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山野辺の道を歩いたとき、近鉄桜井駅で「てくてくマップ」という案内図を手にいれたが、その裏面は「葛城の道コース」になっていて、葛城といえば、尾張氏にまつわる「高尾張」といわれる場所があり、ぜひ行ってみたいと前々から思っていた。
9月26日、ちょっと残暑もやわらいだこともあり、また5:30発の近鉄で、名古屋駅から伊勢中川ー大和八木ー橿原神宮前ー尺土と4回も乗り換えて御所(ごせ)まで行き、そこから葛城の道を散策した。
駅の西に葛城山がそびえ、葛城の道コースからははずれるが、まずは高尾張の地に比定されている「葛木坐火雷神社(かつらきいますほのいかづちじんじゃ)へ向かう。
駅から山すその住宅街を抜ける手前、住宅にはさまれた路地の奥に「崇道天皇神社」があった。
境内は狭いが、巨木に覆われた社殿は印象的だ。
祀られている「崇道天皇」は、映画「陰陽師」でも強力な怨霊として登場するが、無実の罪で兄桓武天皇から陥れ絶食自殺した皇子だ。
ここにお墓があるわけではなく、なぜこの地に崇道天皇が祀られているのかはわからない。
葛城氏も大王家からなんだかんだと難癖をつけられて滅ぼされた氏族だそうだから、その怨念を、後世、崇道天皇の怨霊に託したのだろうか。。。。。
本殿の蟇股にはペアの鳥が掘り込まれているが、「オシドリ」の番のようにみえる。
住宅街を抜けると、葛城山の裾野がひろがり、ちょうど彼岸花の季節であった。
櫛羅(くじら)の交差点をまっすぐ進めば葛城山ロープウェー、左の南へ向かえば葛城の道、私は葛木坐火雷神社のある「笛吹」の集落へ向かう。
裾野をだいぶ上ってきているので、大和三山も望見できる。
これまでの集落内の民家の屋根や瓦屋根のついた塀の上には、色々な飾り瓦を見ることができた。
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番外篇 大和を歩く
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もう何枚か、茅原の集落でみつけた飾り瓦があった。
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山の辺の道の街道沿いの集落には立派なお屋敷が多くて、いろいろな飾り瓦を見る事ができる。
主流は、大黒・恵比寿の像で、さすが大黒様の大物主のお膝元だ。
そのほか、稲葉の白兎など、出雲の香りのするモチーフが目立つ。
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楢神社からJR檪本駅へ向かう途中に、高良神社がある。
神社の名を記した石柱は少し離れたところに立つ。
この石柱から南へ20,30m行くと西向きに鳥居と社殿が建つ。
高良神社というのは、本社は九州筑後の久留米にある高良大社で、金達寿著の「日本の中の朝鮮文化」の「筑前・筑後。豊前・豊後」を読んだときに印象に残っていた。
祭神は、高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)。
高良大社は筑後の総鎮守のようで、立地する高良山には古代朝鮮式山城址があるそうだ。
金達寿氏は、高句麗との関係を書いておられるが、いずれにせよ、古代朝鮮とのかかわりが強いようだ。
社殿は、ここも春日造り。
屋根にある神紋は、「木瓜」で、和爾坐赤坂比古神社と同じだ。
山の辺の道の散策はとりあえずここまでで、JR檪本駅から桜井駅へ、桜井からは近鉄で名古屋へ帰った。 |
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在原神社からまた街中の街道沿いに北へ、楢神社へ向かう。
神社は街道沿いにあり、銅板造りの鳥居が立つ。
境内はそんなに広くなく、社殿は南向きに建つ。
由緒書とかは見当たらなかったが、ネット検索でみつけたHPによると、
「楢神社は、神護景雲元年(767)九月十三日に称徳帝の奏聞を遂げ、神託により宮山(上の宮)に創建された。その後、風雪に朽ち兵火に焼失して、現在地に遷座申しあげた。
東大寺修二会に読誦する東大寺上院神明帳に和邇・楢・巻向とみえて和邇坐赤坂比古神社に続いてナラツヒコ(奈良豆比古)神社と読まれる神社や、また、延喜式神明帳の添上郡にみえる奈良豆比古神社に比定する説もあり、当社の伝聞する説話に符合するのであるが、鬼子母神を合祀して二柱御神霊を祭祀するようになり楢大明神『楢の宮さん』として畏敬され慕われてきた。昭和三十一年に現在の楢神社に改称した。」 祭神は、五十狭芹彦命(いさせりびこのみこと)と鬼子母神。
五十狭芹彦命は、wikipediaによると、崇神天皇のころ山陽道を主に制圧した四道将軍の一人の吉備津彦命(きびつひこのみこと)と同一人物とのこと。
ただ、前記HPによると、「ナラツヒコ」かもしれないとのこと。
拝殿の神紋は「丸に違い柏」のようだが、楢(ナラ)の葉っぱかもしれんなあ。。。
「社殿は文久二年(1861)春日大社の第五十二次造営に際し払い下げを受け、氏子によって担ぎ帰り移築したものである。」 とのことで春日造り。
拝殿の前部の、銅の吊り灯篭や絵馬が印象的だ。
境内社は、大きいほうの恵比須神社(祭神 恵比須神) と、八幡神社(祭神 応神天皇)で、脇のご神木は割れ目があり、「『子授けの御神徳』は古くから有名である。」とのことで、豊穣の神様であるらしい。
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