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今年はブログを再開します。

番外篇 伊勢を歩く

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小俣神社から西へ、JR宮川駅のすぐ南側にある「官舎神社」へ向かう。
 
神社は、公園の西側に接してあるが、公園の東側の入口に神社の鳥居が立つ。
 
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「大漁宮」の石標も立つ。
 
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離宮院公園は、伊勢神宮に奉仕する皇女・斎王が奉仕の時に泊まった宿舎跡にある。
 
ガイドブックによると、年に3度、三節祭のときに斎宮(明和町)から離宮院に入り、神宮へ向かったのだそうだ。
 
今は建物はなく、土塁が残っているのみ。
 
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公園の中には、神さまが天から降臨する時に乗ってやってくる「飛舟」のモニュメントがある。
 
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公園の道が神社の参道のような感じで、森の中を進むと、官舎神社の前庭にでる。
 
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説明板によると、
 
「主祭神:建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、姫神
 延暦16年(797)8月3日、離宮院が創設された時、神宮祭主大中臣朝臣諸魚らが中臣氏祖神・春日明神を大仏山東麓津島崎から離宮院西方に遷座。平安・鎌倉時代は、延喜式内「官舎神社」と同じ神として、歴代大宮司により氏神祭が行われました。
 15世紀後半の離宮院廃絶に伴いこの社も廃れ、中世末から、近世にかけては社殿も無いまま離宮の神として祀られていました。寛文3年(1663)、大宮司大中臣精長が、離宮の一角に中臣氏社を再興、離宮の神と一体のものとして明治に及びました。
 明治12年村社官舎神社再興、同43年八柱神社を合祀、昭和19年県社に昇格しました。
 社名は、大宮司の庁院や斎内親王の離宮の「官舎」に由来すると伝えられています。
 「離宮さん」の愛称、「旅の宮」「大漁宮」とも呼ばれ、航空・交通安全や漁業者の信仰も集めています。」
 
明治時代の神社の合祀で、ここもたくさんの神様が祀られている。
 
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本殿は、ここも神明造り。
 
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狛犬はライオンのようだ。
 
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拝殿の脇に「御船石」がある。
 
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小俣地区の神社は「石」が特徴のような感じもする。
 
絵馬は「初宮詣」で奉納されたものが多い。
 
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社域の西の入口の桜も美しかった。
 
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上社の境内に、外宮摂社の「志等美神社(しとみじんじゃ)」と同じ垣内に「大河内神社(おおこうちじんじゃ)」がある。
 
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志等美神社の祭神は、上社の祭神と同じで、木の神の「久久能智神(くくのちのかみ)」。
 
大河内神社の祭神は、大山祗神。
 
少し離れて外宮末社の「打懸神社(うちかけじんじゃ)」も並んで建つ。
 
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祭神は、打懸名神(うちかけみょうじん)」
五穀豊穣の神様だそうで、前記2社とともに宮川堤防の守護神でもあるそうだ。
 
境内を出て、西へ少し行くと宮川の堤防にでて、見事な桜並木が続く。
 
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宮川堤について、説明板があった。
 
「宮川はその源流を大台ケ原山に発する、延長およそ91kmにも及ぶ、三重県最大の河川であります。
 古く度会大河(わたらいのおおかわ)・度会川・豊宮川などと呼びました。
 豊受大神宮(外宮)の「みそぎ」をする川であったからの名であろうとされています。
 下流では古来しばしば氾濫をくり返し、住民はその度ごとにいいしれぬ苦難にさらされました。
 平安の昔、平清盛の築堤伝承をはじめ、近世江戸幕府から巨額の援助を仰ぐなど、両岸住民の堤防の修築保全には、度重なる努力が続けられました。
 宮川橋の辺りは桜の渡しとも呼ばれ、古くから桜の木が多くありました。明治4年(1871)この古木の保存と、さらに若木の補植を大いに奨励しました。
 現在中島2丁目浅間堤の近くから、北へ宮川橋辺りまで約1km余の堤に沿う桜並木約850本は、神都の春を彩るものとして近郊にきこえています。
 その大部分はソメイヨシノであります。
 平成2年(1990)3月3日、日本さくら名所100選にえらばれました。」
 
度会氏は宮川流域を拠点にしていたんだなあ。。。
 
桜並木を歩いていくと、途中に、大きな楠があって、祀られている。
 
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この大木は「境楠」と呼ばれて、市天然記念物になっている。
 
説明板によると、
 
「境楠の名前のいわれは、もと御薗村の一部であった中川原(明治元年宮川町と改めて山田へ編入)と旧山田との境界に位置していたものと考えられています。
 樹齢は明らかではありませんが、胸高直径約8mの巨木で、地上2.5mあたりから三枝にわかれて一見逆さに生えているように見えるので俗に逆楠とも呼ばれています。」
 
桜並木が途切れて、宮川橋にでる。
 
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今は橋がかかるが、昔は、「桜の渡し(下の渡し)」のあったところ。
 
これも説明板によれば、
 
「宮川は、東国から来ても西国から来ても、神都伊勢に入るものはかならず渡らなければならぬ、伊勢最大の河川であった。
 江戸時代のもっと昔から、対岸小俣とこちら山田宮川町を結んだのが「桜の渡し」であり、関東・東国あるいは京からの人々は参宮者も勅使もみなこの渡しによった。
 春には桜花が美しく咲く堤に沿って茶屋が並び、御師の出迎えの看板が林立し、また、めでたく参宮を終えて帰る伊勢講を送る道中歌もひびいた。
 人・かご・馬あるいは長持一棹何文と定めて、参宮の歴史のすべてを運んできた「桜の渡し」は、明治30年参宮鉄道の開通まで生きつづけました。」
 
橋を渡って振り返ると、桜並木の向こうに朝熊山が見える。
 
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橋を渡って、小俣の集落に入ると「八柱神社」がある。
 
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鳥居をくぐった正面に、ここにも石で組まれた「ヒンプン」がある。
 
神社名のごとく、八柱の神々が祭られている。
 
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倉庫のような造りの本殿の高床の下には石が積まれているのが印象的だ。
 
八柱神社のすぐ隣の森に、外宮摂社の「小俣神社(おばたじんじゃ)」がある。
 
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祭神は、宇賀御魂神。
地元では、「いなべの社」とか「稲女(いなめ)さん」と呼ばれて親しまれている五穀豊穣の神様。
 
 
 
北向庚申塔のすぐ近くに「上社(かみのやしろ)」がある。
 
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東向きの鳥居から境内に入ったが、社殿とともに南向きの鳥居があって、そこには蕃塀がある。
 
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由緒書はなかったが、祭神は、掲示されていて、沢山の神社が合祀されている。
 
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「久久能智神(くくのちのかみ)」は、「木」のかみさまだそうで、そういえば神社周辺には木工所が目に付いた。
 
本殿前の狛犬は木彫りで、このあたりは「木」の産地であるらしい。
 
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巨木がたくさん立っているが、なかでも枝振りのいい巨木は「牛頭夫婦楠(ごうずめおとくす)」と名札が立っている。
 
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いくつもの境内社はあり、山ノ神は、5つの石が祀られている。
 
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上天神社もあり、合格祈願の絵馬が奉納されている。
 
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櫛玉宮には、伊勢の豪族で諏訪へ追われたという伊勢津彦大神・伊勢津姫大神が祀られている。
 
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何の神かはわからないが「石」が祀られていて、他にも稲荷社もあって、ここの境内は神様であふれている。
 
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高向神社からまた宮町駅のほうへ戻り、宮町の街並に入る。
 
少し腹も減ったので喫茶店でモーニングでもと思ったが、その向かいにいい雰囲気の店があったので、そこで伊勢うどんにした。
 
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宮町の街中の住宅街の中にめざす外宮摂社の「清野井庭神社(きよのいばじんじゃ)」がある。
 
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ガイドブックによると、祭神は、草野姫命(かやのひめのみこと)。
 
「清野とは、山田原の原野の一つでこのあたりのこと。この付近の土地の灌漑用水の神をまつっていますが、一説には屋船の神の分霊をまつるともつたえられます。」
 
この神社から住宅街のなかを西へ少し行くと、外宮摂社の「草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)」と「大間国生神社(おおまくなりじんじゃ)」がある。
 
社域へ入る正面には、沖縄の「ヒンプン」のような悪霊除けの石垣がある。
 
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社域へ入って向かって左に「草奈伎神社」がある。
 
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祭神は、御剣仗神(みしるしのつるぎのかみ)。
 
「外宮第一位の摂社。大若子命(おおわかこのみこと)が垂仁天皇の勅令により標剣仗(みしるしのつるぎ)を賜り、越の国の兇賊阿彦(あびこ)を平定にでかけ、その御神威もあった剣をまつられたと伝えられています。」
 
ということで、剣の名が「くさなぎ」で、熱田神宮の御神体の「草薙剣」と同名であり興味深く、日本武尊伝説のモチーフの一つになったらしい。
 
社域の右側には、外宮摂社の「大間国生神社」があり、板垣のなかに社が二つ並んで建っている。
 
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右の社が、大間社で、大若子命を、左が国生社で、乙若子命(おとわかこのみこと)を祀っている。
 
「両方とも伊勢の国造であった天日別命(あめのひわけのみこと)の子孫で皇大神宮の鎮座に功績があり、大間広と呼ばれたこのあたりを開拓された神です。」
 
ここから、宮町の南西のはずれにある外宮摂社の「志等美神社(しとみじんじゃ)」へ向かう途中、「北向庚申塔」があった。
 
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説明板があり、
 
「青石材。伊勢市で130余の庚申塔中、青面金剛像では最古最大のものであります。
 青面金剛像は普通三面六臂像が多いのですが、この像は、一面ニ臂です。脚下の天邪鬼も各脚下に鬼一匹ずつというのも、伊勢市では本塔のみであります。他に日月や一猿一鶏を刻んでいます。
 庚申というのは、「えと」でいう「かのえさる」で、60日あるいは60年ごとに巡ってきます。この日は徹夜で過ごし、長寿を願う信仰がありました。この流れをくんで、ここの信仰は今も生きています。
 お堂の前の「幸神(さいのかみ)」の扁額は、津市の市川塔南(1856〜1928)の書です。
 幸神は、塞(さえ)の神のことで道祖神のことであります。災難をさける意味から庚申信仰と習合したものでしょう。
 本尊:青面金剛像 高さ:154cm、横:99cm、厚さ:40cm
     銘文: 天和3年(1683)10月23日」
 
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ここの説明をみて、最初、高向の道端でみつけた石仏も庚申塔の「青面金剛像」であると気がついた。
 
建物の脇には、お地蔵さんだろうか、石仏が並ぶ。
 
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高向の集落の北西のはずれに「高向大社(たかぶくたいしゃ)」がある。
 
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鳥居の前には、悪霊除けか、大きな岩が置かれている。
 
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由緒書板があって、
 
祭神は、素盞鳴命、奥津嶋姫命、湍津姫命、市杵島命、大己貴命、下照姫命、八大竜神、別雷神荒魂、大山祇神。
 
「本社の草創は「高向村神社記」によりますと、聖武天皇の天平3年(731)となっています。
 かっての高向郷は、現在のほぼ御薗村全域さらに伊勢市に属する隣接地区を含む広大な地域でありました。この高向郷の本邑高向に鎮座していたのが当大社でありました。
 俗に上社(かみのやしろ)とも呼ばれ、近世には八王子社ともいわれていました。
 明治4年(1871)村社となり、同41年村社神村(かむら)社、無格社山神社を合祀しました。
 同年の御薗村の神社合祀には参加せず、独立して孤高をたもちました。」
 
社殿前の参道には、勧請縄もかけてある。
 
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本殿は、ここも神明造り。
 
 
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鳥居をくぐってすぐの所に山神だろうか、石が祀られている。
 
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参道途中にも、「神武天皇遥拝所」との石標が立って、石が祀られている。
 
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社務所の横に、巨木が立つ。
 
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社務所には、シンプルな注連縄がかけてあった。
 
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