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多度社でお昼になり、一行は、ぐるりと回って「ござらっせ」と同じ敷地にある地場産品を売る「あぐりん村」へやってくるので、私は先回りして、そこの食堂で昼飯を食べ、そこでイベントもやっていたのでそれをながめて一行がやってくるのを待った。
会場では棒の手の演舞があり、熊野社へ向った。
神社の石標のあるところは「馬宿」になっていて、地元の人たちが一行のやってくるのを待っている。
社殿は丘の中腹にあり、「大草城址」の石碑もあった。
社殿は、南向きに建ち、本殿には、千木はないが、鰹木が載る。
拝殿の瓦には「熊」の文字。
蟇股には、「蛇腹」模様がついている。
拝殿の内に、昔、オマントで使われたと思われる飾りが奉納されている。
巫女さんの神楽舞の奉納がはじまり、それを見ていると、警固の一隊が境内へ上がってきた。
神事は同じように進み、馬の走り込みも見ることができた。
警固隊が境内を去ると、境内は静かになるが、神楽奉納は続いて、最後に一人舞で締めくくられた。
神楽奉納の時、ドサッ、ドサッ、とおひねりが投げ入れられるのが印象的であった。
帰りは、神明社の近くにリニアモーターカーの「リニモ」の「公園西」駅があったので、また香流川の堤防の道を歩いて駅へ向った。
上郷地区からは、大きな観覧車が見えていたが、「愛・地球博記念公園」が次の駅であることを知った。
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番外篇 尾張を歩く
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「オマント」と警固の一行は、神明社の次は、「改善センター」を巡り「多度社」へ向った。
途中、香流川を渡る橋で、一行が多度社の地区の一行と合流する時に何か儀式が行われ、それも見所の一つであるらしいが、残念ながら私は一行の後ろのほうについていて、地元のおじさんに教えてもらったときはすでに合流が終わってしまっていた。
で、私は「改善センター」へは付いて行かないで、多度社へ先回りして一行を待った。
多度社は、香流川の川に沿った大きな森の中にある。
社殿は、南西向きに建つ。
拝殿屋根には、「多度社」の文字。
しばらくして一行が神社境内へ入ってきて、神社の境内を3周して、オマントの走り込みや火縄銃の発砲を目近で見ることができた。
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石作神社の駐車スペースの整理を担当していたおじさんに、今年は石作神社のある「岩作」では「オマント」は無くて、もう一つ東の地区の「上郷(かみごう)」で行われ、「ござらっせ」へ行けばわかる、と教えてもらったので、iPhoneの地図をみるとすぐ「ござらっせ」がみつかったので、それをめざして歩く。
「警固祭り」というのは、愛知県のHPによると、
「背に標具(ダシ)を乗せた馬を鉄砲隊や棒隊などが警固し、集落を練り歩き火縄銃を発砲する勇壮な祭りです。
豊年の見通しがついた年は、協議して警固祭りにすることが多かった。警固とは、ダシ飾りを付けた馬(オマントウ)の周りを守り固めることといい、いわゆる警護役と説明されるが、ケイゴを競子と記している町村もあり、はっきりしない。オマントウの警固役には、棒持ちと鉄砲隊があった。棒持ちは棒術を使い、棒の手という。」
「ござらっせ」というのは日帰り温泉施設で、そこで警固祭りの時間割や地図ののったパンフレットをもらった。
私が「ござらっせ」に着いたのが9時半ごろで、祭りは9時からすでに始まっていて、一行は「神明社」に向っていて、9:40〜10:30が神明社にいる、ということで、とりあえず私も神明社へ向った。
上郷地区は東西を小高い丘の連なりにはさまれ、中央を「香流川」が中央を北西から南東に流れる田園地帯で、神明社はその南東端に位置する。
社殿は丘の中腹に、西北西向きに建つ。
本殿は、神明社としてはめずらしく、流れ造り・
見所の「馬の走り込み」はすでに終わってしまったようで、拝殿では、可愛い巫女さんが神楽を踊り、広場では、子供たちによる「棒の手」の奉納が行われていた。
境内の裏のほうに今日の主役の「オマント」が休んでいた。
一行は、このあと上郷の田園地帯を、多度社、熊野社と途中23ヶ所で火縄銃の一斉発砲をしながら回る、ということで、私はとりあえず神明社の前で一行が出てくるのを待った。
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10月9日、ネットでお祭を検索していてみつけた「岩作のオマント」というお祭を見に行こうと、地下鉄東山線の「藤が丘」まで行って、そこから長久手まで歩くことにした。
「岩作」というのは、「やざこ」と読むということだが、これは地元のひとしかそうは読めないだろう。
祭りは、式内社の「石作神社」で行われる、ということで、まずは、神社へ向った。
神社は、岩作の街並の北に広がる田園のさらに北の丘陵にあった。
幟も立って、氏子の人たちも集まってきていて、駐車スペースの整理担当のおじさんがいたので、祭りの時間割を聞いてみると、今年は、岩作では「オマント」はないよ、というので、えぇぇぇ、となってしまった。
「オマント」は、長久手の3地区で毎年どの地区が開催するか話し合いで決めるそうで、順番ではないので、どの地区が開催するかはその年にならないとわからないのだそうだ。
で、今年は、もう一つ東の「上郷地区」で行われる、と教えてもらい、とりあえず、石作神社に参拝してから上郷へ向うことにした。
社殿は石段を登った丘の上に、南南西向きに建つ。
コンクリート造りで、本殿は流れ造りに千木・鰹木が載る。
境内の由緒書板によると、
「当社祭神は建真利根命と申し人皇54代仁明天皇のは承和元年(834)の鎮座である。後人皇第95代花園天皇の正和中これを修造すると伝えられる。
明治5年5月郷社に列せられて今日に至る。按ずるに当社は所謂式内郷社にして人皇第60代醍醐天皇の延喜年間に編纂せられたる延喜式神明帳に記載せられ其の由緒は極めて遠いのである。尚当社は往時山田郡に属していたが同群荒廃して愛知郡に編入せられたという。」
祭神の建真利根命については、「式内社調査報告8 東海3」によると、
「新撰姓氏録の左京神別下に石作連、火明命六世孫建眞利根命後也、・・・・とあって石作連は尾張氏の一族であり、古代の石作部であったと推定されている。故に尾張國には此の氏人多く、従ってこれを祀る社も多く存在している。延喜式神名帳の尾張國には中嶋・葉栗・丹羽の各部にそれぞれ一社づつ石作神社の名が散見できる。」
合祀祭神は多く、伊邪那伎大神、伊邪那美大神、天照大御神、武甕槌神、大山津見神、大山咋神、木花咲耶姫神、菊理姫命、王辰爾、大己貴命、応神天皇。
王辰爾(おうしんに)というのは、ネット検索してみると、6世紀中ごろの百済からの渡来人ということで、尾張氏とはどのようなつながりがあるのか、興味深い。
拝殿の向拝には、「五七桐」の紋。
拝殿正面の蟇股の飾りは、シンプル。
拝殿内の正面には、大きな鏡が祀られている。
両側には、鉾に掛けられた四方神の旗が印象的だ。
干支の額が奉納されている。
「萬歳」と刺繍された幡には、「鮎」と思われるお魚が図案されている。
神功皇后が鮎を釣って占いをしたということだが、それにちなんでいるのだろうか。。。。
社殿の向って左に境内社がならび、大きな社は「熱田社」で日本武尊を祀る。
熱田社の社には、正面には龍の、側面には獅子の飾りがつく。
石の小さな社もあって、これらは「山神」が祀られているのだろう。
樹高17m、幹周4.62m、樹齢約350年の「ツブラシイ」の御神木も印象的だ。
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虫鹿神社のある集落から、犬山カントリークラブのある丘をこえると、周囲を小山に囲まれた川合の盆地に入る。
盆地の中央を川が流れ、その両側には稲穂を垂れた田んぼが拡がり美しい所だ。
田んぼの向こうの小高い山の先端のところに「駒嶽神社」があり、駒嶽大神や御嶽山大神、水神様などが祀られていて、今井秋葉三尺坊の祠もある。
尾張富士も望まれて、ここからの眺めがすばらしい。
この山の奥へ続く小道を行くと「石作神社」があった。
社殿は、南向きに建ち、蕃塀はない。
由緒書きの石碑があり、
祭神は、天照皇大御神、菅原道真公、大己貴命、少彦名命、菊理姫命
「当社は今から約千年前の寛平3年に若宮の地に勧請された天神社がその始まりで天正15年神官中野開雲によって現在地に移された。その後江戸時代に白山社などが合祀され明治初年に村社の指定を受け石作神社と改称した。御祭神の一人菅原道真公は学問の神様であり明治初期には境内の舞台にて子弟の教育がなされた。」
ということで、どうも式内社ではないらしい。
そういえば、鳴海杻神社にあった説明板にも、「犬山市内には、大県神社・針綱神社・虫鹿神社・立野神社・諸鑑(もろくわ)神社で合わせて6つの式内社がある。」とあり、石作神社は入っていない。
もともと天神社であったということで、拝殿屋根には「天」の文字。
立派な祭文殿、本殿と続く。
祭文殿前には、天神様ゆかりの「筆」が下げられている。
本殿は、流れ造りで、目だった木彫りの飾りはついていない。
本殿正面の蟇股もシンプルだ。
本殿屋根には、天照皇大御神ゆかりの「菊」の紋がつく。
境内社は、熊野神社、琴平神社、津島神社、秋葉神社、稲荷神社、白山神社の社がある。
また、境内の一画に「天狂座跡」の石碑も立っている。
川合からバスで犬山駅へ帰ろうと思って、売店でバス停の場所を聞いて見ると、ここにはバスは通っていない、ということで、また一山越えて名鉄の「富岡前駅」まで歩いていくことにする。
川合の集落から富岡への道の口に、四辺に「御嶽山大神、金毘羅大神、天照皇大神、秋葉大神」と刻まれた石燈籠が立っている。
犬山の地は、御嶽信仰が盛んなようだ。
富岡へ向うゆるやかな峠道の途中、空き地の奥のほうに石塚が祀られているのが見えた。
そのときは気づかなかったが、写真を拡大してみると、嘉永7年(1854)とあり、刻まれている像は、津島興禅寺で見た「牛頭天王像」に似ている。
峠を越えると、日帰り温泉があり、1時間ばかり湯につかってのんびりして、送迎バスは土日は休みとのことで、また歩いて富岡前駅まで行き、名古屋へ帰った。 |



