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今年はブログを再開します。

番外篇 伊勢を歩く

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鯨船祭を見に行ったが、その祭りは鳥出神社で行われ、その神社は、日本武尊ゆかりの式内社であることを知る。
 
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神社前に立つ説明板によると、祭神は、日本武尊ほか11柱で、由緒は、
 
「鳥出神社は、「大日本地名辞書」に「延喜式朝明郡(あさけごおり)に属す。今富田村に在り。古事記伝に云う。倭建命の陵造の時、八尋(やひろ)の白鳥に化して天翔(あまかけ)り、浜に向かいて飛び行きぬと云う由見ゆ。鳥出神社、一説に其白鳥の飛び出給いし地と云う。富田とも云う。鳥出の訛れるなるべし」とある。また、密接な関係にある、近隣の富田山長興寺が、創建当初は、悲田院となっていたといわれており、往古より当社も「ひでんさん」とも呼ばれていた。また、「三国地誌」によれば「鳥出神社あんずるに東富田村に座す。若一権現と称す」とある。若一権現とは、紀州熊野の権現(漁業の神)を勧請したもので、鳥出神社は別名を「権現さん」とも呼ばれていた。
 本社は、天正年間(1573〜92)の頃より伊勢神宮の古材を拝領する由緒をもっている。
 現在の本殿は、昭和4年(1929)に、神宮内の月読宮を、正面大鳥居は、平成7年に、内宮ニの鳥居をはいりょうしたものである。」
 
社殿が伊勢神宮のようだな、と思ったら、神宮の月読宮を移築したものということであった。
 
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神社のあちこちに「三つ巴紋」がみえる。
 
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社殿の右側外の社では大黒・恵比須だろうか、翁の笑顔が迎えてくれる。
 
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このほか、境内には、稲荷神社、水波乃売大神を祀る水神社、白龍神・黒龍神を祀る龍神社がある。
 
龍神社の脇には、城山龍神、黒力龍神の石塚も立っている。
 
社殿左側のお寺のような建物は、神楽殿で、中に立派な、龍が巻きついた銛が奉納されている。
 
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境内の一画には「神馬舎」もある。
 
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神楽殿の屋根には、立派な鯱。
 
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絵馬は、何に由来しているのか、梅に鞠の図柄。
 
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四日市冨田の石取祭

鳥出神社から鯨船は各町へ帰っていくと神社の境内はまた人がいなくなった。
 
この日は、富田では石取祭もあるということで、神社に残っていた人は地元の人だろうとそのスケジュールを聞いてみた。
 
でも、その人は桑名から祭り見物に来ていた人で地元の人ではなかったが、その人は祭りや郷土史に詳しく、このあと17時半に石取祭の山車が神社へやってくること、この富田の地は昔は桑名藩の領地であったこと、桑名のハマグリはこの富田の海で採れるものだということなど、いろいろ面白い話を聞くことができた。
 
石取祭は、8月始めに桑名の市街地で行われるのが有名で、なるほど、ここの石取祭も桑名藩の領地であった名残なんだな、となぜここで石取祭が行われるのかが納得できた。
 
石取祭というのは、桑名市のHPによると、桑名の春日神社の流鏑馬神事の馬場修理のために、町屋川から石を運んだのがはじまりといわれているそうで、「日本一やかましい祭」として有名だそうだ。
 
とりあえず腹ごしらえをして神社の方へもどってくると、山車の一団がやってきた。
 
 
 
宮入までは小学生の子供たちが太鼓を叩いていたが、宮入後は若衆の舞台になり、鉦の音がチャンチャカと確かに騒がしく、若衆も大騒ぎをして、いいストレス発散だなあ、と感じ入った。
 
神社から退場してからは、近鉄冨田駅前まで練り歩き、そこでまた30分ほどまた大騒ぎがあった。
 
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山車が駅前から退場して、私も名古屋へ帰った。
 
 
8月15日午後、鳥出神社の境内で本練りがあり、また10時ごろ家をでて四日市の富田へ向かった。
 
弥富のへんで大粒の雨が降っていて心配したが、富田は雨は降っていなかった。
 
昨日と同じ丼屋で腹ごしらえして神社に行くと、まだカメラをかかえた3人しか境内にはいなかった。
 
テントの下に椅子があるのでそれに腰掛けて休んでいると、天はにわかにかき曇り、大粒の雨がザーと降ってきた。
 
しかし、15分ほどで雨は止み、そのあとも時々降ってきたが、14j痔以降はまた太陽が照りつける暑い天気になった。
 
本練りは13時から、ということでポジション取りに移動したら、宮入前に鳥居の前で練があるよ、と地元のおじさんが教えてくれたので、まずは鳥居の前へ行って、権現丸のひと練を見物してからまた神社奥へ移動した。
 
本練りは、鯨を追い詰めてからまた鯨が逃げて、何度もそれを繰り返して1時間あまり激しい練が展開される。
 
 
 
権現丸がクライマックスになるころ、鳥居前では感応丸が練を始めていたが、そちらは権現丸の練が終わってから見に行った。
 
 
鯨をしとめるために鯨が頭を立てるのだが、鯨の若衆は、逃げろ、と鯨を倒して逃げようとし、船を押す衆は鯨を立てようとその両者の攻防が激しくなって、喧嘩をしているよな感じだ。
 
感応丸の練りも16時ごろ終わったが、この後17時半ごろ、神社に「石取り祭」の山車が3台やってくる、というので、とりあえずまた腹ごしらえに向かった。
 
17日朝のNHKのローカルニュースで、鯨船祭を紹介していて、オッと見ていたら、最後のところの1・2秒、私が楽しそうにビデオを撮っている姿が映っていた。
 
 
お盆には各地でお祭があるが、今年は、三重県四日市市の富田にある「鳥出神社」で行われる「鯨船祭」へ出かけた。
 
このお祭については、神社の前に説明板があった。
 
「鯨船行事は伝統的な捕鯨習俗を風流(ふりゅう)行事の中に取り入れたもので、鯨の発見と追跡、鯨の反撃、銛打ちなどの所作を行うものである。
 鳥出神社の鯨船行事は、豪華な装飾を施された鯨船4基(北島組ー神社丸・中島組ー神徳丸・南島組ー感応丸・古川町ー権現丸)が出る。
 8月14日の朝には鳥出神社で各組の関係者による鎮火祭があり、それからそれぞれの町で鯨船を曳き回す町練りが行われる。翌15日の午後には鳥出神社の境内で本練りが行われ、祭はクライマックスを迎える。
 北勢地方に集中的に分布する鯨船行事を代表する鳥出神社の鯨船行事は、鯨突きが象徴する漁業が漁村にもたらす豊かな生活を祈念し、祝福する行事として特に重要である。」
 
4台の鯨船があるようだが、今年は、南島組と古川町の2台が出るそうだ。
 
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名古屋から近鉄の急行で40分ほどで富田駅に到着。
駅前の商店街を海のほうへ歩いていき、JRの踏切の手前の道を北へ折れて少し行くと鳥出神社がある。
 
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10時すぎに神社に着くと、境内の広場に藁束を竹につけたものがあって、拝殿の方へ行っているうちにそれらを燃やしはじめた。
 
藁束を燃やして厄を祓うんだろうと思うが、これが「鎮火祭」であるらしい。
 
私が神社に着いた時に鎮火祭を行っていた集団は「南島組」の人たちで、彼らが町内へ戻るのについていった。
 
町内に戻ると、張りぼての鯨と美しい鯨船があった。
 
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町練りは11時から始まり、わたしも付いてまわった。
 
 
 
 
 
まず、 港から出た鯨船山車が鯨のいる場所まで、流し歌と呼ばれる櫓こぎの世間話を表現した歌を唄いながらゆっくり移動します。
 
練り受けを頼んだ民家や鳥出神社等の特別な場所に着いたら役歌の鯨を発見したという歌を唄います。
   役歌 「沖の鴎が背美(セミ:せみ鯨の事)はと問えば、背美はくるくるのほほへ後へくる、おめでたやぁ〜」
 
山車を左右に傾け鯨を追い詰めてゆきます。
鯨の巨体で大きな波が起こり、船が揺れている様子を表現しています。
 
鯨を追いつめますが、形成逆転して逆に鯨に追いかけられます。
 
再度、山車は体制を整え鯨を追い詰めてゆきます。
 
最後に海面から顔を出した鯨をハザシが銛を打ちます。
 
鯨をしとめた山車は、大漁を祝う内容の役歌を唄います。
 
 
船を押す人たちは「波柄」のハッピ、鯨を担ぐ若衆は前掛けに鯨と書かれ、「ハザシ」と呼ばれる銛打ちの稚児や花笠を被った稚児も船に乗り、なかなか見栄えのするいでたちがすばらしい。
 
南島組は12時で昼休みになったので、私も駅近くの丼屋へ向かうと、「古川町」の練りに出会った。
 
 
 
 
古川町は、のぼりに「元祖」と書かれているが、このお祭にまつわる鯨の親子の話に忠実に親子の鯨がいる。
 
その昔話は、前記HPによると、
 
「昔々の大昔、伊勢湾でもくじらが取れたころのことやさ。
 
 ある日のことやった。
 沖のほうで、何本も水柱がたっかぁ上がったんや。くじらが何匹も現れたんやな。
 漁師たちは、網のつくろいもそこそこに、勇んで船を出したんや。
 親くじらは、子くじらをかばいながら泳いでいた。
 漁師たちは何時間もの追跡に、銛を打てるまで鯨に近づいていったんや。
 
 そして長い時間まっとった。
 そしたら、息を継ごうとして、くじらが大きな体を海面から突き出して現れたんや。
 親鯨と子鯨やった。ほしたら、その時親鯨は、銛打ちに哀願するように言ったんや。
 「私たちは、はるか紀州の海から伊勢参りにやってきました。せめて伊勢参りがすむまで見逃してください。」
 親鯨の目からは大粒の涙が光った。しかし、銛打ちは、親鯨の背中に、一番銛を打ちこんだんや。
 見る見るうちに海は真っ赤に染まった。苦しみながら、親鯨は、それでも訴えた。
 「子供だけは、助けてやってください。」しかし、漁師たちは、子鯨共々射止めてしもたんや。 
 
 ほしたところが、
 それからというものは、富田の浜では一匹の魚も網にかからん様になってしもたんや。
 浜では、あの親子の鯨のたたりに違いあらへん・・とうわさしあった。
 困りきった猟師たちは、親子の鯨の霊を慰めようと、伊勢参りにも行き、もう二度と鯨は取らんと誓ったりしたんや。
 
 ほんでやっと浜にも前のように魚が戻ってきた。
 ほんでも、漁師たちは、あの勇壮な鯨取りを忘れることが出来やなんだんやな。
 ほんで年に一度の夏祭りに、その勇ましかった鯨取りを、陸の上でしのぶことにしたんや。
 これが富田の鯨船祭りの始まりなんや。 」
 
 
街を歩いていて、古川町の鯨船の保管小屋に行き当たり、そこには鯨船の舟歌が掲げてあった。
 
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午後も南島組の練りに付いて周り、前記HPに書かれていた「夜の宮入」も見ていこうと思ったが、練の人に聞くと、この日は19時ごろまで町内を練って神社へは行かない、と聞いたので、17時ごろに家路についた。
 
 
 
 
 
 
瀧原宮のすぐ近くに道の駅があり、ソフトクリームで休憩する。
 
一休みしてまた瀧原宮前へ戻り、熊野街道を大内山川上流方向へ、水戸神神社(みとのかみじんじゃ)へ向かう。
 
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門口に見慣れぬ魔除けが掛けられている家があった。
 
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国道42号に出て少し行くと、街道はまた集落の中に続いていく。
 
山の神だろうか、集落の中の大きな岩が祀られていた。
 
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この集落の中に、「大紀町郷土資料館」があり、集落に入ったのが4時すぎで、たぶん5時までやっているだろうと思ったが、町の人に道を聞いた時、「たしか資料館は4時までだよ」ということで、まさか4時閉館ははやすぎるだろう、と先を急いだ。
 
資料館の開館時間は、確かに「9時〜16時」でアウトであったが、その日は臨時休館ということで、結局は縁がなかったようだ。
 
資料館から川のほうへ下りるとキャンプ場があり、川には「滝原ダム」があり、鮎の名産地で、ちゃんと魚道が作ってあった。
 
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水戸神神社の場所がわからず困ったが、運良く犬の散歩の夫婦連れに出会い、キャンプ場の一番奥の方にあることを教えてもらえて助かった。
 
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社は川を背にして、東南東向きに建つ。
 
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祭神は、速秋津彦神・速秋津姫神で、港を司る神様。
 
崖のほうへ続く岩でゴツゴツした小道を行くと、可憐な野草が咲いていた。
 
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キャンプ場から川沿いの遊歩道を集落の入口のほうへ戻り、JR滝原駅へ向かう。
 
滝原大橋からの新緑の眺めが美しい。
 
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橋を渡ったたもとに小道があって、その奥に、お地蔵さんや小さな社が祀られていて、一番奥に「竹」が祀られていた。
 
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ここから駅はすぐで、この日はそこまで、滝原のお伊勢さん6社をまわり終えた。

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