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番外篇 美濃を歩く

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白山神社 養老町別庄

象鼻山のふもとの「別庄」の集落の県道沿い、象鼻山を見上げる位置に、この日は祭礼で白山神社の幟が立つ。
 
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神社は集落から山すそを少し登ったところにあり、家並みの切れたところに神社の石標が立つ。
 
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社殿は、東南東向きに建つ。
 
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拝殿にかかる幕には「三つ巴」の紋がつく。
 
本殿は覆屋で保護されていて「造り」はわからない。
 
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拝殿の内には、絵馬が奉納されている。
 
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献燈には、牡丹と波間を飛ぶ千鳥。
 
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神社へ続く小道の途中には「太神宮」と刻まれた石燈籠が立っている。
 
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畑の隅に、かなり時代を感じさせる石塚が祀られていた。
 
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10月2日、表佐の太鼓踊りを見に行ったが、その祭りは15時から始まるので、午前中は以前から行ってみたかった「象鼻山古墳群」へ歩いた。
 
象鼻山は南宮山から南東へ続く山の連なりの先端になり、国鉄垂井駅から南へ歩き始める。
 
山すそに沿った道を歩いて1時間半ほどで、「象鼻山古墳群の里 別庄」にたどりつく。
 
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登り口がわからず、民家のおばあちゃんがちょうど家から出てきたので聞くと、山の向こうの養老側に石碑があるところから登るといい、ということで先に進んだ。
 
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象鼻山は標高142mで、15分ほど登ると古墳群のある公園にたどりつく。
 
そこいらじゅうにある土の膨らみが古墳であるらしい。
 
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象鼻山古墳群については、公園にあった養老町教育委員会による説明板によると、
 
「古墳群は、養老町橋爪字岡山に所在します。この地域は旧美濃国西部(西濃)にあたり、近江・伊勢国とも境を接し、古くより東西交通・軍事の要衡の地となっていました。
 象鼻山(標高142m)は、独立丘陵の南宮山(標高420m)より南西に延びる一支脈にあたり、関ヶ原の合戦において毛利勢や長宗我部勢が山頂に陣取ったことでも知られ、南宮山・象鼻山から東には広大な濃尾平野を一望することができます。
 象鼻山一帯には、1989年の分布調査により下図のように62基(前方後方墳2基、方墳17基、円墳40基、形状不明3期)の古墳が確認され、3世紀後半から6世紀に及ぶものと推定されており、町指定の文化財(史跡)になっています。」
 
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3号墳の頂には小さな社が祀られている。
 
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公園のもう少し上が象鼻山の頂上で、そこに1号墳がある。
 
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これも説明板によると、
 
「象鼻山1号墳は古墳群中最大の古墳で、墳形は前方後方墳です。
 前方後方墳とは、棺を埋葬する部分(後方部)を方形に、祭を行う部分(前方部)も方形に築かれた古墳です。前方後方墳は東海で発達した形状です。
 象鼻山1号墳は、一度山頂を平らにしてから墳丘のほとんどを盛土によって造成し、完成までに8段階の築造工程を経ており、特に濃尾平野からの見栄えを重視(二段築成)しています。
 年代は出土遺物から3世紀末を前後する時代に築造された全国でも最古級の古墳の一つと推定できます。」
 
この説明を書いた人は、邪馬台国畿内説をとっているようで、次のようにも記されている。
 
「この時代の日本は、中国の歴史書「三国志」魏志倭人伝に、邪馬台国と狗奴国が抗争していたことが記録されています。
 邪馬台国所在地論争には諸説がありますが、近畿地方には邪馬台国が、東海地方には狗奴国があり、対峙していたという可能性を高めています。
 この象鼻山1号墳は、一方の雄である狗奴国の王か王族の墓である可能性が高いのです。」
 
1号墳は北西向きで、頂上からは視界をさえぎる木々が切れている東側の濃尾平野を見渡すことができ、
北東に金生山が見える。
 
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そして大垣、岐阜方面が見渡せる。
 
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そして真東のはるか遠くに、ひときわ高く、「高社山(たかやしろやま)」を望むことができる。
 
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いい天気で気持ちがよく、しばらく1号墳の墳頂にごろりと寝転がり休憩した。
 
山を下りるとき、山道で秋の実りを拾った。
 
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表佐の太鼓踊りが16時ごろ終わって、夜の「表佐踊り」「にわか」が始まる19時までの間、会場近くを散歩した。
 
地図を見ると「若宮八幡神社」があるので、その方向へ行くと、太鼓の音が聞こえてきて、その音のほうへ行くと、そこが若宮八幡神社だった。
 
 
16時半から太鼓は始まっていたようで、ここへ向うまで、酒屋でビールを飲んだり、他の神社をまわったりしていたので、直行すればよかった、と悔やまれた。
 
太鼓が終わってから改めて神社を見てまわった。
 
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社殿は南東向きに建つ。
 
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由緒書はなかったが、岐阜県神社庁のHPによると、
 
祭神は、 田口明神(たぐちみょうじん)、応神天皇(おうじんてんのう)
 
「創祀不詳。美濃國神名帳曰く従五位下田口明神とあるは此の社なり。現今若宮八幡社と称す。当村に伝はる記録中に曰く、若宮八幡宮、天徳四年四月中子曰宇佐より祭る。宝暦年中に今の所に移転す。此の社は元相川の北にありて三度社を移転せしと云ふ。昔は八月十五日供養ありと云ふ。右社の旧蹟は川北にふりと記せしに依りて其の旧跡を探索するに、実地丈量の節調査する同村4132番地上姫ヶ井に八幡社古跡縦四間横四間反別十六歩あり。これ則ち該旧跡たること判然たり。右は此辺を総称して田口と云ひ伝へ、又此旧跡を古若宮と云ふに因りて然り。按ずるに近古の俗祭神詳ならざるものは猥りに八幡と称するもの多く、況や此社は後に宇佐より勧請せしものなれば、田口明神とこそ称すべきを後に祭りし故に若宮八幡と改称せしものなり。尤も神宝二体は応神天皇の外にありて、命号等知らず。これ田口明神なるべし。」
 
田口明神というのはよくわからないが、田口氏というのは、朝臣の姓を帯び、蘇我氏・石川氏などとともに紀氏の流れを汲んだ名門であるらしい。
 
拝殿屋根には「三つ巴」紋がつき、拝殿前に張られた幕には「向かい鳩」の紋がつく。
 
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荒く巻かれた注連縄が印象的だ。
 
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本殿は流れ造り。
 
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本殿正面には、鳳凰の木彫りの飾りがつく。
 
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本殿側面には鳩の飾りがつく。
 
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10月2日が例祭で、16時半から太鼓奉納がある。
 
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近くを「相川」が流れ、ここでも彼岸花が美しい。
 
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10月2日、南宮大社のある垂井の表佐で大きな太鼓を肩で吊って叩き、踊る「太鼓踊り」を見に行った。
 
以前、南宮大社に参拝に行ったとき、垂井の駅の案内板で「表佐太鼓踊り」があることを知り、見に来ることを楽しみにしていた。
 
祭りは午後3時からで、2時ごろ会場の表佐保育園に着いた。
 
この祭りは、垂井町のHPによると、
 
「江戸時代初期(1683)のころ美濃の中山南宮大社に雨乞いをして太鼓を打ったのが始まりと言われる。祈願のかいがあってご利生の雨に恵まれると、「礼踊り」と言って南宮大社や氏神に神恩に感謝して太鼓踊りを奉納したと伝えられている。」
 
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大きな太鼓が軽トラックに積まれて運び込まれ15時前に試し打ちか、台打ちがあって、15時に「打ち込み」で練り歩き輪を作ってから本格的に太鼓踊りが始まる。
 
大きな太鼓は、50−60kgもあるそうだ。
 
最初のピリオドでは、「打込み」→「築地(音頭の歌で踊る)・元禄(打鼓)・笹の葉踊り(音頭の歌で踊る)」と進む。
 
打ち手が交替して、「金堀踊り(音頭の歌で踊る)・長(打鼓)」
 
また交替して、「貝吹踊り(音頭の歌で踊る)・表佐(打鼓)」
 
またまた交替して、「貝吹踊り(音頭の歌で踊る)・表佐(打鼓)」で、約1時間の太鼓踊りは終わった。
 
重い大きな太鼓をかかえるだけでも大変だろうが、それを打ち鳴らして踊る様はたのもしく、たいしたもんだ、と感心した。
 
太鼓踊りが終わってアナウンスがあり、夜19時から「表佐踊り」「にわか」もあるとのことで、夜まで待とうかどうか、とりあえず、会場周辺を散歩することにした。
 
保育園のすぐ東側を澄みとおった水の流れる水路があり、大きな燈籠が立っている。
 
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その横の酒屋でビールを買って、おばちゃんに、夜のお祭はどんなかね、と聞くと、「にわか」が男衆が化粧しておどけて面白いよ、というので、見ていくことに決定して、夕食を国道沿いの食堂へ食べに行き、18時半ごろ会場へもどった。
 
ベンチに腰掛けていると地元のおじさんも座りにきて、いろんな話をしているうちに、盆踊りのような「表佐踊り」がはじまった。
 
昼の太鼓踊りは雨乞い踊りで、夜は「豊年祭り」ということで、豊年音頭にのっての豊年踊りであるらしい。
 
1時間ぐらい豊年踊りが続く中、人も増えてきて、20時ごろ、天狗(猿田彦大神か?)の先導で、「にわか」の行列が入場してきた。
 
仮装のお城の輿に乗った3人の姫様は大河ドラマの「浅井三姉妹」であるそうだ。
 
素朴な豊年踊りに続く「にわか」の登場はこの祭りを初めて見る者にとっては、意外性があり面白い。
 
21時前、「にわか」の衆が退場して祭りは終わった。
 
 
秋葉神社に18時前に着いて、お祭の始まるまで時間があったので、秋葉神社のさらに東へ少し行ったところにある神明神社も訪ねてみた。
 
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社殿は、ここも木曽川の堤に面して、南向きに建つ。
 
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岐阜県神社庁のHPによると、
 
祭神は、神明大神(しんめいおおかみ)。
 
由緒は、
 
「創祀不詳なれども、社殿改築に貞享元年(1684)とあり。創立は徳川初代頃と推定され、老杉の樹齢も二百年位経過され、昔時は西明寺と並立し、神仏混祀されたる伝説もあり。之等を推定して約三百年前より祭祀崇拝せられ来りたるものなり。」
 
ここも舞殿のような拝殿が建つ。
 
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拝殿屋根の瓦には、ここも神紋はなく「神」の文字。
 
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本殿は流れ造りで、「三つ巴」の紋がつく。
 
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本殿には思いもかけず、すばらしい木彫りの飾りがつく。
 
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正面には、力士だろうか、凛々しく正面を睨む小人と、その下には、龍と対峙してカワウソのような動物がみえる。
 
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側面には、牡丹と鯉と鶴に乗った人物が描かれている。
 
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この意匠は、春日井の内々神社の本殿で見た飾りに似ている。
 
夕暮れ時になり、木曽川堤から望まれる伊吹山とそれに続く山並みのくぼみのところに太陽が沈んでいった。
 
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