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高田波蘇伎神社から東へ宇夫須那神社のほうへ戻り、北へ少し行くと式内社の「若栗神社」がある。
ニの鳥居をくぐると石造りの蕃塀があり、その向こうに社殿が 南南東向きに建つ。
ここも由緒書板はなく、「式内社調査報告8」によると、
祭神は、天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと )、応神天皇。
天押帯日子命というのは、孝昭天皇(第5代天皇)の皇子で、母は宇夫須那神社の祭神の餘曾多本比賣命(よそたほびめのみこと)。同母弟に孝安天皇。「日本書紀」によれば,和珥(わに)(のち春日(かすが))氏の祖先。「古事記」では天押帯日子(あめおしたらしひこの)命。春日,大宅(おおやけ),栗田,小野,柿本氏ら中央豪族の祖。
また、天押帯日子命は、羽栗臣の祖で、
「羽栗臣は、『孝昭天皇記』によると、孝昭天皇の皇子天押帯日子命の子孫であるとされ、葉栗郡において勢力をもつていた地方豪族であるが、式内若栗神杜とどういふ関係にあったかは、明らかでない」
「葉栗臣人麿の墓とされる古墳「人麿塚」は、島村の東北約一・五キロメートルの河田集落にある。『張州府志』の葉栗人麻呂の項には、「葉栗郡の人。天押帯日命の後なり。天武天皇朝に仕へ、葉栗の光明寺を創建す」とある」
拝殿屋根には、「若」の字がつく。
拝殿正面には「五七桐」の紋がつく。
本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。
本殿正面の外側には龍の、内側には鶴の飾りがつく。
本殿側面には、雲・鶴・波の飾りがつく。
脇障子には、獅子の飾りがつく。
社殿の両サイドにいかつい感じの狛犬がある。
応神天皇も祭神で、八幡社で良く見られる「向かい鳩」が刻まれた石台もあった。
境内社は4社あったが名称はわからない。
しかし、一つは蟇股に梅の紋があったので天神社だろう。
その社の側面には、初見の柄の飾りがついていた。
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番外篇 尾張を歩く
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宇夫須那神社から西へ少し行くと式内社の「高田波蘇伎神社」がある。
一の鳥居、ニの鳥居をくぐり、三の鳥居をくぐると、石造りの蕃塀がある。
蕃塀には、彫り物の飾りはない。
由緒書板はなかったが、「式内社調査報告8」によると、
祭神は、応神天皇、大綜杵命(へそきねのみこと)となっているが本来の祭神は未詳とすべき、とのこと。
大綜杵命というのは、物部氏、宇摩志麻治命五世の孫で、孝元天皇(第8代天皇)の内后また後には開化天皇(第9代天皇)の内宮・伊香色謎(いかしこめ)の父。
宇摩志麻治命の父神の饒速日命は、尾張氏の祖神である火明命と同一の神、ということで、この地域は尾張氏の祖に関係のある神様を祀る神社が多い。
社殿は、南南西向きに建つ。
拝殿屋根には、「菊」の紋がつく。
拝殿、渡殿、祭文殿、本殿と続き、祭文殿の屋根瓦には、「高田」の文字。
本殿は流造りで、千木・鰹木はつかない。
本殿にも目立った飾りはつかないが、側面に、「蛇腹」の紋が見られる。
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坂手神社の少し北、島村の集落の中に式内社の「宇夫須那神社」がある。
鳥居をくぐった正面に、石造りの蕃塀があり、「丸に並び柏」の紋がつく。
社殿は珍しく東向きに建つ。
ここも由緒書板はなかったが、「式内社調査報告8」によると、
祭神は、餘曾多本比賣命(よそたほびめのみこと)。
この姫様は、考昭天皇(第5代天皇)の皇后で尾張連、奥津餘曾の妹。
ただ、神社名は、「盧入姫(いおきのいりひめ)の産屋にちなんだものと考えられている。」とのことで、祭神も盧入姫との説もあるそうだ。
「盧入姫は『古事記』に五百木之入日売(いおぎのいりひめ)、『書紀』に五百城入姫と記し、景行天皇(第12代天皇)の皇女で、母は、天皇が美濃に行幸した時、妃とした八坂入媛という。盧入姫の産屋の地とする説は事実とは認められないが、その兄五百木之入日子が尾張連の祖建伊那陀宿祢の女志理都紀斗売(しりつきとめ)を嬰ったという伝承が『古事記』応神段分注にみえ、このような美濃と尾張の地理的環境・人的交流がこの盧入姫伝承を生み出したものとみられる。また、大毛の地の五百入塚をこの盧入姫の墓とする伝えはおそらく江戸時代に入って生み出されたものであろう。」
「祭神は景行天皇の御むすめ、五百城入姫命なり。御八坂入姫は、尾張大海媛の御孫なれば、其縁もて皇女此國に生れ給へり。」
拝殿屋根には、「丸に宇の文字」。
拝殿屋根の左右に、「鳩」の飾り瓦が載る。
本殿は、流造り。
正面には「龍」の、側面には「鶴」の飾りがつく。
本殿脇には大きな石が祀られている。
境内はそんなに広くはないが、社殿の北側に、「宇夫須那神社古墳」と刻まれた石碑がある。
尾張連に関係のある人が葬られているのだろう。
一宮の式内社は、尾張氏関連の古墳とともに建っているところが多いようだ。
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野見神社から次は式内社の「坂手神社」へ向った。
名鉄今伊勢駅のほうに戻り、以前、浅井古墳群を訪ねて歩いた道をまた歩いて名岐バイパスを横切り、県道152号にでて北上すると、県道沿いに坂手神社の大きな一の鳥居が西向きにあった。
鳥居をくぐってちょっと行くと、南向きに二の鳥居が立ち、不浄除の「透垣(すかしかき)」がある。
透垣の向こうには、立派な石造りの「神橋(しんばし)(太鼓橋)」がある。
橋には、昇り・下りの鯉の飾りがつく。
社殿は南向きに建ち、拝殿前の左右に樹齢百数十年御神木の楠がある。
拝殿正面の向拝には菊の紋がつく。
由緒書板はなかったが、「式内社調査報告」によると、祭神は不詳であるが、現在は「高水上神(たかみなかみのかみ)」ということになっているとのこと。
高水上神というのは、伊勢神宮内宮の摂社「坂手国生神社(さかてくなりじんじゃ)」や、末社「石井神社(いわいじんじゃ)」などに祀られている、灌漑を守る水上の神さまであるそうだ。
「このあたりは昔、大神宮の神領で、尾張国佐手原御厨といわれたそうで、倭姫命が神鏡を奉じて美濃国伊久良河宮から尾張国にお出でになった時、坂手神を祀り、樹木を伐らしめ大神宮の仮殿をお造らせになったと伝えられている。」
ということで、伊勢神宮とのかかわりが強いようだ。
神社のすぐ北の富塚の集落の中心部に浅井南古墳群のなかの「富塚古墳」があるそうだが、このときは気がつかず、古墳をみることはできなかった。
拝殿正面の蟇股には、ヨーロッパでいろいろなところに使われている「ユリの紋(フルール・ド・リスの紋章)」に似た意匠の飾りが見られる。
拝殿、廻廊、渡殿、祭文殿、本殿と立派な社殿が続く。
本殿は、流造りで千木・鰹木はつかない。
本殿屋根にも「ユリ紋」のような紋がつく。
境内には、東向きに、「坂手大神」と刻まれた大石が祀られている。
その隣にも大石が祀られていて、こちらは「天王社」の鳥居があるので、素戔鳴尊が祀られているのだろうか?
八幡社(誉田別尊)、八剣社(素戔鳴尊)、富士社(木花咲耶姫命)、春日社(天津児屋根神)、住吉社(底筒男命・中筒男命・表筒男命)の末社が祀られているが、この坂手神社は以前は、八剣社であったそうだ。
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時間はさかのぼり、今年の1月30日、一宮の北部地域にある式内社や八剣神社を訪ねて歩いた。
まずは名鉄「今伊勢駅」からその西南西にある式内社の「野見神社」をめざした。
前日からの雪がところどころ少し積もっていて歩きづらい。
社殿は、南向きに建つ。
祭神は、天穂日命(あめのほひのみこと)、野見宿禰命(のみのすくねのみこと)
天穂日命は、天照大神の第二子とされ、葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服してその家来になってしまい、地上に住み着いて3年間高天原にもどらなかった、という神さまで、野見宿禰は、天穂日命の14世の子孫ということだ。
私は気がつかなかったが、やはり「式内社調査報告8」によると、境内に古墳があるそうで、この地を治めた尾張氏の誰かかが葬られているらしい。
野見宿禰がその祖神とされているので、尾張氏は、野見宿禰から天日槍へとつながっていくのかなあ。。。
野見古墳は、
「直径約20m、高さ約1mの小規模な円墳で昭和36年5月に発掘調査をされたが墳丘は崩れ主体部は撹乱されていた。発掘の結果、滑石製模造品刀子二、瑪瑙製勾玉一、直刀二、鎧片、剣、鉾、鉄斧などが検出され、墳丘からは円筒埴輪の破片も出土した。この古墳に鏡が副葬されていたか否かは知るすべもない。主体部についても石材などがみられない点から木棺直葬であったろう。出土遺物から考えて前Ⅲ期(五世紀前半)に位置づけられる。滑石製模造品は尾張の古墳には余り例をみないが、五世紀代の古墳の祭儀にはしばしば用いられ、なかでも刀子は一度に数十箇を埋納した古墳もある。」
拝殿屋根などに神紋はみられなかったが、拝殿正面や本殿正面には「龍」の木彫りの飾りがつく。
拝殿後方に、祭文殿が続く。
祭文殿正面の蟇股には飾りがつく。
本殿は、流れ造りで、千木・鰹木はない。
社殿の後方に、「スダジイ」の巨木がある。
説明板によると、
「一宮市指定文化財。ブナ科。常緑の高木。樹齢およそ300年。
この種の樹木としては、まれにみる大木であり、樹勢はすこぶる旺盛である。樹皮は縦に裂け目がある。葉は二列生であり、互生する。広楕円形で先端は尾状に尖る。葉の長さは5〜15cm。革質で裏面に淡褐色の鱗屑があり、全縁に近いが上部に鋸歯がある。
6月に開花し、翌年秋に果実を生ずる。果実は他のドングリと違って、あく抜きせずに食べることができる。スダジイに似たものに、果実が小さくて丸いツブラジイがある。両者の葉の違いは、スダジイの葉の表皮組織が二層であるのに対し、ツブラジイは一層でできている点である。スダジイの実は、ツブラジイの実に対して長くて大きいので、果実があれば区別は容易である。果実がないとき、樹皮の裂け目の有無で判断することもあるが、何れか迷うことが多い。それより安定した性質の表皮層の数を顕鏡して調べたほうがよい。」
スダジイの実は食べれるようで、今11月だから拾いに行くといいかもしれんなあ。。。。 |



