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番外篇 尾張を歩く

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師崎の左義長 その2

神護寺から左義長の行われる漁港へ向った。
 
左義長は、的場、鳥西、鳥東、栄村、荒井の5地区で行われるが、羽豆神社に近い的場地区から順に点火されていく、ということで、まずは的場地区へ向った。
 
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前日は雨だったが、この日はいい天気に恵まれ、厚着をしていた私は暑いくらいだったが、ふんどしいっちょうの若衆は海水をかけられ、気合十分であった。
 
 
「一年の無病息災を祈願する師崎の冬の風物詩。
 身を切るような寒さの中、裸の男たちが高さ10m幅3mもの大漁祈願大幟を立て、正月飾りとともにこれを焼き尽す勇壮な行事です。
 和紙で作られた長さ10m、幅3mの大のぼりで判じ物(はんじもの)が書かれている。
 大のぼりの張り綱を引っ張る者、大のぼりの根元を支える者、この両者の呼吸がぴったり合って、火のついた大のぼりが倒され、また起こされたりして、あたり一面は焔と煙でいっぱいになり、今年の大漁を祈る漁師の心意気が見物している人たちの胸にひしひしと伝わってくる。」
 
大幟を倒す前に、船をかたどった御輿に火をつけて燃やしながら海へ入っていくが、これは日露戦争の戦勝を祝って始まったそうだ。
 
大幟を倒したあと、太い竹の旗竿を立てては倒し、竿が折れるまで何度も竿をバタン、と倒す。
 
 
竿が折れ、若衆が退場すると、餅撒きがあり、竹竿の先に針金で吊り下げたアルミホイルで包まれた餅も限定100本配られて、多くの人は餅撒きのほうへいっているので、こちらは私も、姫隊の「吉乃」さんからいただくことができた。
 
とはいえ、次の会場へ行かねばならず、餅を焼いている時間もないし、手に持っていてはビデオも撮れないので、向こうからやってきた子供にあげた。
 
鳥西、鳥東、栄村の3地区は、この祭りをになう25歳以下の若者の数が足らないため、大幟は出ず、お札や正月飾りを燃やし、餅撒きする行事のみ行われている。
 
最後に、荒井地区の大広場へ向った。
 
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こちらも同じように行事は進行するが、中京TVの取材が入っていて、若衆たちが折れた竹竿をかかえて取材チームへ突進したりして面白かった。
 
 
昼飯ぬきで祭りを見物したので腹もへって、食堂へいこうと歩いていると、夕暮れの光線の加減か、向こうのほうにやけに大きく神島の姿が見えた。
 
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羽豆神社のほうへ行って、神島をみると、ちょうど志摩半島と渥美半島の中間にくっきりとその姿があった。
 
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1月22日、知多半島の先端に位置する「師崎(もろざき)」へ「左義長祭り」を見に行った。
 
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名鉄で河和(こうわ)まで行き、そこからバスで終点の師崎のフェリー乗り場まで行き、まずは先端の「羽豆神社」を参拝した。
 
羽豆神社は昨年1月9日にも参拝して、そのとき、この左義長祭りを知った。
 
お祭ではあったが、神社は特別な飾りがあるわけでもなく、いつもと変わらないたたずまいであった。
 
師崎へは、10時過ぎに着いたが、お祭は、13時開始、ということで、とりあえずは会場の下見をするために港をあるく。
 
土地のおばあさんの話では、昔は港にずらっと並んだ船に大漁旗がはためいて壮観だった、とのことだが、今は、何隻かの船に大漁旗がはためくのみだ。
 
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また、土地のおじさんに祭りのスケジュールを聞いて見ると、11時から「神護寺」で式典があってカメラマンはみんなそこへ行くよ、との情報を得て、すでに10時50分で、急いで集落の中へ入っていった。
 
カメラマンがうろうろしている路地があったのでそこへ入ると、むこうに大漁旗が見えたので、そこを目指すと、大当たりで、そこが神護寺であった。
 
境内へ入ると、大漁旗が頭上にはためき美しい。
 
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この神護寺では、祭りの5地区の役の人たちが、左義長のお札や注連縄の山に火を点ける種火を貰い受けて各地区へ戻っていく。
 
 
境内に張ってあった説明書によると、この神護寺は、白山信仰を確立した泰澄(たいちょう)大師が8世紀始め頃開いたそうで、文明年間(1469〜1487)に再建された記録が残っているそうだ。
羽豆神社の別当寺院(神社に付属して置かれた寺)として栄え、神宮寺と言われていましたが、江戸時代の中頃に現在の神護寺とかわった、ということで、羽豆神社と結びついたお寺。
 
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境内には、猟師町にふさわしく「魚霊観音大菩薩」も祀られている。
 
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大きな蘇鉄の根本には、大黒・恵比須も祀られていた。
 
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土地の若い子が着物で着飾って祭りに参加するのかなあ、とおもったら、「戦国姫隊」の「おね・まつ・吉乃」の3人であった。
 
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会場へ戻る途中、集落の中で変わった「蘇民将来」のお札が玄関先に貼られているのを見つけた。
 
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会場の燃やされるお札の山の中に蛭子さまのお札もあった。
 
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江南の川島神社から、小牧の式内社「外山神社」へ向った。
 
式内社を訪ねる時、吉田和典著「愛知の神社」にでている式内社のリストで位置の確認をしているが、この外山神社の位置は「小牧市北外山」になっていて、Google地図で確認すると北外山には外山神社が見つからない。
 
「30番神社」というのがあるのでとりあえずそこへ向う。
 
30番神社に参拝にきていたお母さんに外山神社の場所を聞いて見ると、おばあちゃんならわかるかもしれない、とわざわざ携帯電話で聞いてもらえて、そこからまだずっと南へ行ったところにあることがわかった。
 
木曾街道を南へ行くと、焼肉屋の後ろに外山神社はあった。
 
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社殿は南向きに建ち、拝殿、本殿とも神明造り。
 
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由緒書はなかったが、拝殿に祭神の名を記した額がかかっていて、
 
「天照大神、天児屋根命、誉田別命」
 
注連縄が印象的であった。
 
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境内からは、銅鐸が出土しているそうで、石碑が立つ。
 
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教育委員加の説明板があり、
 
「外山神社の境内から大正4年(1915)に出土した弥生時代後期の青銅製の銅鐸である。
 高さ35.9cm、底部の直径18.2cmと比較的小型で、愛知県内出土の銅鐸としては最古の部類に属し、同じ外縁付紐式銅鐸はこれ以外に八王子(一宮市大和町)と千両(豊川市)で出土した2例が確認されているのみである。
 鐸身には、袈裟襷文(けさたすきもん)という縦横に交差する帯を用いた文様が見られる。銅鐸としては、本来の吊り下げて打ち鳴らす機能を持つ古い形態のものとされるが、何に使われたものかは不明で謎の祭器といわれている。
 なお、銅鐸は平成19年12月に外山神社から小牧市に寄附され、現在、小牧市歴史館で保管、展示されている。」
 
鳥居をくぐってすぐ、大きな御神木がある。
 
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「榊」だろうか、幹がねじれていて風格がある。
どんな木かわからなかったのでとりあえず葉っぱの写真を撮っておいた。
 
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川島神社

8日、今年の自転車の初乗りで、式内社をいくつか巡ってきた。
 
自転車で神社巡りをするようになって、効率よくまわれるようになったが、これまで江南・小牧・北区の近くを通りながら通り過ぎていた式内社3社をまわった。
 
まずは、木曽川近くの江南市宮田町四ツ谷にある「川島神社」へ向った。
 
途中、マックでコーヒー休憩して2時間足らずで、川島神社に到着した。
 
堤の上を走る県道183号に面して、一の鳥居が立つ。
 
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「式内社調査報告」によると、この川島神社は式内社の「川嶋神社」の候補の一つではあるけれども、式内社の川嶋神社の場所は「不詳」とのこと。
 
祭神もわからないが、上記報告には、「神社明細帳」の記事がのせられている。
 
「創立年月不詳。往古より字天神森と申に鎮座にて、保元元年三月に重修の證あり。社前にある川を勅使川と申し、何れの頃にや勅使有之、玉串御酒献納あり。又延喜式神名帳に川島神社、本國帳に従三位川島天神とあるは、此社の由申傳はれり」
 
けっこう長い参道の向こうの森の中に社殿はある。
 
二の鳥居をすぎると、石造りの太鼓橋があり、その向こうに石造りの蕃塀がある。
 
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蕃塀には、左から「波間を飛ぶ千鳥」「龍」「うさぎ」の彫刻が施されている。
 
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社殿は南南東向きに建つ。
 
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拝殿正面の蟇股には、正面に鷹(鳩か?)、両サイドに龍の飾りがつく。
 
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拝殿の側面には、太陽の飾りがつく。
 
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祭文殿・本殿と続く。
 
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本殿は、神明造り。
 
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祭文殿屋根には「川」の文字があるが、神紋はみあたらない。
 
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本殿の左右に、小さな社が祀られていて、向って左側の瑞垣のなかには、井戸もある。
 
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祭文殿前の石燈籠の形が面白い。
 
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太鼓橋の側には「力試しの石」もある。
 
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境内には大きな舞台もある。
 
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この舞台の天井の巨木による木組みがすごい。
 
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二の鳥居を入ってすぐ境内社があるが、ちゃんと舞殿がついている。
 
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神社の近くに「蘇南公園」があるが、その側に石燈籠が祀られている。
 
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石燈籠には、四方に「太神宮・秋葉大権現・金毘羅大権現・水神」と刻まれている。
 
また、向って左の社の横に「氏神・水神」と刻まれた石が置かれていた。
 
 
 
八剣社から南へ500mあまり、三宅川沿いに式内社の「伊久波神社」はあった。
 
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お隣の「長福寺」が大きくて、伊久波神社は境内もそんなに広くないので小さく感じる。
 
ここも由緒書板はなく、「式内社調査報告」によると、
 
祭神は、「的臣祖(いくわのおみのおや)」ということで、的臣の先祖神とのこと。
 
的臣の先祖に、「葛城襲津彦命」がいるそうで、葛城襲津彦命を祀ると云う説もあるとのこと。
いずれにしろ、先に見てきた「宇太志神社」と同様に、葛城氏にかかわる神社のようだ。
 
的臣については、日本書紀の仁徳天皇の条に、下記のようにある(宇治谷孟現代語訳版)。
 
「「十二年秋七月三日、高麗国が鉄の盾・鉄の的を奉った。
 八月十日、高麗の客を朝廷でもてなされた。この日、群臣百寮を集めて、高麗の奉った鉄の盾・的を試した。多くの人が的を射通すことができなかった。ただ的臣の先祖の盾人宿禰(たてひとのすくね)だけが鉄の的を射通した。高麗の客たちは、その弓射る力のすぐれたのを見て、共に起って拝礼した。翌日盾人宿禰をほめて、的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)と名を賜わった。同日小迫瀬造(おはつせのみやつこ)の先祖、宿禰臣(すくねのおみ)に名を賜わって賢遺臣(さかのこりのおみ)といった。」
 
社殿は、 東南東向き。
拝殿は簡素な造りで、屋根の鬼瓦などに神紋はみられない。
 
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祭文殿、本殿と続く。
 
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本殿は、神明造り
 
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この地域の石燈籠は足の部分がでっぷりと樽型であるのが特徴のようだ。
 
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この日の神社巡りはここまでで、名鉄津島線の線路脇を走って名古屋まで帰った。
 

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