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天神社から北西へ、東名高速の小牧インターチェンジの近くに、式内社「片山神社」の候補の一つの「片山八幡社」がある。
モミジで彩られた長い参道が続く。
参道がとぎれると、鳥居は無いが、石柱の神門が立ち、「式内 片山八幡社」の石標が立つ。
ここも、拝殿前には木製の蕃塀が立つ。
由緒書があり、
祭神は、応神天皇、少彦名命。
「平安朝時代貞観13年(871年)5月15日山城国石清水八幡宮の御分霊を当地に勧請奉祀し、延喜式内、春日部郡12座の内従三位片山天神は当社である。
室町時代永禄7年(1564年)池田紀伊守信輝公、本殿寄進の棟札あり。
江戸時代末社、社宮社棟札に明和6年(1769年)5月片山石宮神社と記す。
文政10年(1827年)亥7月天王宮御神楽、8月八幡宮御祭礼の記事あり。・・・・・」
社殿は南向きに建つ。
拝殿屋根には「菊」の紋。
拝殿正面には、「雲・獅子・波・龍」の飾りがつく。
本殿は流造りで、千木・鰹木はない。
狛犬は、独特の形をしている。
境内社の「社宮神社」は、鏡作連(かがみづくりのむらじ)らの祖神 、「伊斯許理渡売命(いしこりどめ)」を祀る。
そのほかに、以下の境内社がある。
御鍬社、津島社、秋葉社、尾張伏見稲荷社、御嶽社。
そのほか、「大力 茂吉の石」、「矢穴石」がある。
いまは行われていないそうだが、以前は流鏑馬神事があり、それで参道が長いようだ。 |
番外篇 尾張を歩く
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伊多波刀神社から県道25号を西へ、春日井市と小牧市の境を流れる大山川に至り、川沿いの道を南へ下ると、式内社の「片山神社」の候補の一つの「天神社」がある。
由緒書はないが、「式内社調査報告8」によると、
祭神は、吾田片隅命で、明治44年に、品陀別命、天照大神、火産靈命、菊理姫命、建速須佐之男命が合祀されている。
吾田片隅命は、大国主命六世孫で、宗像氏の祖神にあたり、「和爾良神社」の祭神、「阿太賀田須命」と同神になる。
拝殿前に、ここにも木製の蕃塀があり、その左右の檜の御神木が印象的だ。
社殿は南向きに建つ。
拝殿屋根には神紋は付いていないが、拝殿内の垂れ幕に「五七桐」の紋が見られる。
拝殿正面には、「龍」の飾りが付く。
本殿は、神明造り。
境内社は5つあったが、そのうち3社は社名の札が付いていなかったので、どんな神様かはわからない。
そして、石柱の「氏神」が並び、
社殿の東側に、「御嶽開山覚明霊神」の石造りの祠がある。
この地は、その覚明霊神の生誕地ということで、神社の西側に、記念碑と銅像が立ち、その拝所らしき建物がある。
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両社宮神社から県道27号を北東へ、式内社の「伊多波刀神社」へ向った。
鳥居のすぐ東隣には、「神明社」もある。
長い桜並木の参道が続き、社殿の前には、中門がある。
由緒書があり、
祭神は、高皇産霊命、品陀別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、玉依姫命、大山祗命、市許嶋姫命、伊豆乃売命。
「この地は古代より中世にかけて、味岡の庄と呼ばれ、その総産土神として、近郷十七ケ村の崇敬を集めていました。
本殿に七柱の神様をお祀りしています。その中の高皇産霊命は天孫瓊瓊杵命の母方の祖父に当たる方で、景行天皇42年(西暦121年)8月15日の創建と伝承され、延喜神明帳に記載されている神様である。品陀別命、息長足姫命、玉依姫命の三柱の神様は武家の崇敬篤い八幡三神と云われ、古代末から中世にかけて勧請されています。そして社名もいつしか八幡宮にと呼ばれるようになりました。明治になって伊多波刀の社名に復したことは数ある棟札からも明白であります。
伊豆乃売命、大山祗命、市許嶋姫命の三柱の神様は、明治43年11月1日に田楽権現と郷中に祀らいおられたのを御遷座し奉って合祀された神様です。
そして、大正6年12月30日に岩野町の八幡社祭神、品陀別命を御遷座し奉って合祀されました。」
ここも境内は広く、拝殿前には、木製の蕃塀が立つ。
社殿は、南向きに立ち、拝殿屋根には神紋は付いていないが、拝殿正面の垂れ幕に「菊」と「五七桐」の紋が付く。
そして、蟇股には、鳩の飾りが付く。
社殿は森の中に、拝殿、祭文殿、渡殿、本殿と続く。
本殿は、流造りで、千木・鰹木はない。
拝殿の内には、古い絵馬が奉納されているが、社名の「いたはと」にちなんで「板に鳩を書いて」奉納されていたそうだ。
境内には沢山の末社がある。
大日霊社、津島社、豊受社、白山社、熊野社、菅原社、大国霊社、山王社、多度社、愛宕社、熱田社、御霊社、秋葉社、浅間社、建部社。
建部社の社の前扉が開いていて、そんこには「天火明命」が祀られていた。
ここにも、手水舎には、紅白の手ぬぐいが奉納されている。
石燈籠には「因幡の白兎」の飾りが付く。
神社から西へ向ってすぐ、集落の中に色々な神様や石仏が並んで祀られていた。
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昨年12月4日、小牧市周辺の式内社を自転車で巡った。
まずは、前回春日井市の式内社を巡ったが式内社の「和爾良神社」に比定されているところの一つ、「両社宮神社(りょうしゃぐうじんじゃ)」へ向った。
県道27号を北西へ走り、春日井小学校の東側に大きな森があり、そこが両社宮神社だった。
一の鳥居は少し南に、田圃に面して立っている。
由緒書の石碑があり、
祭神は、誉田別尊(八幡社)、日本武尊(熱田社)、大国主命・阿太賀田須命・建手和爾命(和爾良社)
「創建は慶安元年(1648)。延享元年(1744)に八幡社と熱田社とを合せ祀り両社太神宮と呼ぶ。徳川末期、森の中に延喜式(927)以前の和爾良神社祠を発見し合祀、慶応2年(1866)尾張藩から式内和爾良神社両社宮の社号を許可されたが、明治3年(1871)から両社宮神社と改めた。昭和22年(1947)郷社に認定6等級社になる。
現在の本殿、祭文殿は昭和31年竣工、拝殿は文政10年(1827)改築の建物。また昭和34年の伊勢湾台風で巨大な森は全滅。以後植林して現在の森となる。」
森は、50年前に全滅してから植樹によって回復した、ということで、50年でこんなに森が育つものなんだなあ。。。
社域は広く、拝殿前には、木製の蕃塀が立つ。
社殿は、南向きに建つ。
拝殿屋根の鬼には、「菊」の紋。
拝殿正面には、「獅子」の飾りがつく。
拝殿の側面には、「干支」の12種の動物の木彫りの飾りもついている。
拝殿から離れて、祭文殿が建つ。
祭文殿正面には、鳥(鳩か?)の飾りがつく。
祭文殿前の賽銭箱には、「五七桐」と「橘」の紋がつく。
本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。
本殿両脇には、須佐社、神明社の社があり、そのほか、以下のような境内社がある。
住吉社、天満社、稲荷社、直会社(大山祗神)、山之神(大山祗神)、天神社(天日鷲神)、諸霊社、御嶽社(大己貴神・少彦名神)。
手水社の水口には「蛙」の像。
境内のあちらこちらに石造物がある。
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松原神社から南西へ、式内社の「和爾良神社」の候補の一つの「朝宮神社」へ向った。
由緒書の石碑があり、
祭神は、阿太賀田須命(あたがたすのみこと)、建手和爾命(たけたかにのみこと)、菊理比売命
「創建は不詳 延喜式神名帳(延喜5年、927年)の式内社和爾良神社と伝えられているが定かでない。
建保6年(1218年)加賀白山より菊理比売命を合祀して朝宮白山宮と称した 寛永19年(1642年)徳川源敬公により改造営され朝宮神社となった なお文禄4年(1595年)の「奉再建和爾良白山宮御本殿」の棟札が残っている。
今回区画整理に伴い境内地の変更もあったので本殿拝殿とも鉄筋コンクリート造りで再建し境内も整備して昭和63年(1988年)遷座祭を行う。」
「式内社調査報告8」によると、「阿太賀田須命」は、大国主6世の孫で、「建手和爾命」は、その後、とのこと。
また、「和爾良神社」が「春日井市上条町」へ遷座する前にあった元地といわれているそうだ。
鳥居をくぐると、石造の蕃塀が立ち、徳川さんゆかりの「三葉葵」の紋がつく。
蕃塀の下部の飾りは「波間を飛ぶ千鳥」
社殿は、東南東向きに建つ。
注連縄は、独特の形をしている。
本殿は、神明造り。
境内社は、2社あったが、名札がなく、社名は不明。
神社の西を「八田川」が流れていて、その川沿いの道を庄内川の合流点まで走り、名古屋へ帰った。 |



