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竹之内から北へ進むと正面に夜都伎神社の鳥居が見えてくる。
村にあった夜都伎神社と春日神社のうち、夜都伎神社の地は竹之内の池と交換して、春日神社のみとなり、神社の名前は夜都伎神社として残したんだそうだ。
そのため、祭神は春日神社の四神、天児屋根命 ・武甕槌命 ・経津主命 ・比売神。
拝殿は、茅葺の農家のような建物だ。
春日造りの春日四神と末社の金毘羅神社の本殿が並ぶ姿は美しい。
神紋はもちろん春日の藤紋。
本殿の蟇股の飾りの彩色された「獅子」が美しい。
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番外篇 大和を歩く
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古墳の上は柿畑になっていて、脇に「刀根早生柿発祥の地」の石碑が立つ。
刀根早生柿は、「冨有」「平核無」とともに日本三大柿品種の一つなのだそうだ。
そこから萱生(かよう)の西山塚古墳までもどり、山の辺の道の本道を北へ向かうとすぐ、「波多子塚古墳」の説明板がある。
この古墳は、前回、西山塚古墳から長柄駅へ下るときも、古墳かなあ、と写真に撮ったもので、今回、説明板があって古墳であることを確認できてうれしかった。
萱生の集落から竹之内の集落へは農地が続く。
竹之内集落は、環濠があることで有名とのことで、本道から集落の方へ登る。
初め環濠はわからず、立派なお屋敷が並ぶ集落の中へ入り、ひとまわりまわってもとの集落の入口のところへ戻って、説明板があることに気がついた。
説明板のあるところが小さな公園になっていて、その奥へいくと、わずかに残る環濠があった。
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萱生の西山塚古墳から山をほぼまっすぐ下って、国道を渡りもう少し西へ歩くと「大和神社」がある。
一の鳥居をくぐってから、長い参道が続く。
二の鳥居をくぐるとひらけた境内になり、正面に拝殿がある。
拝殿の後ろには、三棟の本殿が並ぶ。
祭神は、中央が「日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)」、向かって右側が「八千戈大神(やちほこのおおかみ)」、向かって左が「御年大神(みとしのおおかみ)」
拝殿には「菊」の神紋。
社殿の向かって左側に摂社の「高龗神社(たかおおかみ)神社」があったが、赤い鳥居に旗ががならぶので、初めは、ここにもお稲荷さんがあるな、と勘違いした。
祭神は、「雨師大神」で、水神様だそうだ。
二の鳥居を入ってすぐ左側に摂社の「増御子神社」がある。
祭神は、猿田彦大神と天鈿女命の夫婦神。
「万事最も良い方へお導きになる大神」ということで、色々な絵馬も奉納されていた。
この向かい側に、JR長柄駅方面への道しるべがあったのでそれに従って駅へ向かう。
途中、襲来へ入ってすぐ、「素戔鳴神社」もあった。
ここから駅はすぐで、長柄駅から桜井へ戻り、また近鉄で名古屋へ帰った。 |
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お旅所から山の辺の道を北へ少し進むと念仏寺があり、その墓地を抜ける道になる。
この道でいいのかなあ、、、、とやや不安であったが、墓地を抜けると集落になり、左手に五社神社があって、そこから右折して「西殿塚古墳(衾田陵)」へ向かう。
集落の東側にこれもまた巨大な西殿塚古墳があった。
この古墳は、継体天皇の皇后「手白香皇女」のお墓とされているが、継体天皇の時代は後期前方後円墳の時代5C後半から6C前半の人で、この古墳は前期古墳とされていて、時代のずれが大きく、天皇陵の比定のいい加減なことを示す代表として有名だ。
また本道へもどり北へ進むと萱生(かよう)町にはいり、集落の西側に「西山塚古墳がある。
大和古墳群のなかで、この古墳だけが後期の前方後円墳だそうで、これが衾田陵だとしてもおかしくないなあ。。。。。
ここの集落も立派なお屋敷が立ち並ぶ。
この日の山の辺の道の散歩はここまでで山を降り、大和神社へ向かう。 |
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長岳寺の集落を抜け、次の集落へは田んぼの中の里道になる。
前方に、こんもりした小高い森が見え、これも古墳かな、と写真を撮る。
上り道を上がると、やはりそこは古墳で、「中山大塚古墳」の説明版があった。
初期の前方後円墳ということで、3C後半〜4Cの築造のようだ。
古墳の前方部に大和神社(おおやまとじんじゃ)のお旅所の社が建つ。
この古墳は、崇神天皇の皇女、渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)のお墓であるらしい。
お旅所の隣に「歯定神社(はじょうじんじゃ)」が並んで建つ。
祭神は、大己貴神・少名彦名神で、国造の神様。
立派な瑞垣に囲まれた本殿が建つ。
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