ 1
 
 
13時半ごろ神社に着くと、飾り馬が奉納されているところで、20頭の馬がやってきて、内3頭は行列に参加して、あとの17頭が参道を走る。
 
 
行列は参道から町を一回りして、国府宮の境内の東にある「庁舎(ちょうや)」に入った。
 
行列の前に、すでに供饌などの神事はすんでいたようで、私が見れたのは、撤饌して神事が終わるところだった。
 
質素な庁舎に大きな榊が祀られて、古代の神事はこのように行われたのかなあ、、、と思う。
 
 
 
尾張一宮の真清田神社では、毎年4月29日10時に舞楽神事が行われていて、2011年に見に行ったことがあり、そのときに宮司さんが、久米舞を2,3年のうちに復活させます、とおっしゃてたんで、今年あたりはどうだろうと、昨日また見に行った。
 
イメージ 1
 
神社の森の新緑に、舞台や演者の朱が映える。
 
今年の演目は、
 
神楽  桃豊舞
 
管絃  音取
     傾盃楽急
     輪鼓褌脱
 
舞楽  振鉾
     胡蝶
     還城楽
     長慶子
 
桃豊舞、振鉾、胡蝶、長慶子は、前回と同じで、久米舞は残念ながら演目になかったが、蛇年にちなんでか、蛇が登場する「還城楽」が舞われた。
 
その舞は、いただいたパンフレットによると、
 
別名「見蛇楽」「還京楽」とも言うように、「教訓抄」によれば、蛇を好んで食する胡国の人が、蛇を見つけて捕らえ、喜ぶ様子を舞にしたとされています。
還城は凱陣を意味することから、大国では王の行列、還御の際に奏されるめでたい曲です。
 
 

田縣神社 豊年祭

昨日3月15日は、小牧の田縣神社で、男根御輿で有名な豊年祭があったので、見に行った。
 
田縣神社のHPによると、
 
「野も山も みなほほえむや 田縣祭」例大祭は国の内外で有名な豊年祭として、毎年三月十五日に執り行われます。この祭は直径六〇センチ、長さ二メートル余りの大男茎形(男性の性器)を毎年新しく檜で作成し、それを厄男達が御輿に担ぎ、御旅所から行列をなして当社に奉納し、五穀豊穣、万物育成、子孫繁栄を祈願する祭です。当日は世界各国からの参拝者で境内は埋まり、「見くらべて 笑えこの梅 あのさくら」の詩歌の如く、国境を越えてみな微笑む祭で、まさに「天下の珍祭」であります。
 
午前中に用事をすませ、11時ごろ家をでて名鉄で先日の大縣神社の楽田駅の次の「田縣神社前」へ向かう。
 
神社には12時ごろ到着、人出はまだこれからといったところ。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
神社に男根御輿がやってくるのは15時半ごろ、ということで、まずはお好み焼きで腹ごしらえをする。
 
出店のなかには「ばなちん」なるチョコバナナも売られている。
 
イメージ 3
 
竹串にささった男根形のペロペロキャンデーも売っていて、若くて可愛い女子がそれを舐めながら歩く様は、この祭りでしか見られないだろう。
 
14時にお旅所の熊野神社を御輿が出発するとのことで、まずは熊野神社を見に行く。
 
神社への途中に、「鳳輦(ほうれん)」という、祭神「御歳神」の御神像を納めた御輿が置かれていた。
 
イメージ 4
 
 
見た目は女神さまのようだが、御輿を見張っているおじいさんによると、笏(しゃく)を手にしているので男の神様かもしれないよ、と教えてくれた。
 
熊野神社は山の上にあり、石段を登る。
 
イメージ 5
 
拝殿前には、こけしのような小型の男根が並ぶ。
 
イメージ 6
 
この男根は、後の行列で女性が抱えて歩き、参拝者はこれに触って願をかける。
 
境内には、御前御輿(ごぜんみこし)と陽物御輿(ようぶつみこし)が安置されている。
 
御前御輿は、祭神玉姫命の背君である「建稲種尊」の御神像を御輿に納めてあり、その像はイケメンに造ってある。
 
イメージ 7
陽物御輿は、お供え物の『大男茎形』を御輿に納めてある。
 
イメージ 8
 
御輿のみの重量 約100kg。
陽物=大男茎形(おおおわせがた)は、素材、木曽檜 直径、約50〜60cm、長さ、約2.5m、重量、約250〜300kg。
 
「奉棒」と書かれた男根の幟がすごい。
 
イメージ 9
 
熊野神社の参拝を済ませ、神社の前で行列の始まるのを待つ。
 
 
御輿が田縣神社へ到着する頃には多くの参拝客でいっぱいになり、男根御輿が拝殿に入るところまで見て帰った。
 
 

津島神社 開扉祭

先日津島神社へ行ったとき津島駅から神社への道路沿いの商店などに3月12日の「開扉(かいひ)祭」のポスターが貼られていてこの祭りを知り、12日夜、見に行った。
 
津島神社のHPによると、
 
通称「おみと」、古来「由貴供祭(ゆきのくさい)」又「御戸開神事(みとひらきしんじ)」と称し、当社特殊神事中の厳儀。
以前は深夜一時に行はれていたが、諸般の事情により現時刻に改められた。
高杯の特殊神饌を内陣に奉奠し、「神」の象徴である本社・摂社奉幣の更新、葦で作られた大松明の奉献が行われる。
奉幣は、津島神社においては御祭神「須佐之男命」の象徴として、最も神聖で重要なものとして扱われており、津島祭を始め年間の祭礼の中において、奉幣を捧持し奉幣の前で祭儀を行なう神事が幾度かある。「開扉祭」に於いて更新される奉幣は、本殿の他、居森社・弥五郎殿社・八柱社・荒御魂社に頒幣される。
葭で作られた二本の大松明は、社務所前から東大鳥居前に移され、時刻点火後東境内をねり一気に楼門をくぐり拝殿前に供える。
この大松明の間を神職は本殿に進み、燃え盛る大松明の灯りの中祭儀が行なわれる。
大明火をかつぐと厄除けになるといわれ、以前は遠く遠州・三河から厄年等の参詣者達が争ってかついだ。今は、津島消防団の人達によって奉仕されている。
大明火の燃え残った葭は、箸の変わりとして用いると「中風除け」・「歯痛除け」の効き目鮮かと云い伝えられ、又、「厄除け」・「災難除け」のお守り「田の虫除け」として、今も参拝者は争って持ち帰る。
「開扉祭」の意は定かではないが、本殿御扉を開き内陣に神饌を供すのは、この祭典の他に「大御饌調進祭」があるが、これは津島祭の深夜行なわれる秘儀であり、参拝者が間近に拝する事は出来ないが、古書物によると廻廊は現在より一段高く作られ、「開扉祭」には廻廊間際にて参拝されていた様子が覗え、又、明治に神仏分離が行なわれるまで津島神社には神宮寺三寺が境内に祀られており、神社の祭礼には社僧が深くかかわっていたことも「張州雑志」等の古書によるとあきらかであり、参拝者が本殿を間近に拝する事が出来る仏教的な「御開帳」の意があるのかもしれない。
 
 
 
私は18:30ごろ神社に神社に着いたが、すでに大勢のカメラマンが陣取りしていた。
 
20時に太鼓が鳴り、大松明の練が始まる。
 
境内に入って燃え盛る松明はけっこうな勢いで、少し離れてビデオを撮っていたが、熱い。
 
私の後ろにいたお母さんが子供に、昔はこの火を持ち帰ってカマドの火にしたんだよ、と説明していた。
 
火が鎮まると、神職が境内の摂社の4社にも「奉幣」を祀るために周りはじめ、最初に「八柱社」へ向かい、神事の後一旦本社殿へ戻ったが、その時が21時すぎで、私はここまで見て帰った。
 
火が燃え盛る様は迫力があり、いい祭りを見ることができた。

全41ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
nab*sa*88c*m
nab*sa*88c*m
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事