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番外篇 尾張を歩く

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生田明神社から南へ少し行くと、五条川が蛇行して東西に流れ、それを渡った南の住宅街の中に、これも式内社「生田神社」の候補の一つの「生田神社」がある。
 
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社域は小さく、社殿はコンクリート造りで、南南西向きに建つ。
 
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ここも由緒書はなく、「式内社調査報告8」によれば、
 
祭神は、稚姫命。
 
拝殿屋根には、「五七桐」の紋。
 
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拝殿にくっついて流造りの本殿が建つ。
 
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境内社は見当たらなかった。
 
社叢もなく、小じんまりした神社であった。
神明生田神社沿いの道を、旧道になってもそのまま道に沿って進み、名鉄「大山寺駅」の近くで西へ向うと、集落のはずれに、これも式内社「生田神社」の候補の一つの「生田明神社」がある。
 
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社殿の裏側にも鳥居が立ち、こちらに社標が立っている。
 
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由緒書はなかったが、これも「式内社調査報告8」によると、
 
祭神は、倉稻魂命。 相殿 大日孁命(大正8年12月22日に合祀)。
 
拝殿前には、石造の蕃塀が立ち、上部に龍、下部の真ん中には珍しい「羊」、左右に「獅子」の飾りが付く。
 
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社殿は、南南西向きに建つ。
 
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拝殿正面・後正面には、「強力」、「龍」、「因幡の白兎」の飾りがつく。
 
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「強力」は、いい表情をしている。
 
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拝殿の鬼瓦には「生田」の文字。
 
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祭文殿、本殿と続く。
 
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本殿は、流造り。
 
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本殿の側面には、「鍵」、「巾着袋」、「因幡の白兎」の飾りがつく。
 
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いろいろな場所から出土したという大石が境内のあちこちに置かれていて、その出土地の表が掲げてあった。
 
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熊野神社からまた五条川の堤を南下、名鉄岩倉駅近くの、式内社「生田神社(いくたじんじゃ)」の候補の一つ、「神明生田神社」へ向った。
 
神社の鳥居は、旧街道らしい県道25号線沿いに西を向いて立つ。
 
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社殿は、南向きに建つ。
 
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由緒書はなかったが、「式内社調査報告8」によると、
 
祭神は、大日孁命・稚日女命。
 
「大日孁命は、神明の名称に由来し、稚日女命は生田より来ている。」とある。
 
拝殿の鬼瓦には「橘」の紋。
 
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拝殿と祭文殿の間のイチョウの木が美しい。
 
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本殿は、神明造り。
 
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境内に、「山内一豊誕生地」の石碑がある。
 
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こちらには、説明板があった。
 
「山内一豊は天文14年(1545)岩倉城の家老山内但馬守盛豊の二男として、この地に誕生した。
 大正8年(1919)2月神明生田神社の遷座式に一枚の棟札が発見され、これが一豊のこの地での誕生の有力な資料となり、山内家では史家沼田頼輔文学博士に調査を行わせ、岩倉のこの地を一豊誕生の地と認め、ここに贈従三位山内一豊公誕生地の碑を建てた。・・・・・・・。」
 
山内一豊は、NHKの大河ドラマ「功名が辻」の主人公で、その記念碑も立つ。
 
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このドラマ全49回は、私も「NHKオンデマンド」で何日かかけて観たが、結構面白い。
 
神社沿いの県道25号を南下して、県道は曲がってしまうが曲がらずに旧道をまっすぐ進むと、「神明太一宮二神門旧蹟」の石柱が立っていた。
 
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神明社から五条川の堤を南へ、式内社の「立野神社」の候補の一つの「熊野神社」へ向った。
 
この堤の道は、以前曽本二子山古墳から八剣社へ行く時に歩いた道だ。
 
熊野神社の鳥居は五条川の堤のすぐ下にあった。
 
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鳥居から真西に住宅街の中を参道が続き、県道157号を渡った向こうに、「熊野神社」の石標がある。
 
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由緒書はないが、「式内社調査報告8」によると、式内社の「立野神社」の候補になっているのは、この熊野神社の本社ではなく、「立野天神社」というのが熊野神社の飛地境内社として別にある、とのことで、「立野天神」は、またの機会に訪れようと思う。
 
拝殿前には石造の蕃塀が立ち、龍と獅子の飾りがつく。
 
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社殿は東向きに立つ。
 
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拝殿屋根の鬼瓦には「熊野社」の文字。
 
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拝殿の前面・後面には、鳥(鳩でも鷹でもなさそう)の飾りがつく。
 
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本殿は、覆屋の中にあり、神明造りでもなく、流造りでもない、「日吉造り」のような様式だ。
 
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本殿にも鳥の飾りがつき、この姿からすると「八咫烏」かもしれない。
 
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社殿の南脇には、「秋葉三尺坊大権現の石塚」と小さな社がある。
 
社殿の後方には「若一皇子祠跡」の石柱が立つ。
 
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「「若一皇子祠跡」と「王子の木」伝承」の説明板がある。
 
「神野墓地の一画に、昭和60年ごろまで胴回り2mもある榎の大木が立っていた。石柵で囲まれていて、その柵内に「若一皇子祠跡」と彫られた此の石碑が立てられていた。
 文治5年(1189)、紀州熊野党の鈴木三郎重家は、奥州衣川高館で、源義経を護って藤原泰衡の軍と戦い、義経らとともに討死した。
 重家の安否をたずねて、紀州熊野から出かけて来た重家の眷属(妻子・一族・従者達)は、尾張の国まで来たところで、重家討死の詳細を知り、進みもならず、熊野へ帰るも出来ず、この地に留まることになった。
 護持して来た御神木を植えて若一王子の御守を祀った。のちに、御神木は「王子の木」と呼ばれ、その傍らには、小さな祠があったと伝えられている。彼らはまた、眷属の守本尊の阿弥陀如来(熊野本宮証誠殿の本地)像を村内にお堂を建てて安置したと言われている。」
 
社殿の北隣には、弘法さまゆかりの「岩倉廿一大師第十七番」の祠が建っている。
 
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片山八幡社から西へ、五条川のほとりに式内社の「井出神社」の候補の一つの「神明社」がある。
 
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拝殿前に石造の蕃塀があるが、彫り物の飾りはない。
 
由緒書はなかったが、「式内社調査報告8」によると、
 
祭神は、大日孁尊。
大日孁尊は天照大神と同神で、神明社の祭神であって、「井出神社」の祭神は、不詳としている。
 
社殿は、南南西向きに建ち、拝殿は、土間形式になっている。
 
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本殿は、神明造り。
 
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境内の西側に、神楽殿がある。
 
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境内社は、社殿の西側に1社、津島社があるだけだった。

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