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今年はブログを再開します。

番外篇 美濃を歩く

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国分寺跡の北後方に「大垣市歴史民俗資料館」があり、展示物は結構充実している。
 
まずは、美しい国分寺の復元模型があり、瓦などが展示されている。
 
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そして、大垣の古墳群からの出土物も並ぶ。
 
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大きな銅鐸があったが、これはレプリカで、本物は高さ25.7cmということで、そんなに大きなものではない。
 
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特に興味深かったのが、土器に描かれているという「人面文」で、その分布が九州の筑前、日向から出雲、吉備、阿波、そして大和をとばして、尾張、美濃、そして武蔵へ伝わっていて、海人族の軌跡を現しているのかもしれない。
 
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今回は、鍛冶の神の伊冨岐神社をめあてにこの地を訪ねたので、フイゴの展示もあったのはうれしかった。
 
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「フイゴ」はこの地では「吹子」と書いて「ふいごう」と呼ぶことを知る。
 
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山の神のお祭りの展示もあったが、山の神は女神様で、その女神様へのお供えに木製の大きな「男根」もあるのが面白い。
 
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ここでは古代史関連の多くの情報が得られ、大垣はまたじっくり来てみようと思った。
金山彦神社から、国道216号を西へ向い青墓に入ると、「源氏ゆかりの地」の木柱が立っていた。
 
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といっても何の説明板もないので、源氏ゆかりの地はそれこそ日本全国にあるだろう、と思ったが、あとで行きあたったこの地の案内板の地図に、山のほうへ行くと「源朝長の墓」というのがあるので、これでその「ゆかり」が何であるかわかった。
 
朝長は、あの頼朝の兄で、平治の乱で父義朝が破れ、東国へ落ち延びるときに落ち武者狩りにあい負傷してしまい、この地の長者大炊の娘延寿は義朝の妾のひとりでここにかくまってもらったが、さらに東へ落ち延びるときにその傷が悪化して足手まといになってはいけないと、父義朝に斬ってもらいこの地に葬られたのだそうだ。
 
さらに西へ行くと、「照手姫の水汲み井戸」というのに行き当たった。
 
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この青墓は平安時代から遊女宿が有名だったそうで、それがこうした伝説につながったんだろうか。。。
 
そしてさらに西へ、垂井と大垣の境のあたりに「国分寺跡」がある。
 
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建物は復元されていないが、礎石がのこっていて、その大きな石から建物の巨大さがしのばれる。
 
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この国分寺跡から北東に金生山が望まれる。
 
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昨年11月07日、大垣の金生山近くにある昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)から関ヶ原の不破の関跡まで伊冨岐神社をこの日の中心目的地にして歩いた。
 
JR大垣駅から「大垣市赤坂総合センター」行きのバスに乗り、終点で下りてすぐ近くの「昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)」へ向かった。
 
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古墳は今年の3月5日まで保存整備の工事をしていたが、その巨大な姿を見ることができた。
 
あとで行きあたった観光案内版によると、この古墳は全長150m、前方部長62m、後円部直径96mもある岐阜県最大の前方後円墳で、約1600年前に造られ、竪穴式石室と粘土槨そして木棺直葬の3棺がかくにんされているそうだ。
 
その案内板で知ったが、このあたりには他にも古墳があるので、ここの工事が終わる春にまた来ようと思う。
 
古墳の南東、牧野町に「金山彦神社」がある。
 
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寛政4年(1793)創建ということで、そんなに古い神社ではないが、鉄・銅のとれた金生山の近くという場にはふさわしい神社だ。
 
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拝殿には木彫りの飾りは見られないが、正面扉に「三つ巴」の紋が付く。
 
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本殿は流れ造りで、見事な木彫りの飾りで被われている。
 
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正面は、龍、
 
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側面は陰陽の太陽と月、そして獅子、
 
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虹梁には龍と牡丹、
 
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そして庇の梁には三つ巴と鶴(こうのとりか?)、
 
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脇障子には、獅子が彫り込まれている。
 
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春日井の江戸時代末に建てられたという内々神社本殿の木彫りの飾りもすばらしかったが、こうした見事な木彫りの飾りがつくようになったのは江戸時代のころからなのかもしれんなあ。。。。

勝神社 岐阜県垂井

冷房の効いた歴史民俗資料館で一休みしたが、本当は北東の金生山近くの「昼飯大塚古墳」へ行く予定だったが、外は猛暑で、熱中症が連日ニュースをにぎわしていることだし、近場の古墳にしておこうと、南東方向の勝神社境内に古墳があるということで、そちらに向かう。
 
途中、相川の堤の上に小さな社があり、そこから進んで「一色八幡宮」を見つけたりしながら勝神社の方向へ歩く。
 
表佐小学校の東に勝宮古墳のこんもりした森が見えてきた。
 
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古墳のところまでいくと、盛土はわずかで、随分破壊されているようだった。
 
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古墳の南側に勝神社がある。
 
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太く巻いた注連縄と美しい瓦屋根の拝殿が印象的だ。
 
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拝殿の屋根瓦の神紋はこれまで見たことのないもので、ネットでざっと調べてみたが、どのようなものか解らない。
 
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正面の軒上に鬼瓦が載るのはこれまた珍しい。
 
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屋根の両側の鯉にしがみつく童の飾り瓦も活き活きとしていい。
 
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本殿の正面には龍の、脇障子には獅子の飾りがつく。
 
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参道の石灯篭の形も独特なものだ。
 
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神社から少し東へ行くとまた相川の堤に出て、堤の道を垂井の駅へ歩く。
 
南宮大社界隈からは見えなかったが、勝神社の相川の堤からは、古代、鉄を採っていたという金生山が見え、今は石灰岩を採っていて崩れた山肌を見せている。
 
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この日はここまでで、またJRの垂井の駅へ戻り、名古屋へ帰った。

垂井歴史民俗資料館

南宮山から下山して、朝、南宮大社の門前へきたときに見つけておいた料理屋へ冷たいビールを楽しみに入ってみると、ガーン、目の前に、「お昼は予約客のみ」と黒板が置かれていた。
 
他には仕出屋さんばかりで、食堂も喫茶店もなく、しょうがないのでJRの駅前まで戻って、やっと冷たいビールと天丼にありついた。
 
で、午後はまず「歴史民俗資料館」へ向かう。
 
町には「相川」が流れていて、南西に南宮山を望むことができる。
 
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そして不破ノ関(関ヶ原)をはさんで、北西には伊吹山を望むことができる。
 
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資料館は、相川沿いにあり、図書館に併設されている。
 
入口にレトロな南宮山の松茸狩りのポスターが展示されていて、吉葛神社で出会ったおじさんの、昔は南宮山へ登って松茸狩りをして頂上で焼き松茸で一杯やったともんだ、という話を思い出した。
 
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古墳時代の展示は、古墳の写真のパネル展示が主で、古墳の位置の情報を得ることができた。
 
また、石器時代、縄文時代に、美濃の「下呂」が石器製作原料の「下呂石」の産地で、それが、富山、東海、北近江へはこばれていたとのことで、これはずっと時代は下がるが、継体天皇の勢力圏とかさなるなあ、、、この地域は古くから交流があったことを知る。
 
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軒丸瓦の紋は、ずっと「菊」だと思っていたが、先日、春日井シンポジウムのシリーズの3巻「壬申の乱」を読んで、「蓮の華」であることを知った、その現物を見ることができた。
 
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ビデオの短編で、南宮大社や伊富岐神社などのお祭りを見ることができ、休憩がてら長いすに横になってのんびり鑑賞した。
 

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