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「観光ガイド天理」というパンフレットによると、檪本の集落の中に、いくつか神社があるので訪ねてみた。
和爾下神社の大鳥居まで戻り、そこから西へ続く道をJRの檪本(いちのもと)駅の方向へ向かう。
途中このあたりかなあ、と思う道を南へ行くとその街道から少しひっこんだところに「在原神社(ありわらじんじゃ)」はあった。
在原神社は、明治9年まではお寺であったとのことで、ここも廃仏毀釈で寺は壊されてしまって、神社が建てられたらしい。
広場の奥のほうに本殿が建つ。
祭神の在原業平は、高校時代だったか、古典の「伊勢物語」のプレイボーイの主人公であったことは覚えているが、内容はすっかり忘れてしまった。
昔の女が現れて思い出話をする、という内容の「井筒」という謡曲があって、その井戸が境内の脇にある。
業平は、プレイボーイということで、河内の別の彼女の所へ通ったという道しるべが井筒の脇に立っている。
その向かい側には、業平の妻の母親を祀る「姫丸社」が建つ。
何故、妻ではなく、妻の母親が祀られているのか、謎だ。
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番外篇 大和を歩く
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赤土山古墳からまた和爾下神社の参道へ戻る途中、もう一つ東大寺山古墳があるとのことで、それらしい小山がみえたのでその近くまで行ってみた。
森の中に赤い鳥居が見えたのでいってみると、高龗神社(たかおおかみじんじゃ)であった。
この神様は、大和神社の本殿横にも祀られていた水の神様だ。
雨師大神を祀る小さな社の横に、墓石のような「白鬚明神」が祀られている。
「日本の中の朝鮮文化」の金達寿によれば、白鬚明神は「新羅明神」と同じ神様で新羅の神様だそうだ。
山の辺の道は、出雲の神々が祀られていて、鶏の埴輪にも出会うし、なにか新羅の匂いが濃厚だなあ、と歩いていたが、ここで、新羅明神に行き当たり、やっぱりここは新羅なんだなあ、という思いを強くした。 |
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和爾下神社からもう少し東へ行くと、小高い丘に新興住宅街があって、その奥のはずれに「赤土山古墳」がある。
和爾下神社の古墳もそうだったが、ここも和爾氏のご先祖様のお墓であるらしい。
後円部の後方のテラスに、出土した埴輪が復元されている。
いろいろな形の家型埴輪が並ぶ。
中央に高い塀に囲まれた家の埴輪があるが、それは、中国浙江省の田舎に行くと、村はずれなどに同じような造りの道教の廟があり、それにそっくりだ。
なかに鶏の埴輪があり、石上神宮は生きた鶏が放し飼いにされていたが、物部・和爾氏族は新羅の鶏林説話とのかかわりがあるのかなあ。。。。
食べ物を蓄えるための大きな壺をたくさん持つことが冨の象徴であるそうだ。
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柿本寺跡の東側の小山は古墳で、その頂上に和爾下神社の社殿が建つ。
ここは和爾氏の本拠地ということで、古墳の主は和爾氏のご先祖様なんだろう。
鳥居をくぐると正面に境内社の熊野神社・琴平神社・厳島神社・十二神社・稲荷社が並ぶ。
そこから古墳の上へ石段が続き、上りきると拝殿が正面に建つ。
祭神は、素戔鳴尊、大巳貴命、稲田媛ということで出雲系の神様が祀られている。
拝殿正面の木彫りの飾りは、頭部が折れてなくなってしまっているが、鷹のようだ。
瓦の神紋は、「三つ巴」。
本殿は重要文化財とのことだが、その全体を見渡すことはできない。
本殿の蟇股の木彫りは「龍」のようだ。
和爾氏というと「ワニ」ということで海の氏族のような気がするが、鷹と龍の飾りからは、北方の騎馬氏族の匂いがする。
絵馬は平凡に寅年の虎。
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和爾坐赤坂比古神社からまた国道へ戻り、南へ少し行くと国道沿いに和爾下神社の大きな赤い鳥居があった。
そこからもっと東のほうに鎮座する和爾下神社まで長い参道が続く。
途中、赤い幡がヒラヒラと、柿本人麻呂の石像が祀られていた。
なぜか、大きな親蛙の背に5匹の子蛙の石像もあり、人麻呂と蛙にまつわる句の石柱も立つ。
人麻呂は蛙に化身したんだろうか。。。。。
よくわからない。
このあたりにかつては柿本寺があったそうで、説明板が立っていた。
ここからさらに参道を進むと和爾下神社の鳥居があり、その脇の奥にまた柿本寺跡の立て札があり、大きな礎石もいくつか見られた。
そうしてみると、柿本寺はかなり広い境内をもっていたようだ。
寺の礎石の近くに、古墳の石室の天井石も置かれていた。
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