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兵主神社から山を下ると渋谷向山古墳(景行天皇陵)がある。
山の辺の道を歩いていくと、「神籬(ひもろぎ)遺跡」の道標があったので本道からそれて行くと、それは渋谷向山古墳のベストビューの位置にあった。
神籬遺跡のあるあたりの地名が「ひもろぎ」だそうで、古代、この地が神祀りの地であったようだ。
神様の依代になる磐座が復元されている。
そこからまた本道を古墳へ向かい、また本道から分かれて、古墳の前方へ向かう。
渋谷向山古墳は、全長約300mの巨大なもので、箸墓古墳も巨大と感じたが、それにも勝って巨大な古墳だ。 古墳の前を国道169号が通っていて、道路の向こうに手打ちうどんの店があったので、そこで昼食にした。
冷たいビールで一息つき、もっちりした食感のうどんも旨かった。
店を出て国道沿いに歩き始めるとすぐ森の中に小さな神社が見えたのでそちらへ行くと、その森は、「上の山古墳」であった。
そこにあった神社は、その名を記すものがなにもなく、どんな神社かはわからなかったが、この古墳の主を祀っているんだろう。。。
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番外篇 大和を歩く
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相撲神社からもう少し行くと、道路にまたがって兵主神社の鳥居がある。
鳥居をくぐって少し行くと、左手に道路から分かれて、鬱蒼とした参道がある。
森のなかの参道を抜け、視界が開けると社殿があり、拝殿の後ろに3つの本殿が並ぶ。
三つの本殿にはそれぞれ、鏡・剣・勾玉の三種の神器がご神体として祀られているそうだ。
拝殿の神紋は「橘」紋。
中央の本殿の木彫りの飾りには「稲葉の白兎」が、
右側の本殿には、「鳳凰」の飾りがあった。
左側本殿の飾りは、何かよくわからないが、花のような図案が彫られている。
蟇股に鶴の飾りもあった。
境内の森の中に、写真は出雲大社だが、天王社、祖霊社などの境内社が点在している。
深い森の中の誰もいない静かな神社で、気持ちのいい神社であった。 |
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ホケノ山古墳から山の辺の道の本道沿いにある桧原神社に向かう。
今回も神社前の茶店で休憩して神社に参ると、例祭か、神職が供え物をして祝詞をあげるのに行きあたった。
ここから山の辺の道本道を北へ歩く。
しばらくは山の中の道が続き、途中から舗装された道になる。
また本道をはずれて、巻向山の中腹にある相撲神社へ向かうと、途中に「景行天皇纒向日代宮跡」の石柱がある。
ここの説明版で、日本武尊の遺言で神代文字による『秀真伝』という文献が編纂されていることを知る。
宮跡は見晴らしのいいところにあり、ふもとに巨大な景行天皇陵が見える。
ここのふもとの纒向遺跡が卑弥呼のころの都市あったとのことで、邪馬台国大和説が力を持ちつつある。
でも私は邪馬台国九州説を支持している。
ここからもう少し山を登ると、兵主神社があるが、その手前に「相撲神社」がある。
垂仁天皇の時、はじめて相撲の午前試合が行われ、その勝者の「野美宿禰」が祀られている。
鳥居をくぐって正面に丸い広場があり、これが土俵であろう。
拝殿などはなく、土俵脇の森の中に小さな社が祀られているだけだった。
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前回の山の辺の道散歩は、大神神社の神社めぐりであったが、今回は古墳めぐりになった。
茅原の集落を抜けたところに「萱原大墓古墳」があった。
この古墳は、南に前方部を向けた帆立貝式の前方後円墳で、5Cに築造されたということになっている。
墳頂に上ると、北西すぐのところに箸墓古墳が見える。
この先、山のほうへ桧山神社へ向かうのと、山を下って箸墓古墳のほうへの渡れ道になり、私は前回見落としたホケノ山古墳へ行くために、箸墓古墳の方へ向かう。
ホケノ山古墳は、前回訪れた「国津神社」のすぐ北東の斜面にあった。
こちらは、3C後半に築造された最も古い部類に属する前方後円墳とのこと。
前方部に埋葬施設が復元されている。
棺は、まっすぐ三輪山を向いているわけではない。
ここから山のほうへ戻り、桧山神社前を通る山の辺の道の本道に向かう。 |
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6月20日、恵比寿神社から商店街を抜け、大神神社の参道からJRの線路沿いに箸墓方面へ向かう。
少し行くと田んぼの中に柿畑があって、田植えをしていたおじさんに聞いて、そこが「狐塚古墳」であるとわかった。
伊達宗泰著「大和・飛鳥考古学散歩」によると、一辺40mほどの方墳とのことで、石室がむき出しになっている。
石室の中は水浸しで中には入らなかった。
ここから茅原の集落に入ると、大神神社の末社の富士神社と厳島神社があり、ガイドブックには「弁天社」に石棺が残る古墳がある書いてあったが見つけることができなかった。
どうも、社の建つ石組みが石室であるらしい。
神社境内に大日如来を祀るお寺があった。
ちょうど女衆が月業のお花を供えているところで、私が格子戸から中をのぞくと、戸を開けてくれた。
坐っていたおばあちゃんが、ここの大日如来は東向きで、三輪では東向きは珍しい、と教えてくれた。
また、向かって左側にも仏像があったが、盗まれてしまったのだそうだ。
境内に、石仏があったが、真ん中のものは石が一つだけ祀られていたが、これは台座で上にのっていた石仏が盗まれてしまったのかもしれんなあ。。。。
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