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6月5日、熱田神宮の例祭とともに、境内南よりの東側にある「素戔鳴尊を祀る摂社の南新宮社でも、15時から「天王祭」が行われた。
谷川健一編「日本の神々 10 東海」によれば、1010年に疫病が流行したため、疫神を祀り幡や鉾で鎮静を祈ったのが起源だそうで、文明年間(1469−87)からは、松・欅(けやき)などの角材を藁縄で組み上げる巨大な「大山」を引き回していたそうだが、明治になって電線が張られて大山の運行が不可能になって、明治30年代には山車を舟にのせ、熱田の浜での夜祭の巻藁船としたが、戦後、船を浮かべる新堀川の汚染が進み、人々の生活も変わって、今は、東門、西門、南門に360個の巻藁提灯が飾られるようになったそうだ。
夜点灯された巻藁提灯や本宮に、巻藁御輿が奉納されていたが、本来は、南新宮社の天王祭のものなんだな。
天王祭の神事は15時からということで、とりあえず昼食の後、南新宮社を見に行くと、社に葭(よし)が飾られてりる。
南新宮社と並んで建つ「八王子社」、左側に南を向いて建つ「曽志茂利社(そしもりしゃ)」にも葭が飾り付けられ、その脇には、葭を並べて立てた台が置かれている。
津島市の素戔鳴尊を祀る「津島神社」の御神体は葭だそうで、素戔鳴尊と葭の結びつきがあるようだ。
棒の手の演舞をみてから、14時半ごろにまた南新宮社前にもどると、神事の準備はすでになされていて、八王子社と曽志茂利社にはすで御饌はお供えなれていて、15時に3人の神職がやってきて、神事が始まった。
南新宮社に続いて、八王子社、曽志茂利社でも神事が行われた。
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番外篇 尾張を歩く
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入見神社を見終わって、地図を見ると、内海の集落の西の端に「歴史民俗資料館」があるので、すでに16時を過ぎていたが17時までは開いているだろうと早足でそちらへ急いだ。
資料館は使われなくなった小学校の建物を使っているようだ。
入口は鍵がかかっていたが、インターホーンで図書館にいる担当者に連絡して来てもらって鍵を開けてもらった。
思ったより展示物が多くおもしろい。
内海というところは、江戸時代は「尾張船」「尾州船」という割れる千石船による海運が盛んであったことを知る。
そうした船には、「金刀比羅神社のお札」が祀られていた。
内海には、8300年前の「先苅貝塚」があるそうで、この地には古くから海を生活の糧にした人々が住んでいたそうだ。
平城京で見つかった木簡に朝廷に納められる「贄(にえ)」の品目が書かれていて、「佐米(サメ)」が納められていた、というのは面白い。
佐米は、肉を細長く裂いて塩につけて乾燥させた「スヤハリ」にして貢納していたとのこと。
昭和17年の巨大サメ捕獲の記念写真が印象的だ。
お祭で使われていたという山車(だし)「舟車」が美しい。
内海といえば、今は海水浴場で、私も子供の頃は毎年夏休みには隣の野間海水浴場に来ていた。
知多半島は、川が少なく、いい水と米は無いように思ったが、「富よし」という地酒があるようだが、今も造られているかは、町の酒屋が日曜休みで開いていないのでわからなかった。
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内海の集落に入って、山神社に寄ってから、集落の北東端にある式内社の入見神社へ向かった。
社殿は南向きに建つが、「式内社調査報告」によると、社地は上空から見ると「舟形」ということで、Googleの航空写真を見ると、確かに舳先を東に向けた舟の形をしている。
山の上からみるとその形が見えるかもしれないなあ。。。
祭神は、五男三女神とされ、古くは八王子社といわれたそうだ。
五男三女神は、天照大神と素戔鳴尊が誓約をしたときに、素戔鳴尊の剣から生まれた宗形三女神と天照大神の勾玉から生まれた、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 、天之菩卑能命 、天津日子根命 、活津日子根命 、熊野久須毘命 。
内海の地名の起源は、「昔は大きい入り江」であつたことにより、神社の境内近くまで海であったそうで、入見神社は、古来、内海の産土神であるそうだ。
拝殿は簡素な造りで、木彫りの飾りは無い。
本殿は神明造りで、社殿の両側には、御鍬社(宇気持神)、熊野社(伊邪那岐紳)、洲原社(菊理姫命)、白山社(菊理姫命)、粟島社(大己貴命.少彦名命)、峯島社(須佐之男命)、本宮山神社(入巳貴命)、金刀比羅社(金山彦命)、山神社(大山祇命)、八百萬社(八百万神)、稲荷社(宇賀魂神)と、多くの境内社がある。
神木の大きな楠の根本が大きな瘤になっているのが印象的だ。
境内社の粟島社などのあるところが石が囲いになっていて、その中に、100年以上前からの枯れてしまっているが朽ちてはいない木が、神木として祀られている。
その隣には、磐座も祀られている。
神社の北にある「祭八山」には、昔は「扇松」という数本の松と小さな祠には鏡が置かれ、よく光つて遠くからも見えて、航海の目印になっていたそうだが、伊勢湾台風によって、その見事であつた松も折れてしまい、祠も鏡もなくなってしまったのだそうだ。
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内海(うつみ)の一つ師崎(もろざき)寄りの集落が山海(やまみ)で、砂浜は海水浴場になっていて、大きなホテルもある。
山海の集落の西の端に「乃野神社」があった。
海に面した南側にも鳥居はあったが、社殿は東向きで、社標と鳥居が社地の東側にある。
由緒書の掲示板はあったが、文字がかすれて読みづらい。
祭神は、「豊受比賣命」ということで、伊勢の度会氏との関係があるだろうか。
拝殿は簡素な造りで、内部に、三つ巴の紋が見られた。
本殿は、屋根は流れ造りのようだが、棟持柱、千木、鰹木があって、神明造りとの合体形だ。
境内には、津島社、庚神社、離れて、子安社、山神社、海神社、金刀比羅社、津島社、御鍬社の末社が建つ。
そして、「神武天皇○拝(○は難しい字で読めなかった)、天照皇大神」の石塚が2つ並んで立っている
乃野神社をすぎると山手に「荒熊神社」の赤い鳥居がみえて、山頂に本殿がある。
山海の海岸をあるいていると、上空にはトンビの群れが輪をかいている。
内海の集落へ入る手前の山の上に熊野社がある。
社は南向きで、流れ造り。祭神は、伊奘冊尊。
石塚と磐座があったが、山神様を祀っているんだろうか。
山から下りて街道を進み、川を渡ると内海の集落に入るが、ここで、師崎からのバスに追い抜かれた。 |
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豊浜の中心地を抜けてしばらく行くとまた漁港があって、集落になりその中心、「中之浦」に「中州神社」があった。
街道沿いの一の鳥居から集落に入り、集落を横切った後方の丘の崖を背にして社殿は南向きに建つ。
以前は「中須神社」とも書いたようで、その社標もある。
拝殿の瓦には、「沢瀉 (おもだか)」の紋がつく。
本殿は、覆屋の中で、形はわからない。
由緒書の掲示板などは無かったが、ネット検索したところ、祭神は、猿田彦命、国常立尊 で、尾張氏にかかわるものではないようだ。
境内社もみな覆屋の中にあり、天泊社宮子、津島神社、金刀比羅神社、多賀神社、御嶽神社、秋葉神社、春埜神社、山ノ神社、皇大神宮、蛭子社がある。
「天泊社宮子」とはどういうものだろうとネット検索してみたが不明。
ここからまた内海へ向かって歩き始めると、商店の店先に、「鯛祭り」で使うものか、鯛の御輿か山車か、が飾ってあった。
海辺には、ユリカモメの群れやマガモがいる。
しばらく歩くと、真新しい社殿の「天神社」に行き当たった。
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