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番外篇 伊勢を歩く

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五十鈴川にでてから、その堤防の道を河口の方向へ歩く。
 
近鉄のガードを過ぎて少し行くと楠部の集落になり、五十鈴橋に至る。
 
この橋の向こうのこんもりとした森の中に内宮の摂社の2つの社がある。
 
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この橋の上からも美しい姿の鼓ケ岳が望まれる。
 
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森の中に入るとはじめに「大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)」が南南東向きに建つ。
 
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祭神は、ガイドブックによると、大国玉命(おおくにたまのみこと)、水佐佐良比古命(みずささらひこのみこと)、水佐佐良比賣命(みずささらひめのみこと)で、3神とも国生(くになり)の神の御子で、倭姫命が定めた宮。
 
この社には内宮末社の「宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)」も祀られている。
 
祭神は、高水上命(たかみなかみのみこと)。
大水上神の御子で、灌漑用水の神様だそうだ。
 
この社の奥へ進むと、「国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)」が建つ。
 
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祭神は、宇治比賣命(うじひめのみこと)、田村比賣命(たむらひめのみこと)で、2神とも国生の神の御子で、土地の神。
 
この社には内宮末社の「葦立弖神社(あしだてじんじゃ)」も祀られている。
 
祭神は、玉移良比女命(たまやらひめのみこと)で、宇治都比女命(うじつひめのみこと)の御子で、この地方の産土神。
 
同じ森の隣に、「櫲樟尾神社(くすおじんじゃ)」が建つ。
 
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本殿はやはり神明造り。
 
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祭神は、櫲樟尾ノ大神など、木や山の神様のようだ。
 
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この神社では、「楠部萬歳楽」という神事が有名であるらしい。
 
 
絵馬は、神馬の図柄。
 
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この森のすぐ南東に、伊勢神宮の「神田」がある。
 
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稲の苗が伸び、その緑が美しい。
 
この神田の隣にコミュニティーセンターがあって、「四郷の氏神様と御神遷」という企画展をやっているとのポスターを見つけたので、開館の9時まで20分ほど櫲樟尾神社の境内で休んでからまたセンターまで戻ったが、残念ながら日曜日は休館であった。
6月24日、伊雑宮の御田植式を見に行ったが、近鉄で往復約4000円かかり、近鉄では4000円で「週末3日間フリー切符」を販売しているので、その切符を買っておいた。
 
ただ、この切符は当日の購入はダメなので、前日の23日に名古屋駅へ行く用事があったついでに買っておいた。
 
で、26日の日曜日に、また「お伊勢さん125社めぐり」にでかけて、今回は五十鈴川の川べりをめぐり歩いた。
 
また、5:30の鳥羽行き急行で「五十鈴川駅」に7時ごろ到着、駅から内宮へ続く道の途中にある内宮の別宮「月読宮」へ向かうと、正面に「鼓ケ岳」が見える。
 
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鼓ケ岳は、筑紫申真著「アマテラスの誕生」によると、
 
「鼓ケ岳は、五十鈴川をへだてて、皇大神宮の西側にある山です。宇治と山田をむすぶ有名な門前町、古市の町の南続きの位置にあり、この山は、五十鈴川沿いの平野部からながめると、みごとな円錐形をしています。五十鈴川の西側の山地一帯を神路山とよんでいますが、鼓ケ岳はそのなかでもいちばんきわだって人目をひく、うつくしい形の山です。神路山とは、カミの通い路の山という意味です。つまり、鼓ケ岳は、アマテラスが天からおりてきた通路の山であり、また天へかえってゆく通路の山であったわけです。第一史料の「則ち天照大神の始めて天より降ります処なり」という文章が教えてくれることは、つぎのとおりです。アマテラスオオカミは、『日本書紀』が述べているように、大和国から伊勢に移してまつられたものではない。アマテラスは、もともと宇治において、天から、人びとのまつりをうけるためにおりてきていた、そういう、地方のカミであったということ。さらに、そのような天から地上におりてくるカミは、はなはだ自然神的であって、宇治におけるアマテラスオオカミは、必ずしも最初からアマテラスオオカミとよばれる天皇家の先祖のカミではなく、天空現象の自然神であった過去をもっている、ということです。」
 
五十鈴川めぐりで歩いていると、常にこの鼓ケ岳を仰ぎ見ることができ、山をみて自分の位置を知る「山あて」にも大切な存在であったろうと思う。
 
駅から500mぐらいで「月読宮」の鳥居にたどり着く。
 
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ここの社叢は大きく、深い森の中を続く参道はかなり長く、その中を歩くのはすがすがしい。
 
森を社殿のあるところへ抜ける手前に樹齢800年といわれる大きな楠があって、その前に小さな祠がある。
 
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森を抜けると向かって左から「伊佐奈弥宮(いざなみのみや)(伊奘冊尊)」「伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)(伊奘諾尊)」月読宮(つきよみのみや)(月読尊)」「月読荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)」が南南東向きに並ぶ。
 
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月読尊は、天照大神、素戔鳴尊、とともに生まれた、夜之食国(よるのおすくに)を治める神様で、天照大神の太陽に対する神様だ。
 
この4つの宮は、月読宮、月読荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順に参拝するように案内板がある。
 
裏参道の入口近くに、内宮末社の「葭原神社(あしはらじんじゃ)」がある。
 
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ガイドブックによると、祭神は、佐佐津比古命(ささつひこのみこと)、宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)、伊加利比売命(いかりひめのみこと)で、田畑を守護する五穀豊穣の神さまであるそうだ。
 
裏参道入口前の信号を渡って、集落へ入る道をまっすぐ行くと、内宮摂社の「宇治山田神社(うじようだじんじゃ)」のある「興玉の森(おきたまのもり)」が右手に見える。
 
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森の入口から石段を上ると、社殿が南南東向きに建つ。
 
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祭神は、山田姫命(ようだひめのみこと)で、大水上神(おおみなかみのかみ)の御子で水の神。
 
この社には、内宮末社の「那自賣神社(なじめじんじゃ)」も祀られていて、その祭神は、大水上御祖命(おおみなかみのみおやのみこと)と御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)で、五十鈴川の川水の守り神。
 
両社とも倭姫命が定めたのだそうだ。
 
参道を下り戻ると、正面にはまた鼓ケ岳が見える。
 
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この集落を抜けると五十鈴川に出る。
 
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五十鈴川をはさんで鼓ケ岳の対岸に内宮がある。
 
川のほうから堤防へ大きなタモ網を持ったおじいちゃんと子供の二人連れが自転車を押して上がってきたので、何が獲れるんだろうと聞いてみると、川のゴミをすくっているんだそうで、地元の人たちが川を大切に守っているんだなあ、と感心した。

磯部を歩く

6月24日、磯部の伊雑宮の御田植祭りを見に行ったが、御田植え式が13時すぎに終わって、15時から始まる踊り込みまでは時間があり、磯部には伊雑宮のほかにその所管社である「佐美長神社(さみながじんじゃ)」があるのでそちらにもまわってみた。
 
伊雑宮は、近鉄「上之郷駅」の西すぐのところにある。
 
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社は、式典が行われるため幕が張られていた。
 
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祭神は、神社でもらった栞によると、
 
「伊雑宮は、一般には「イゾウグウ」とよばれ、皇大神宮(内宮)の別宮で古くから「天照大神の遥宮(とおのみや)」と称せられ、御祭神は 天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)です。恒例および臨時の祭典は、内宮に準じて行われ、二十年ごとに式年遷宮も行われます。」
 
ご鎮座の由来は、
 
「当宮の創祀は、約二千年前の第十一代垂仁天皇の御代のことです。皇大神宮御鎮座の後、倭姫命が御賛地(みにえどころ) (皇大神宮へ奉る御供物を採る所)をお定めになるため、志摩国をご巡行の際に、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が奉迎して、この地に当宮を創建して、皇大御神の御魂をおまつりしたと伝えられています。万葉集に「御食つ国、志摩の海人ならし、真熊野の小船に乗りて、沖辺漕ぐ見ゆ」とも歌われているように、志摩国は風光麗しく、海産物に富み、古来神宮と朝廷のご料を貢進した地です」
 
正殿の構造は内宮に準じ、唯一神明造りで南向き。
 
鳥居をくぐった右手に宿衛舎があり、その脇に「巾着楠」が伸びている。
 
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社叢の南に御料田があり、その東側中央に、木の皮をつけたままの鳥居が立つ。
 
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私は、ビデオ撮影のためにこの鳥居のところに陣取っていたが、竹取神事の裸男たちがここでお神酒と若布をいただいてから入場して、その残りをその場にいた我々もおすそわけでいただいた。
 
御田植え式が終わってから、2時間ばかり時間があり、とりあえず昼飯を、と佐美長神社へ向かう途中見つけた喫茶店で、食事のメニューがないのでトーストとコーヒーで一休み。
 
天気が良すぎて日差しが強烈で、この一休みでずいぶん蘇った。
 
で、喫茶店の近くの交差点に面した森にある佐美長神社へ向かった。
 
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佐美長神社の社は、東向きに建ち、その前北側に小さな社の「佐美長御前(さみながみまえ)神社四社」が南向きに建つ。
 
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伊雑宮でもらった栞によると、
 
「伊雑宮の南約八百メートルの地に鎮座し、 大歳社(おおとしのやしろ)または穂落社(ほおとしやしろ)とも称えられます。倭姫命が志摩国ご巡行の際、鳥の鳴く声高くきこえて夜昼止まないので、これを見に行かせると、葦原の中に一株の稲が生えており、根本は一本で穂が千穂にも分かれて茂っていました。一羽の真名鶴がその穂をくわえて飛びながら鳴いているのを発見し、この鶴を大歳神(五穀の神)と崇めて、この地におまつりしたと言い伝えられています。土地の人々は今も地主の神として崇め、地鎮・方除等の信仰があります。なお同社の御前に小祠四社の佐美長御前神社がおまつりされています。」
 
この森につながったところに「磯部神社」があった。
 
名前からして、この土地の産土神であるだろう。
 
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鳥居は東向きだが、社殿は南向きに建つ。
 
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祭神は、たくさんの神社が合祀されたようで、37柱の名が連なっていて、「そのほか12柱」となっていて、49もの神様が祀られれている。
 
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ここで15時になり、花火の音も聞こえ、「踊り込み」が始まるようなので、また伊雑宮へ戻ることにした。
 
 

鳥羽を歩く 02

6月24日、鳥羽の赤崎神社を訪ねて街並を歩いたが、近鉄鳥羽駅を出ると目の前に大きな鳥居があった。
 
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扁額には「金刀比羅神社」とあり、昨日紹介した「賀多神社」と同じ方向のようだが、近くにあるのだろう、と歩き始めたが、予想に反して街の南西にある「樋の山」の中腹にあって山を登ることになってしまった。
 
社殿はコンクリート造りで、東南東向きに建つ。
 
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由緒書によると、
 
「金刀比羅宮鳥羽分社は、昭和31年8月10日、鳥羽並び近郷の人々の篤い要望により、全国で六番目の金刀比羅宮直轄分社として四国御本宮より分霊を迎えて建立されました。鎮座地、樋の山(日乃山)は海抜120m余鳥羽城の後園であり、台地上からは霊峰富士や御嶽、伊吹の山々を望み、殊に太平洋上の日の出の荘厳さは言語に絶するものがあります。」
 
ということで新しく建てられた神社だ。
 
眺めがよくて、鳥羽の街の正面に浮かぶ「坂手島」や左手には「答志島」、その向こうのほうに「神島」があるらしいが、よくわからなかった。
 
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船の安全を祈願する神社だけあって、お札やお守りのほかに「船旗」も販売されている。
 
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7月22・23日には、例大祭が行われるそうで、時間があれば見にきたいものだ。
 
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山から下りてもと来た道を街中へ戻り、街の東側、海との間にある「城山」の街側に「大山祗神社」があった。
 
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社殿の横の巨木が御神杉で、その根本に御神石もある。
 
社殿は南向きに建ち、真新しい神明造りの本殿が建つ。
 
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鳥羽の街並を南へ抜けて加茂川の河口にでると、山の裾が川までせりだしたその先端の森の中に目指す「赤崎神社」があった。
 
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森の入口に「左赤碕大明神道」の石標がある。
 
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社は森の中に南向きに建つ。
 
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「赤碕祭り」のしおりが置いてあり、それによると、
 
「赤崎さん"として人々親しまれている赤崎神社は、豊受大神宮(外宮)の末社として鳥羽湾内の海岸から豊受大神宮へ奉る御贅採取の守り神(荒前姫神)としてこの地に御鎮座になった御社である。鎮座地赤崎藤之郷の人々は産土神として仰ぎ6月22日を例祭日とし、その昔この地方に流行病が発生した際、この宮城内の杉の小枝を門戸に吊るした家々が難を除れたという言い伝えから、毎年例祭日にこの宮域内の杉の小枝を授かり、流行病除厄祈願としてこの杉の小枝を家々の門戸に吊り下げる習わしが今日迄続いている。また、夏を呼ぶ鳥羽の代表的な祭りとして参拝者が多く、たくさんの露店が並び、夜には殊に雑踏を極め老若男女の多くがゆかたを着て参拝することから「ゆかた祭り」の愛称で呼ばれている。」
 
祭神は、ガイドブックの「お伊勢さん125社めぐり」では、「荒崎姫命」としているが、このしおりでは「荒前姫神」となっている。
 
流行病除厄祈願の杉の小枝は、鳥羽市街のあちこちの家の軒先で見ることができた。
 
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鳥羽を歩く 01

24日、伊雑宮へ行く途中、鳥羽市にある伊勢神宮外宮末社の赤碕神社へ行こうと、鳥羽の街を歩いた。
 
鳥羽駅の南西側に「日和山」があって、その南側に古くからの街並がある。
 
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その街並に沿って旧街道が通っていて、ちょっと行くと、日和山を背にして「賀多神社(かたじんじゃ)」がある。
 
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由緒書きによると、
 
「当社は聖武天皇の神亀元年(724)のご鎮座といわれ、古くは八王子社と称されていたが明治4年郷札賀多神社と改め明治40年には近郷の12社を合祀して今日に至っている。
 当社では、元禄4年(1691)当時流行した悪疫を祓うため、神事踊りを奉納したことを契機に、宝永4年(1707)から神能楽が行われてきた。
 能楽に使用される能面、能衣装、個道具類は、鳥羽藩主稲垣長明氏の寄贈によるもので、非常に優れたものが多く、県の文化財の指定を受けている。」
 
近郷の12社を合祀したといことで、祭神は多い。
 
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本殿は、神明造りで、伊勢というのはどの神社も本殿は神明造りのようだ。
 
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拝所には白馬・黒馬の神馬の額が奉納されている。
 
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境内には、祖霊社、豊栄稲荷社があり、磐座らしき石も祀られている。
 
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神社からさらに旧市街を行くと、はずれに「常安寺」という九鬼氏の菩提寺がある。
 
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説明板によると、
 
「九鬼嘉隆の子、守隆が父の供養のため慶長12年(1607)に開いた曹洞宗のお寺で、鳥羽志摩地方の本山的なお寺となっています。
 お寺には、嘉隆が切腹した時の短刀や肖像画など数々の関係資料が残されています。
 また、裏には九鬼守隆、その正室のほか九鬼氏一同の墓碑が並ぶ廟所(鳥羽市指定文化財)があります。」
 
ということだが、九鬼氏の廟はどこにあるのかよくわからなかった。
 
ただ、由緒ありげな墓石が並び歴史を感じさせてくれる。
 
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厨と思われる建物の屋根には、これも古そうな鬼瓦がのっていた。
 
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