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石段を上ると社務所のある広場になり、多度大社の祭神である天津彦根命と天目一箇命の「幸魂(さちたま)」が祀られる新宮社が建つ。
1571年、信長の兵火を逃れて鉱山の金生山のある美濃赤坂へ疎開していたそうで、この神が採鉱・鍛冶の神であることがうかがわれる。
広場の西側に白馬伝説にのっとてか白馬が飼われている厩舎がある。
名は「錦山」といい、「きんちゃーん、こっち向いてぇ」とお願いすると、顔を出してくれる。
参道を進んだところには、白馬神馬像が納められた小舎もある。
絵馬は「うまくいく絵馬」と八連の絵馬になっていて、白馬づくしだ。
広場の南側には、神輿殿があり、見事な御輿が3台納められている。
沢潟紋というのは初見だが、「おもだか」は、池や沢などに自生する水草で、葉の形が矢ジリに似ているそうで、「勝ち草」とよばれているそうだ。
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