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猿投山から西の宮、七滝ルートで下りると幹線道路にでたが、猿投神社前のバス停からかなり離れているし腹も減ったので食べ物屋を探して歩くことにした。
地図をみると、ちょっと南に「建速神社」があるのでまずはそこへ向かう。
「天王森」とあり、素戔鳴尊を祀っているんだろう。
規模は違うが、舞殿があって中門と瑞垣で囲まれた中に本殿がある、という配置は、猿投神社と同じだ。
猿投山から流れでている籠川沿いに歩いていると、西のほうに神社がみえるので行ってみると、稲荷神社であった。
「豊受大神」を主神に、天照大神と熱田大神を祀る。
社殿の配置が、舞殿が二棟並び、猿投神社と全く同じだ。
お稲荷さんということだが、狐の飾り瓦が中門の屋根に載る。
国道283号にでるとバス停があったがバスがくるまで1時間ほどあり、続けてあるくとゴルフの練習場があり、軽食堂もあったのでそこで冷たいビールとカレーライスで休憩と昼食にする。
そこから名鉄の上豊田駅へ向かうにはまた籠川にでて、猿投山をバックにその堤を歩く。
だいぶ街中に入ったところで「白山神社」に行き当たった。
西暦851年創祀ということで、ずいぶん古い神社だ。
そこからまた30分ほどで上豊田駅にたどり着き、この日はそれで帰途についた。 |
番外篇 三河を歩く
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猿投山頂上から猿投神社の「西の宮」をまわって下山した。
もうすぐ西の宮というところに「御船石」という船の舳先のような巨岩が三河の山々に対してある。
もう少し行くと、西の宮の裏の高台にでて、そこに「大碓命」の墓がある。
わずかに土を盛った塚で、もっと大きな古墳かと思っていたので、拍子抜けした。
日本武尊の双子のお兄さんで、ここ猿投山でマムシに咬まれてなくなってしまったという大碓命だが、いずれにせよ伝説上の人物で、このお墓は、やはりこの地域の開発者のお墓と考えるのが自然だろう。。。
急な石段をおりると、西の宮の社殿裏にでる。
ここにも社殿の前方に何か建物があったと思われる礎石が並ぶ。
社殿側面には「三つ巴」の紋がつく。
社殿正面の蟇股はシンプルな逆ハート型の透かし彫り。
山道を少し下りると西の宮の鳥居があった。
ここで、猿投神社の本社へ戻る道と、「猿投七滝」と国の天然記念物の「球状花崗岩」をめぐるコースへと分かれるので、せっかくだからと、天然記念物を見に行くことにした。
舗装道路を下っていくと、まずは「山神」を祀る石塚があった。
滝に名がつけられていなければこれといった特徴があるとは思われない谷川沿いを下ると、金網で囲われた中に、その天然記念物はあった。
谷川沿いに舗装された山を下る道は続く。
途中、草に覆われて、使われなくなった「トロミル」があった。
そしてさらに下ると思いもかけず、猿投神社の摂社の「広沢天神社」に行き当たった。
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猿投山山頂へ向かう道は、しばらくは舗装道路を行き、途中で東海自然歩道の山道になる。
上り始めてすぐに「水神」が祀られているのに行き当たった。
道のあちこちに「ツキノワクマ 注意」の看板が立っていて、昨年9月の乗鞍の熊襲撃事件のニュース映像を思い出し、ビビる。
道は谷川沿いに続くが、川の水を利用した水車で陶磁器の原料を作るための「トロミル」が復元されている。
これは、中国浙江省の山奥の青磁の里、龍泉へ行ったときにも見た。
「お倉岩」を過ぎしばらく行くと、自然歩道へ入る分かれ道になり、ちょっとのぼると「御門杉」があり、山道を登る。
自然歩道からまた舗装道路にでるとすぐ「東の宮」の鳥居があり、トイレなどもあり、ちょっと一休み。
ここからまだ山道が続き、大木が立ち並ぶ向こうに東の宮が見えてきた。
以前は拝殿でもあったんだろうか、現社殿の一段下に礎石がある。
東の宮の社殿は、神明造りで、その右横ににも小さな神明造りの社が並んで立つ。
祭神はわからないが、もともとは猿投山の神様を祀っていたんだろう。
ここから山頂へはもう一息で、途中、なぜか「カエル岩」がある。
なぜこんなところに「カエル」なんだろうとこのときは不思議に思ったが、最近読んだ、谷川健一著「青銅の神の足跡」に、高倉下が神武天皇を救った神剣を発見した倉のあとに「ゴトビキ(ひきがえる)岩」という巨岩がある、とあり、猿投山のカエル岩もこれに由来しているのかなあ、と思った。
で、そこからちょっとで山頂に至る。
北向きの一画だけ木々が切れ、遠く瀬戸の方向を望むことができる。
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中門の内側、本殿の東側に、神明造りの熱田社、塞神社、流れ造りの八柱社、大国社、御鍬社が並ぶ。
塞神社というのは尾張一宮の尾張氏の祖神、天火明命と天香山命を祀る「小塞神社(おぜきしんじゃ)」だろうか、とすれば、熱田社といい、この地は、三河というより尾張の匂いの強いところだ。
大国社の蟇股には、シンプルな飾りがつく。
社殿の西側、谷川が小さな滝の流れ落ちるところに赤い鳥居の「厳島社」が祀られている。 猿投山山頂近くにある、東宮と西宮に行こうと、社殿東側の道を上るとすぐ、「猿投神社山中観音堂」がひっそりと建っていた。
神仏混淆のなごりなんだろう、「猿投山東昌寺」もすぐ横にあり、石仏がいくつか置かれている。
本堂につながる厨の玄関に見事な鳳凰の飾りがあった。
鐘楼の欄間の木彫りにも鳳凰と鶴がみられる。
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以前、尾張戸神社へ行ったときはるか向こうの東西に聳える猿投山と伊吹山が見え、尾張の道しるべの山立てはこの二山を目印にしていたんだろうなあ、と興味が湧いた。
そのころからずっと猿投山へ行ってみようと思っていたが、9月19日、まだ残暑がきびしかったが、猿投神社と猿投山を散策した。
地下鉄と名鉄を乗り継いで、「上豊田」駅で降り、そこからバスで「猿投神社前」で降りる。
バスを降りるとすぐに金色の鳥居が迎えてくれた。
道路を渡った向こうに千木・鰹木の載る総門があり、杉の巨木が立ち並ぶ長い参道を進む。
舞殿だろうか、大きな舞台が二棟並んで建つ。
舞殿との間隔が狭く、拝殿・本殿を囲い込んで中門があり、参拝はそこで行う。
屋根の神紋は、「三つ巴」。
中門の軒先には、鶴(コウノトリか?)の木彫りの飾りがつく。
本殿は、千木・鰹木の載る神明造り。
祭神は、日本武尊の双子の兄といわれる「大碓命」、その二人の父「景行天皇」、祖父の「垂仁天皇」。
ただ、大碓命が主祭神とされたのは近世以降のことだそうで、元来の祭神については諸説があり、猿投山の神を祀ったものであろうといわれているそうだ。
「さなげ」というのは、谷川健一著「青銅の神の足跡」によると、「鉄鐸を古語では「さなき」というとある・・・・・・もともと、銅、鉄にかかわらず、金属製の鐸を「さなき」と呼んだと思われる・・・・・・」とあり、佐那具(さなぐ)、佐鳴(さなき)、猿投(さなげ)、散吉(さぬき)などの地名は、銅鐸との関連があると想定されていて、「この地名は弥生時代にまでさかのぼって命名されたものであると知れよう」とされている。
とりあえず、金属の神との関係がうかがわれる神社で、猿投神社でも、美濃の金属神を祀る「南宮大社」と同様に、金物の「鎌」が奉納される習慣があるのもうなずける。
ただ、ここ猿投神社では奉納される金物は「左鎌」に限られるようで、その由来は、日本武尊と関係付けられている。
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