なべさんの中国情報

今年はブログを再開します。

番外篇 伊勢を歩く

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全14ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

高城神社から二見浦の方へ行くと、途中に内宮所管社の「御塩殿神社(みしおでんじんじゃ)」がある。
 
 
イメージ 1
 
入口に説明板があった。
 
「塩筒翁(しおつつのおきな)の神がまつってあります。
 域内に皇大神宮の御料の御塩を調整する御塩殿、御塩焼所、御塩汲み入れ所があります。
 御料の御塩は、夏の土用に町内の西地内にある御塩浜から運ばれた塩分の濃い海水を汲み入れ所におさめ、これを御塩焼所で荒塩に焼きます。
 さらにこの荒塩を、毎年3〜4回、御塩殿において三角型の土堝をもって堅塩に焼き固めて、これを御料に供えています。
 なを、御塩の調達は昔から神領二見郷の住民が奉仕しております。」
 
参道正面の大きな社は「御塩殿」で、その左の小さな社が「御塩殿神社」。
海を背にして南向きに建つ。
 
イメージ 2
 
社殿の裏の海岸のほうへ行くと、「御塩焼所」と「御塩汲み入れ所」が並んで建つ。
縄文時代の住居のような造りで、「天地根源造(てんちこんげんつくり)」というのだそうだ。
 
イメージ 4
 
裏の海岸からは二見浦が見渡せる。
 
イメージ 5
 
御塩殿神社からまた二見浦のほうへ行くとすぐに二見の集落に入り、古い町並みがいい雰囲気だ。
 
イメージ 6
 
鍾馗さまの飾り瓦をみつけた。
 
イメージ 7
 
JR二見浦の駅前から続く参道の商店街を駅のほうへ向かう。
 
「赤福餅」は有名で私もよく食べるが、「御福餅」の店もあった。
 
イメージ 8
 
参道脇に塚があり、「亀甲地蔵」と「庚申堂」が祀られている。
 
イメージ 9
 
亀甲地蔵は、説明板によると、
 
「塚の中央に建てられている自然石は、亀甲地蔵と呼ばれています。
 昔、三津から茶屋に至る田道の溝にかけられていた石橋で、歯がいたむとこの石の上で呪文をとなえると不思議と痛みがとれたといわれる。
 明治の初め土地改変の折、現在の塚の上に建てられました。
 歯が抜けると今でもすてにくる子供達がいます。」
 
茶屋庚申堂は、
 
「庚申は一般的に延命・農作・風邪などの神とされている。昔、出口村の人々により、この場所に庚申塔が建てられたのが始まりだと思われる(出口村は堅田神社から荘にかけてあったが、永禄12年(1569)の戦乱により全村消滅した)。
 堂内には、江戸後期に茶屋組中により建てられた、緑色片岩の自然石の塔と二体の石地蔵が収納されている。又、堂外に三体の庚申塔が建てられている。」
 
イメージ 10
 
イメージ 11
 
駅前にでると「豚饅」の持ち帰り専門店があり、人気店のようで、それを仕入れて、国道42号線線沿いにある内宮摂社の「堅田神社(かただじんじゃ)」へ向かう。
 
社はこんもりとした森のなかにある。
 
イメージ 3
 
祭神は、ガイドブックによると、佐見都日女命(さみつひめのみこと)。
 
「倭姫命が諸国を巡られ、二見の海に来られたときにこの土地の神、佐見都日女命が堅塩を奉ったところ、倭姫命がそれを愛で、この地に堅田の社を定められたといいます。二見から両宮御料の堅塩を献進する由来の神社です」
また汐合橋へ戻り、五十鈴川の堤防沿いに河口のほうへ歩く。
 
国道42号線を渡り、さらに河口の方へ行くと、堤防の脇に神宮御料の塩田、「御塩浜」がある。
 
イメージ 1
 
説明板があり、ところどころかすれて読めなくて、数値以外は想像すると下記のようになる。
 
「北に大湊の港がはるかに望まれる景勝の地、清流五十鈴川の河口に程近いこのあたりは、海水と淡水がほどよく混合して細かいよい塩ができる場所であります。
 松林に囲まれた御塩浜の広さは、6600㎡。入浜式塩田の構造をもち約○○の干潮満潮の差を利用して御塩浜に海水を導いています。
 濃い塩水を採る採液作業は一年で最も暑い7月から8月の土用中に約1週間行われます。
 朝の海水でしめった砂をまく「浜をひろける」作業、昼間での砂を乾きやすくするための「浜をかえす」作業、そして、夕方この砂を沼井という穴に集め海水を注ぐ「潮をおそう」作業で一日がかりです。こうして鹹水とよばれる15〜16度の濃い塩水は一日約一石六斗(190リットル)採取されます。
 ここで採れた鹹水は、○○程はなれた御塩焼所で堅塩となり神宮の御神饌のうち最も重要なお物としてお供えされ、また御祓、お清めの神事に使われます。
 入口には神さびた黒木の鳥居が立ち、この地が神さまの大切な浜であることを示しています。」
 
イメージ 2
鳥居にはられた注連縄には榊の枝とシダが挿し込まれている。
 
イメージ 3
このあたりからも、朝熊山の美しい姿が望まれる。
 
イメージ 4
 
五十鈴川沿いにさらに下流へ行くと、河口に位置する「今一色」の集落になる。
 
集落を海の方向へ抜けて少し行くと小高いところに「高城神社(たかしろじんじゃ)」がある。
 
イメージ 5
 
説明板があり、それによると、
 
「高城神社は、ここ高城浜の砂丘にあり学問の神、菅原道真公と水神(水を主宰する神「弥都波能売神(みずはのめのかみ)」や秋葉の神(火を主宰する神)が合祀されています。
 この神社は、以前今一色小学校校舎の裏地に祭られていましたが、明治40年の三重県訓令(神社の合祀)をうけ明治41年に溝口地区の姫宮稲荷へ西二見地区の氏神様が合祀され、村社二見神社として崇敬されてきました。その後、昭和29年分離復帰し、高城神社として現在の地に移転されました。
 また、境内には今一色区の生んだ日本画家中村左州翁の遺徳を顕彰する筆塚が建てられています。」
 
明治時代の神社合併の勅令によって約8万社の神社が消え去ったそうだが、この高城神社のように復活したものもあるんだなあ。。。。
 
社殿は南向きに建つ。
 
イメージ 6
 
本殿は、神明造りで、石垣に囲まれているのが印象的だ。
 
イメージ 7
 
祭神は、奉納された扁額に記されていた。
 
イメージ 8
 
大若子命というには、ネット検索によると、度会氏の祖先神。
 
「説話上の伊勢神宮の初代大神主。伊勢外宮神主家としての度会氏において祖先とされた神である。『倭姫命世紀』『豊受大神宮禰宜補任次第』などによると,垂仁天皇の代の伊勢内宮鎮座の際,自らの領する櫛田川以東の伊勢国(三重県)南部を神宮に納め,その地の支配者として神国造となり,大神宮大神主を兼ねたという。また越の国(福井,石川,富山,新潟)征討に行くよう命を受け,その平定の報告をしたところ,朝廷から大幡主の名を与えられた。神国造兼大神主は大若子命の子孫が継ぎ,外宮創建後は内外両宮大神主となり,のちには外宮神主のみとなる。 」
 
 
拝殿の内には、騎馬武者の額が奉納されている。
 
イメージ 9
上田正昭著「東アジアと海上の道」によると、明治時代、神社合併には、日本における生態学の先達、南方熊楠が、鎮守の森が消滅して植物の生態が破壊されることを憂え、、神社とその聖域が、村落共同体の寄り合いの場であり、村の「いのち」であることを見抜いて、反対したそうで、こうしてまた鎮守の森が復活していくということは良いことだと思う。
時間はさかのぼって、「お伊勢さん125社めぐり」の1回目は1月に外宮・内宮の38社をめぐったが、2回目は、2月20日、二見の7社をめぐり歩いた。
 
JR参宮線の二見浦で降り、まずは真西へ五十鈴川へ向かった。
 
駅前から県道102号を歩き始めると、道沿いの空き地にうち捨てられたようなお墓がならんでいる。
 
イメージ 1
 
一番右の大きなお墓には「□四位上荒木田守俊□」と刻まれていて、さすがに内宮の荒木田氏の土地だ。
 
駅から2kmぐらいで五十鈴川にかかる汐合橋にでて、上流には、朝熊山が望まれる。
 
イメージ 2
 
橋のたもとから集落へ入る道があり、それを少し行くと「二見神社」の石標が立つ。
 
イメージ 3
 
掲示板の由緒書によると、
 
「二見神社は、元文年間桜町天皇の時代京都伏見にある伏見稲荷社の御分神を戴き、流れも清き五十鈴川の下流の溝口区塩屋の浄地に姫宮稲荷神社として創祀され、家内安全、五穀豊穣、商売繁昌の神として崇敬されています。以後明治の時代に至り、西二見各地区に鎮座する氏神の合祀の気運が盛り上がり、明治41年4月、六字の氏神を合祀し二見神社と単称するようになりました。その後、今一色区の高城(たかしろ)神社、三津区の稲生(いのう)神社は復社し、それぞれ祀られています。」
 
ということで、拝殿は、お稲荷さんの狐が両脇に立つ。
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
拝殿の中には、米が盛られ名札のついた白い小皿が奉納されて並んでいる。
 
イメージ 6
 
地区の神社が合祀されて、祭神の数は多い。
 
倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 1柱
大山祗神 2柱
大年神 1柱
応神天皇 1柱
菅原道真公 1柱
神名不詳 5柱
 
本殿は、ここも神明造り。
 
イメージ 7
 
拝殿の向拝には、宝珠紋の飾りがつく。
 
イメージ 8
 
氏子の人たちが交代で社務所の番をしているそうで、私が写真を撮っていると私と同年輩の方が出てきて、今年の大雪のときに撮ったという雪の中の美しい社殿の写真を見せてくれた。
 
神社に接して、「神宮御園」がある。
 
イメージ 9
 
ガイドブックによると、
 
「大御饌のための専用農園。広さは、197.5アールで、野菜畑、果樹園、蓮の池などがあり、神宮のすべての祭典にお供えされる御料の野菜や果物が清浄栽培されています。栽培野菜は40種以上にのぼります。」
 
一般の立ち入りは不可、ということだが、門から作業場が見えて、白装束で作業するおばさまが見えた。
 
イメージ 10
五十鈴川の堤防を下りて、西方の鹿海の集落へ行く途中の田んぼの中に、内宮末社の「加努弥神社(かぬみじんじゃ)」がある。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
鳥居は南南西向きで、社はなく、磐座が祀られている。
 
イメージ 6
 
祭神は、稲依比女命(いなよりひめのみこと)。
大歳神の御子で五穀の守護神。
 
小さな社叢のすぐ横に倉庫が建っているのは興ざめだが、田んぼの続く黄緑の中に深緑の森がこんもりとあり、印象的な神社だ。
 
鹿海の集落に入って南へ少し行くと「三界万霊」と刻まれた大きな石塔がある。
 
イメージ 7
そこから坂道を上っていくと「鹿海神社」がある。
 
イメージ 8
見晴らしがよく気持ちがいい。
 
由緒書きがなかったので祭神などはわからないが、この地の産土神なんだろう。
 
境内には、「山の神社」が祀られている。
 
イメージ 9
 
説明板があり、それによると、
 
「「山の神」は昔から12、13才の男子にて11月7日夜かがり火をたいて神事を行っています。この火にあたると一年間「かぜ」をひかないと言われています。」
 
また、磐座も祀られている。
 
イメージ 10
 
神社の横に公民館があり、その前に、日待塔と月待塔の石塚がある。
 
イメージ 11
 
それぞれ説明板があり、日待塔は、
 
「江戸時代後期から各地に日待行事がありました。当地区は、毎月24日に農作業を休み氏神に参拝「日の出」を飲食しながら健康と豊作を祈り待ちました。当地は農作業を休むことを「ひまち」と言っています。この塔は伊勢市では当町のみで度会郡二見町に一基あります。」
 
月待塔は、
 
「月待の夜は地区のみんなで一ヶ所にあつまって「のんだりたべたり」して夜月が出るのを待ち健康と豊作を祈り一夜をすごしました。月は、1.2、5、6、11月で日は23日でした。現在は行っていません。」
 
集落の中には、黒塀のお屋敷が並ぶが、古い倉庫と看板が印象的であった。
 
イメージ 12
 
鹿海の集落から一山越えると国道23号に出て、それに沿って野球場へ向かう。
 
公園へ入るところに「野口みずき金メダルロード」の標識があり、野口選手は伊勢出身であることを知る。
 
イメージ 13
 
野球場の横には、巨人の沢村栄治投手と阪神の西村幸生投手の胸像があるということで、寄ってみた。
 
イメージ 3
 
公園から小高い倉田山の皇學館中学・高校の前をすぎて下ると、大鳥居がる。
 
イメージ 4
 
この交差点には神道博物館もあるのだが、残念ながら日曜には休館だった。
 
交差点を渡ると、内宮別宮の「倭姫宮(やまとひめのみや)」がある。
 
入口からの参道は深い森の中をかなり長く続く。
 
イメージ 5
 
祭神は、倭姫命。
大正12年(1923)に創建されたそうで、そんなに古い神社ではない。
 
すぐ近くに「神宮徴古館・農業館」があり、見学したが、写真撮影は禁止されていて、残念だった。
 
まだお昼ではあったが、猛烈に暑く疲れたので、宇治山田駅へ向かう途中見つけたラーメン屋で昼食にして、そのあとまたスーパー銭湯の看板を見つけたので、行ってみると12時から営業していて開いていたので、1時間ばかり潮湯や電気風呂などに浸かってのんびりしてから帰った。
五十鈴橋をまた戻って渡り、また河口方向へ車道を歩く。
 
伊勢二見鳥羽ライン道路の高架をくぐってちょっと行くとまた五十鈴川の堤防の小道があり、その道をしばらく行くと鹿海(かのみ)の集落になり、堀割橋にでて、橋を渡り堤防をまた河口の方に行くと、内宮造営の貯木場であったという「木場」の立て札がある。
 
イメージ 1
 
その向こうの小さな森の中に内宮末社の「鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)」が南南東向きに建つ。
 
イメージ 2
 
祭神は、岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)。
 
筑紫申真著「アマテラスの誕生」によると、
 
「自然物に工作品を重ね合わせただけの神社というのがあります。朝熊の鏡宮は内宮の末社ですが、五十鈴川と朝熊川の合流点の川なかにある、神聖な岩の上に、二枚の鏡をおいただけという、めずらしい神社でした(そして、その後この神社は、岩のそばの川ぶちに建物をつくってもらって、鏡はその中におさめられました。そして、川なかの神聖な岩は、木柵をめぐらしていまも保存されています)。」
 
で、社の後方へまわると、鏡がこの上に祀られてていたという岩がある。
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
石段をおりて潮の引いた干潟にでると磯の香りがして、清浄な川の中にあるイメージとはずいぶんなギャップがある。
 
干潟には、小さな穴がいっぱいあって、コメツキガニがでてきて両のハサミを振っている。
石の下からは、アシハラガニやヒライソガニも顔をだしていきた。
 
イメージ 6
 
ここは、五十鈴川と朝熊(あさま)川の合流地点の三角州の先端になり、朝熊川の対岸の森のなかに、内宮摂社の「朝熊神社(あさくまじんじゃ)」と「朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)」が南南西向きに建つ。
 
イメージ 8
 
ガイドブックによると、朝熊神社の祭神は、大歳神(おおちしのかみ)・苔虫神(こけむしのかみ)・朝熊水神(あさくまのみずのかみ)で、いずれも朝熊平野の守り神で、五穀と水の神。
 
朝熊御前神社の祭神は、朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)。
 
神社の森の前からは、鼓ケ岳が望まれる。
 
イメージ 7
 
神社の掃除をしているご夫婦がいて、おじいさんが、鏡宮の石は、土地の古老の話によると、聖徳太子が船でこの地に来たときに船酔いして休憩のために腰掛けた石であるとの伝承がある、と教えてくれた。
 
また、川に面したところの藪のなかに「豆なしの木」という桜と同じ時期に白い花を咲かせるきがあると、その場所へ連れて行ってもらった。
花の満開のときは、後ろの桜の木のピンクとその木の白い花が映えてすばらしく美しいそうだ。
 
話を聞いていて、地面にヤマモモの実があるのに気づいて、見上げるとたくさんの実をつけていた。
 
イメージ 9
 
また堀割橋へ戻り渡って、対岸の堤防を行くと、鏡宮神社の立地を見渡すことができる。
 
イメージ 3
 
写真の中央の小さな森が、鏡宮神社で、ちょうど干潮時で、その右の川の中に、「潮干石(しおほしいし)」という石も見える。
 
また、後方の山脈の左端のピークが、朝熊山で、三重県第一の霊山信仰の聖地だそうだ。
 
そして左の森の小高いところに、朝熊神社と朝熊御前神社がある。
 
 
 
 

全14ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
nab*sa*88c*m
nab*sa*88c*m
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事