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先週金曜日の5月13日、熱田神宮で「御衣祭」神事が行われた。
この神事は、神社のHPによれば、
「熱田大神様に衣料を奉り、衣更えをしていただくお祭りです。「大一御用(だいいちごよう)」の大幟を先頭に立てた行列が本宮へと進みお祭りが行われます。」
昨晩まで降り続いた雨も上がって快晴。気持ちのいい空気の中で神事が行われた。
11時まえに行列が東門を出発して始まった。
この神事では、神様が衣替えをするための絹布の「和妙(にぎたえ)」と麻布の「荒妙(あらたえ)」が奉納される。
稚児行列も続き、巫女さんの白と赤の姿もすがすがしく、1時間余り見学した。
神事が終わると、巫女さんによって、一般の参拝者にもタオルが配られて、私もいただいてきた。
「大一御用」の幟を捧げて行列するのが特徴で、「大一がお用いになる」、ということで、「大一」というのは、ここでは「熱田大神」であるのだろう。
中国で手にいれた「鬼神 図説中国伝統神秘文化」という本によると、「東皇太一」という戦国時代、楚国で祀られていた天神があり、「太者、広大之名。一以不二為称」とあり、「大いなる唯一無二の神様」ということだろう。
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番外篇 尾張を歩く
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管弦が2曲奏でられたあと、楽器を片付けて、また舞楽になった。
まず、「振鉾(えんぶ)」という御祓いの舞が演じられた。
目録によれば下記のように解説されている。
「御祓いの舞とも言われ、舞楽を奏でる際、国家の安泰・雅音成就を祈り、また舞台を祓い清めるために舞われ、周の武王が天地の神々に戦勝を祈った様をかたどったのが起源といわれています。左方の舞人が初節を、次いで右方の舞人が中節を舞い、最後に左右両方の舞人で後節(合鉾(あわせほこ)という)を舞います。」
司会者によれば、左右の舞人が揃っていないようにみえるけど、それは下手なのではなくて、左方、右方で振りが異なるためです、と注釈していた。
次が「胡蝶(こちょう)」
「高麗楽のひとつで高麗壱越調に属する曲です。醍醐天皇の御世である延喜8年、宇多上皇が子供の相撲をご覧になったとき、山城守藤原忠房が作曲し、敦実親王が作舞したといわれています。童子が背に蝶の羽を負い、天冠と手に山吹の花を戴いた4人の童子が舞います。」
本来は、童子が舞うんだそうだが、ここでは若い巫女さんによって舞われた。
次が「抜頭(ばとう)」
「天竺(インド)または林邑(ベトナム)由来の曲であり、「楽家録」によれば猛獣に親を殺された胡国の子供が、その猛獣を探し求めて仇を討ち、歓喜する様子をあらわしたものといわれています。左方と右方の二様が伝わっており、装束、面などもすべて共用です。今回は左方として舞います。」
鬼の面が印象的だ。
そして、舞楽の最後は、「落蹲(らくそん)」
「高麗楽に属する一人舞で、二人舞の場合は「納曽利(なそり)」と称します。龍が遊び戯れる様を舞にしたものと伝えられます。古くは相撲や競馬(しらべうま)などの勝負時に右方の勝者を祝して奏でられたようです。」
最後は、「長慶子(ちょうげいし)」という管弦で、〆られる。
「この曲は平安期に源博雅卿が作曲した管弦曲で、舞楽の退出音声として奏でられます。曲調の長く整った格式のある名曲です。」
12時すぎに演目は終了して、ビデオカメラを持つ手が随分疲れてしまい、両足のふくらはぎも張ってしまい、いまだに痛い。
が、今日は熱田神宮で舞楽神事があるので行ってみようと思う。
ただ、あいにくの雨で、10:30から始まるそうだが雨でもやるのかなあ。。。
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昨日、4月29日に尾張一宮の真清田神社で「舞楽神事」が行われたので見に行った。
神社でいただいた「管弦舞楽目録」に雅楽について、下記のように解説があり、勉強になった。
「雅楽とは、俗楽に対する「雅正の楽」(正統の音楽)という意味を持っており、大宝律令(701)で官中に創設された雅楽寮(うたまいのつかさ)(大陸・朝鮮半島等)の音楽と舞を指します。現在広義的に使われる「雅楽」の意味は、これら外来の音楽に加え、日本古来の音楽(国風歌舞(くにふうのうたまい))や平安期に作られた歌曲をふくんだものであります。 雅楽の演奏形態は主として下記のように大別されます。雅楽とは古来日本人が守り伝えて来た独自の音楽と、古代において日本に渡来した音楽とが混含し現在まで連綿として伝わるものです。
舞楽 左舞(唐楽) 大陸、南方より伝来
右舞(高麗楽) 朝鮮半島より伝来 管弦 唐楽に属し六調子(壱越調・平調・双調・黄鐘調・盤渉調・太食調)から成る
国風歌舞 神楽歌など(日本古来のもの)
真清田神社には鎌倉・室町期に製作された舞楽面が多数保存されていることから、古くら舞楽が盛んに行われていたことが窺えます。保存されている舞楽面の内容は[「陵王(りょうおう)」「還城楽(げんじょうらく)」「八仙」「納曽利(なそり)」「貴徳(きとく)」「抜頭(ばとう)」など多岐にわたり、その多くが国の重要文化財に指定されています。即ち真清田神社が雅楽の歴史上担ってきた役割は大きいものといえます。なかでも特筆すべきは神楽「久米舞」(久米歌〉についてです。現在でも宮中の即位礼に必ず奏されるこの舞は室町時代に一度途絶え、さらに江戸時代の文政年間に再興されるのですが、尾張藩に仕え、当神社と親交の深かった名古屋の国学者である「河村秀根(ひでね)」が、当社の神職家「林三之権(はやしさんのごん)」の烏帽子箱の中から久米舞楽譜を発見し、その子息である「河村益根」がこれを紹介したという出来事がこの舞の復興につながったのです。」
このように真清田神社は神武天皇東征にゆかりの久米舞の復興に寄与したそうで、現在、真清田神社でも習得に努めているそうで、来年か再来年の舞楽神事で披露されるそうだ。 さて、昨日は御前10時開演で、天気にも恵まれて爽やかなひと時をすごす事ができた。
まずは、神楽の「桃豊舞(とうほまい)」から始まった。
目録には下記のようにある。
「昭和47年4月3日当社御鎮座2600年祭斎行の際、神宮斎主北白川房子様より当社に賜った御歌「ますみ田の、神のやしろのとことはに、いやさかゆくを、いのりつづけむ」に元宮内庁楽部主席楽長東儀文隆先生が作曲、元宮内庁楽部楽長薗廣晴先生が作舞した神楽舞で、当真清田神社の隆昌を祈る舞として祭典・結婚式を始め様々な機難鞠神前で奉奏されています。」
次に管弦が2曲で、目録には下記のように解説がある。
「古代中国の音論では複雑な楽理からなる多数の調子があり、それが日本では6つの調子にまとめられました。今回はその中でも壱越調(いちこつちょう)(西洋音楽におけるD音を基音とする)の管弦楽曲を2曲演奏します。」
ビデオは2曲目の「酒胡子(しゅこし)」
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「一宮の式内社・八剣社を訪ねて歩く 」と題して、「その10、大神社」までを記して、あの大津波があって、テレビに映し出された光景に圧倒され、人間が勝手に想定するものをはるかに超えた自然の猛威を目の当たりにして、無力感・無常感におしつぶされ、気が重くなって、ブログを更新しないままに49日が過ぎた。
この昨年12月26日の神社めぐりは、一宮市の「真清田神社」とその近くの「八剣社」で帰ったので、とりあえずはそこまで、締めくくろうと思う。
大神社から国道65号線を北上、途中名鉄線を東に横切ってさらに北上して「一宮市博物館」に寄る。
以前訪れた「浅井古墳群」からの出土物などを見ることができ、図書コーナーでいろいろ閲覧してしばし休憩。
博物館からまた北上すると、本町商店街にでて、その先に真清田神社がある。
真清田神社については、細矢藤策著「美濃尾張の鉄 そして渡来人」(春日井シンポジウム4「渡来人」)によると、「江戸中期までは祭神を金山彦命・村国雄依・彦火火出見命とし、「村国南宮大社」と呼ばれていた。美濃の南宮大社は前述の通り鍛冶神である。この祭神と社名から、雄依は鍛冶にかかわる神として祀られていたのである。社名のマスミは『万葉集』に「わが目らは真墨の鏡(三八八五)」とあり、『日本書紀』に天照大神の誕生に関して「白銅鏡(ますみのかがみ)」とあるように、澄んだ鏡の形容語である。」
「村国雄依」は、壬申の乱での天武天皇の功臣。
現在の祭神は、尾張氏の祖、天火明命ということになっている。
商店街を抜けた正面に美しい楼門が建ち、お正月を前にして「迎春」の幕がかかっている。
門には「「丸竹に九枚笹(まるたけにくまいざさ)」の神紋がつく。
蟇股は、九枚笹の中心の三枚笹のデザイン。
真清田神社のHPによれば、社殿は、楼門を入って正面に拝殿(切妻造)、祭文殿(切妻造)、渡殿(切妻造)、本殿(流造)を連接したもので、「真清田造り」と呼ばれるそうだ。
社殿は、南向きに建つ。
拝殿屋根には、菊と九枚笹をさらにデザイン化したものだろか、楼門の紋とは違った紋が付く。
拝殿の蟇股は笹の葉も見られるが、また違ったデザイン。
本殿は流れ造りだが、千木・鰹木が載る。
あとでぐるりと神社の裏側にまわって、平成5年に造営されたという、荒御魂を祀る「三明神社」も後方から拝んだ。
社殿の向かって左側に、昭和40年に造営されたという「服織神社」が建つ。
その他、神明社、天神社、犬飼社、愛鷹社、愛宕社、厳島社、八龍神社、秋葉社、須佐之男社、稲荷社、三八稲荷社の末社がある。
須佐之男社のある小高い森のなかに、烏骨鶏が放し飼いされていたが、これは大和の石上神宮のように「神鶏」なのだろうか、ただ誰かが放していったものなのか、わからない。
夕暮れせまり、かなり薄暗くなってきたが、最後に、市役所の先、NTTビルの近くにある「八劔社」へ向かう。
県道190号線に面したビルの後方に小さな八劔社の社はあった。
境内には「空円上人」というお坊様の石塚がある。
この日はここまで、一宮駅前のホルモン焼きで一杯やって帰った。 |
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二之宮大明神から西へちょっとで名鉄の島氏永駅があり、踏切を越えてもうちょっと西へ、国道65号に面して式内社の「大神社」がある。
そのあたりは、「大和町於保(おほ)」の集落になる。
「おほ」は「おお」だろうが、神社の「大」は、大和の大神神社ゆかりの「大田田禰子」の「おお」で、多氏、太氏と同族、鍛冶に関係する氏族だ。
社殿は、南向きに建ち、正面には、木製の蕃塀が立つ。
後方の幣殿正面には、庇には鳥の、蟇股には亀の飾りがつく。
そして正面左右には、因幡の白兎の飾りがつく。
屋根には、「五三の桐」の紋。
本殿は流れ造りで、千木・鰹木はない。
遠く西北方向に、雪をかぶった伊吹山を望むことができる。
冬、尾張から見る伊吹山は白い獅子のような荒々しさを感じる。
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