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今年はブログを再開します。

番外篇 美濃を歩く

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関ヶ原の集落の西の端が「不破の関跡」であった。
 
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関所は大海人皇子が天武天皇となってから設置されたもので、壬申の乱のまえから関所があったわけではない。
 
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関所跡は民家が立ち並び、旧街道沿いのあちらこちらに史跡の説明板が立つ。
 
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民家のガレージと思われる建物脇の細い路地を入るとその裏の茶畑の中に大海人皇子が兜を掛けたという石と沓をぬいだという石がある。
 
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「沓脱石は、兜掛石の左斜めうしろにある」と説明板にかかれているので、兜掛石の祠の後ろにまわると何もないので、おかしいな、と思ったら、茶畑で作業をしていたおばさまが、「そこじゃなくてあっちだよ。うしろにあると書かれているからみんな間違えるのよ」と少し離れたところ、後ろというより左横のほうを指差して教えてくれた。
 
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不破の関資料館があり、内部は写真撮影が禁止であったが、そんなに内容が充実しているわけではなかった。
 
ここへ来るときに「井上神社」の石柱の前を通ったが、夕暮れまで余り時間がなかったので通り過ぎてしまったが、、その神社は、天武天皇を祀っているということなので、神社へ向かうことにした。
 
伊冨岐神社の一の鳥居は野上の集落の端にあるが、鳥居が面した街道を関ヶ原への西へ向かって歩き始めるとすぐ「七つ井戸」という史跡に行き当たり、その説明版に「大海人皇子行宮跡 南へ300m」の道標があった。
 
ここに来る前に野上の行宮はどこにあるのかネット検索しても見つからなかったが、現地へ来てみてその場所を見つけることができてうれしかった。
 
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野上の大海人皇子行宮跡は、尾張氏の尾張大隅の屋敷があったところで、伊冨岐神社の伊福氏も尾張氏の同族であり、このあたりは尾張氏の勢力が強かったところであるらしい。
 
で、その標識から南への細い路地を行き、国道21号を越え、新幹線のガードをくぐって少し登ると墓地があり、その奥の今は荒れはてて石垣がわずかに残るところが行宮跡であった。
 
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墓地があるのは、後に行基が行宮の廃材でここにお寺を建てたためらしい。
 
行宮跡からは、伊冨岐神社方向が望まれる。
 
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国道21号へもどり、それに沿って関ヶ原方向へ向かうとドライブインがあったのでやっと昼飯にありつき、一休みしてまた西へ向かった。
 
国道沿いに関ヶ原の戦いで徳川家康が最初に陣をしいた「桃配山」に行き当たる。
 
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大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱のときに配下の兵に魔よけにと山桃を配って大勝利を得たという故事にならって、家康がここに陣をしいたのだそうだ。
 
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ここからまた西へ、関ヶ原の町並みへ入ってすぐ、「若宮八幡神社」があった。
 
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拝殿屋根には「三つ巴」の紋がつく。
 
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本殿には千木・鰹木はつかない。
 
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本殿の蟇股には、獏か犀か、獅子とは思われない透かし彫りの飾りがつく。
 
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国道沿いに西へ歩くと、関ヶ原の町並みの中心地のあたりに、「鹿 さしみ ワニ肉」、「くま肉 いのしし肉」の幟をを立てた肉屋さんがあった。
鹿、熊、猪は、地物だろうか、関ヶ原は南と北に山脈が連なり、けっこうな山里なんだなあ、と思う。
 
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だんだん夕暮れも迫ってくるので、関ヶ原の西の端にある「不破の関跡」へ急いだ。
垂井の集落を抜けてから国道216号に沿って歩いていくと、「伊冨岐神社」の石柱に行き当たり、そこから脇道へ、伊吹の集落に入っていく。
 
集落の中心ぐらいから山側にいくと伊冨岐神社がある。
 
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神社の森に入るところに「クマ注意」の看板が立ち、この年は各地で熊との遭遇の報道もあることで少々ビビる。
 
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深い杉林に囲まれて社殿は南東向きに建つ。
 
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祭神ははっきりしていないそうだが、この地の豪族、尾張氏と同族の伊福氏の祖神を祀っているらしい。
 
拝殿の向拝正面には、「五七桐」の紋と「鳳凰」の飾りがつく。
 
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伊福部氏は採鉱・鍛冶技術の氏族であるためか、拝殿には大きな鏡が祀られている。
 
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拝殿屋根の銅瓦には「○」の紋があり、これは鏡を表しているのだろうか。。。
 
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蟇股には「鶴(コウノトリ)」の飾りがつく。
 
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本殿は左右の相殿とともに赤い屋根で千木・鰹木はない。
 
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相殿の扉に鳳凰と獅子の飾りがつき、脇障子には獅子の飾りがつく。
 
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境内の小さな池の中の島に小さな社があり、こうした池の中の島にはよく市杵島姫がまつられているので、ここもそうなのかもしれない。
 
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社の真後ろの楠の大木が印象的だ。
 
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ここからまっすぐ南東へ続く道を下ると、旧街道に出て、そこに伊冨岐神社の鳥居が立っていた。
 
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垂井の町並みにはいると「国府」という地名がのこっていて、美濃国府跡の説明板でもないかとうろうろしてみたが、そういったものはみつからず、国府町の真ん中辺に「国府山 浄林寺」というお寺があった。
 
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せっかくだからと本堂へ参る。
 
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正面には木彫りの飾りはみられないが、ここも屋根を支える部分に龍などの飾りがつく。
 
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ここでは鳳凰は見られなかったが、「因幡の白兎」が印象的だ。
 
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集落の民家の屋根に、鍾馗さまの飾り瓦をみつけた。
 
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ここらで昼食をと思ったがお店がなくて、そのまま伊冨岐神社のある西方へ歩いたがその後関ヶ原まで昼食はおあずけになった。
 
垂井の集落を抜け街道をあるいていると、南東の方向に南宮大社の大鳥居が見えた。
 
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歴史民俗資料館で手にいれた地図で国分寺の西方に国分尼寺があったことを知り向かう。
 
国分尼寺あとには、浄土真宗の「願証寺」が建つ。
 
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山門も本堂も青空の下、美しい。
 
軒丸瓦や山門の扉には、蓮の花だろうか、花の紋がつく。
 
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正面蟇股には「龍」、左右に「獅子」の飾りがつく。
 
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蟇股の飾りは地味だなあと思ったが、横に回って見上げると、向拝の屋根を支える部分に「鳳凰」がずらりと並び美しい。
 
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なにか国分尼寺の印でもないかとうろうろすると、本堂の南側外に「美濃国分尼寺跡 此付近推定地」の石柱があった。
 
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寺の南側の集落の掲示板には、熊出没注意の張り紙があったが、こんなに山も深くない里にも熊がきてるんだなあ。。。。。
 
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集落を抜けまた西へ向かうと、国府のあった垂井の街並の向こうに伊吹山が見えた。
 
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