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番外篇 美濃を歩く

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三ツ塚から南へ可児川を渡り、しばらく行って東へ、小高い山を登っていくと、生涯学習センターという建物があったので、そこで身隠山古墳群の場所を教えてもらった。
 
その生涯学習センターの東側の小山が「歴史と文化の森」という公園になっていて、その小山(身隠山か)の頂上に、白山古墳と御嶽古墳がある。
 
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これらの古墳は、古墳時代前期のものだそうで、古い古墳は山の高いところに築かれるようだ。
 
それぞれ墳頂には以前、白山神社と御嶽神社があったために、古墳の名前はそこからきている。
 
白山古墳の墳頂には神社はなかったが、御嶽神社の墳頂には御嶽神社の祠や石塚が残っている。
 
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石塚には、御嶽信仰にかかわる線刻がある。
 
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川合考古資料館から東へ国道64号に出て南下、国道21号を越えて少し行くと、子守神社に行き当たる。
 
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この神社は、由緒書によると、保元元年のころ、北面の武士、和泉源内兵衛重義がここ前波へ来たときに薬師如来の「子供の神になるべし」というお告げを聞き、妻とともにこの地で、16年間に16人の男子を、その翌年から16年間に16人の女子、合計32人の子供をもうけた、ということで、子守明神として祀られたそうだ。
 
これは、重義よりも32年間続けて子供を産んだその妻がスゴイと思う。
 
で、神社の先の交差点を東方向へ曲がり、しばらく行くと弘福寺というお寺の前にたどり着き、このあたりには、三つの古墳があるが、まずはこの「西寺山古墳」に行き当たった。
 
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4世紀中頃の全長約60mの前方後方墳。
 
墳頂に登ると、薬師如来が祀られていた。
 
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祠の脇には石仏・石塚が並び、その中の一つには「文化14年6月18日」と刻まれていてた。
文化14年は、1817年になり、杉田玄白が亡くなった年になる。
 
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また、三ツ塚それぞれに「大施食・・・・」の卒塔婆も立っていた。
 
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北東に大きな「長塚古墳」が見える。
 
道路沿いにたこ焼き屋があったので、腹も減ったことだし、それを買って長塚古墳へ行き、その墳頂の切り株に腰掛けて一休み。
 
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この古墳は、ガイドブックによると、盗掘を受けていないそうで、全長6mほどの割竹形木棺が粘土で覆われて古墳の主が眠っているそうだ。
 
長塚古墳の西側の住宅街のなかに、もう一つの「野中古墳」がある。
 
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説明板がなかったので、これが古墳かどうか迷ったが、地図でみるとこれで間違いないように思われた。
 
全長約60mの前方後円墳ということだが、北側からみるとそれらしい形をかんじられるが、南側半分は切り取られて住宅になっている。
 
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次郎兵衛塚古墳の横に公民館があり、その中に「川合考古資料館」がある。
 
「鳥つまみ蓋付須恵器」という宮之脇11号墳から出土した大形の須恵器がここの一番の呼び物で、それを見るのを楽しみにしていったが、親・子・孫鳥がそれぞれ背中にのった蓋が補修のためか無くてガッカリした。
 
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水鳥は、死者が黄泉の国へ旅立つ時の水先案内役と考えられていたそうで、渡り鳥が毎年同じ時期にやってきて、またどこかへ帰っていく様が、輪廻につながっているのかもしれんなあ。。。。。。
 
宮之脇11号墳からは、「尾張型埴輪」も出土しているそうで、この地域は尾張氏との関係がある。
 
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この川合の地は、「古東山道」や木曽川、飛騨川の交通の要路で、古墳時代前半の諸国の土器が集まっている。
 
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宮之脇2号墳から出土したという「銀象嵌直刀」も見事だった。
 
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朝鮮半島から伝わった、復元された「甑(こしき)」と竈も展示されていたが、竈の上にのっている壺には角のような取っ手が付いていて、これは、以前NHKの番組で「朝鮮式土器」として説明されていたものと同じ形だ。
 
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高座結御子神社の高蔵1号墳と同じ構造という稲荷塚2号墳についての説明もあったが、その主は、次郎兵衛塚古墳の主に仕える重臣であったようだ。
 
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この地域は縄文時代から集落が形成されていたところだそうで、船の形をした縄文土器も出土している。
 
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木曽川沿いの川合公園から南へ川合次郎兵衛塚古墳へ向かう。
歩いて5分ほどで古墳に到着。
 
川原石でみごとに葺かれた、トーチカのような古墳だ。
 
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7世紀初め頃の方墳ということで、聖徳太子のころのものだ。
 
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見た目は積み石塚のようだが、土を積んで造られている。
 
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石室の中には入れないが、入口に電灯を点けるスイッチがあって、中の様子を見ることができる。
 
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主室への入口の左右に副室の入口が開いていて、あとで子供が葬られたそうだ。
 
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古墳西側の公民館の中に、考古資料館があり、川合次郎兵衛塚古墳からでてきた副葬品も展示されていた。
 
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「なごやの古代遺跡を歩く」というガイドブックの終わりに、「名古屋近郊で古墳三昧 岐阜県可児市の古墳めぐり」という項目があり、名古屋の熱田神宮の摂社、高座結御子神社の高蔵1号墳という古墳と可児にあった稲荷塚2号墳というのが同じ構造で可児の木曽川の河川石をわざわざ熱田まで運んで高蔵1号墳が造られた、と書かれているので、なにか尾張氏の匂いのするものでもないかと思い、8月22日に可児の古墳めぐりに行ってきた。
 
名鉄の犬山駅で乗り換え、「日本ライン今渡駅」で下車、まずは木曽川べりへ向かい、古墳・神社めぐりを始めた。
 
駅から木曽川にでて、上流へ少し歩くと「今渡神社」がある。
 
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由緒書などはなっかたので、祭神はわからないが、ここ今渡の氏神様だろう。
 
本殿は覆屋で完全に覆われていてその姿は拝めない。
 
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拝殿屋根に見える神紋は菊の紋。
 
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境内社は、小さな社の秋葉神社・津嶋神社と、石塚の御岳神社・金毘羅神社があった。
 
また木曽川沿いを上流に向かうと、「今渡ダム」があった。
 
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ダムのイメージとしての高さはあまりないが、発電専用のダムであるそうだ。
 
こうしたコンクリート造りの構造物もなかなか美しいものだ。
 
さらに上流の今回の一番の楽しみにしている「次郎兵衛塚古墳」へ向かう。
 
途中、花の名前はわからないが、美しい花が道端に咲いていて、たくさんのセセリチョウが花にとまっていた。
 
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次郎兵衛塚古墳は、木曽川と飛騨川の合流点の河岸段丘上のすこし内陸に入ったところにあるが、木曽川沿いに、「青木神社」がある。
 
神社にたどり着くと、ちょうど鵜の群れが上空を木曽川の下流方向へ飛んでいった。
 
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青木神社も由緒書などはなかったので祭神などはわからないが、このあたりの鎮守様だろう。
 
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拝殿の瓦には「青木神社」とあり、神紋は見当たらない。
 
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拝殿の蟇股は、唐草模様。
 
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本殿は流れ造りで千木・鰹木はない。
 
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木曽川と飛騨川の合流点は公園になっている。
 
こうしてみると、このあたりに勢力を持っていたのは、水運にたけた豪族であったんだなあ、と実感できる。
 
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