堅田神社からまた二見浦の参道の商店街にもどり、二見というば「夫婦岩」へ向かう。
みやげ物屋街を抜けて小山に行き当たると、「二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)」の鳥居がある。
由緒書があって、
「祭神は、猿田彦大神、宇迦御魂大神。
垂仁天皇の御代皇女倭姫命、天照皇大神の神霊を奉載して此の二見浦に御船を停め神縁深き猿田彦大神出現の神跡である海上の興玉石を敬拝し給う。即ち夫婦岩に注連縄を張り拝所を設けたが其後天平年間僧行基興玉社を創建す。明治に至り宇迦御魂大神を合祀して二見興玉神社と称する。古来日の出の名所としてまた伊勢参宮の禊所として有名である。」
二見浦と浜参宮の解説板もあった。
「夫婦岩(立石)沖には、現在は海中に没していますが、神様が寄り付く岩、興玉神石(おきたましんせき)があり、この周辺の立石浜は、神々のいる常世の国から寄せる波が最初に届く聖なる浜と信じられてきました。
神仏に参拝する時、水を浴びて心身を清めることを垢離(こり)といいますが、古来立石浜は伊勢神宮の禊場(みそぎば)(垢離場)として人々の信仰を集めてきたのです。神領民は勿論、全国から来られた方々も、外宮から内宮へ廻る神宮参拝や神事に参加する前にこの浜で禊をするのが慣わしです。このように事前に禊のために立石浜を訪れてお祓いを受けることを「浜参宮」と言います。
本来は実際に海水に浸かって禊をするのですが、現在では二見興玉神社に参拝し、興玉神石より採取した無垢鹽草(むくしおくさ)で身を清めるお祓いを受ける浜参宮が一般的です。」
夫婦岩というのは、その沖合いにある御神体の「興玉石」を拝する鳥居であることを知った。
鳥居をくぐって岬をまわると「天の岩屋」がある。
「古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられておりますが、我が国の随所に、天の岩屋、天の岩戸と称される処があります。当社も、その1つであり古くから石神(しゃくじん)とも申され宇迦御魂大神(豊受大神とも称される)をお祀り申し上げております。日の出に対し日の入(隠れられた処)、天照大神と豊受大神という関係と伝えられております。」
手水舎には蛙が出迎えてくれるが、神社の参道のそこらじゅうに蛙の像が置かれていて、その蛙について説明板があった。
「当神社の御祭神猿田彦大神は天孫降臨の際又伊勢神宮語鎮座の時に道案内された(古事記・日本書紀)ので、古来交通安全の守護神として広く信仰されております。蛙は大神の御使と信ぜられ境内に沢山ある置物は無事かえる、貸したものがかえる、などの縁起によりご利益を受けられた方々の献納によるものであります。」
拝殿はコンクリート造りで、内部は華やかだ。
「天の岩屋」の前にもあったが、拝殿の前には、「輪注連縄」が奉納されている。
この輪注連縄は、筑紫申真著 「アマテラスの誕生」によると、
「二見興玉神社は、後世にほかの場所から移して建てられたもので、江戸時代にはなかったのです。そのかわりに、そこには神木である一本のサカキがあり、その木にはしめなわを円形に巻いた"輪じめなわ"の大型のものがかけてありました。この垢離かき場は二見の浦の江村の経営であったので、いまでも村の会所には、そのような"輪じめなわ"をかけた神木の描かれた垢離かき場の絵図が残されています。
しめなわを丸くむすんでサカキにかけるとは、なんという素朴な太陽のシンボルでしょう。海の彼方から、太陽船に乗ってこの清なぎさにおとずれてくる太陽のたましいは、二見の浦の巫女にカミがかりして、「この輪じめなわを私と思ってまつれ」といったかもしれません。いまでも二見興玉神社では、参詣者のもとめに応じて、小型の輪じめなわを与えています。人びとが個人的にこの小型の輪じめなわを購って、神前に捧げている姿をみかけることができます。この二見の輪じめなわが、神島のグミの木でつくった日輪とおなじように、太陽のシンボルであることは、一見して判断できるといわなければなりません。神島の場合は村の共同祭祀の目標となったのに対して、ここでは個人祭祀の手段にされているだけの違いはありますが、そのシンボルとしての意味はおなじです。参宮客が、垢離をかくことによって太陽の若々しいスピリットをじぶんの身に分け与えられることをねがうための、祈りのシンボルであったのでした。」
拝殿の後方に本殿はなく、夫婦岩をとおして興玉石を拝する拝所がある。
絵馬も勿論夫婦岩の図柄。
夫婦岩からぐるりと海岸線によって二見シーパラダイスのほうへ行くと、二見興玉神社境内社の「龍宮社」がある。
由緒書によると、
「祭神 大綿津見神 龍神大神。
例祭(郷中施と称せられる) 旧暦5月15日
月次祭 旧暦各月15日
祭神、大綿津見神は海の守護神として崇められ、当神社は全国の漁業船舶関係の方の信仰があつく又龍宮さんとして不可思議な霊験により一般信者の方々には尊ばれ心願成就、開運、商売繁昌、海上交通安全、大漁満足などのご利益のある尊い神様であります。」
「郷中施」についても説明書がある。
「龍神をお祀りせし起源は寛政4年(1792年)旧暦5月15日大津波のため二見郷江村の民家の大半が流失、無難の家は僅か5、6軒という前古未曾有の災害が発生し、村人たちは隣人相助け合い他人に同情を寄せたり精神的、物質的な援助を行い、郷(村)中施しあってこの水難から立ち直り、以来犠牲者の追善供養又今後再び水難に遭遇せぬようにと海の安全を祈願して五十鈴川江の河口に龍神を勧請した。
爾来今の地に遷るまでは大江寺の住職が祭祀を怠らず追善供養の誠を捧げると共に村人の祈念により村内平穏に今日まで至った。
この龍神社は五十鈴川河口の埋め立てや護岸工事の為、昭和13年、当社境内の一隅に遷され龍宮社と称し、昭和26年二見興玉神社の承認を得て同年6月18日龍宮社と奉称、昭和46年12月20日現在の社殿が造営された。」
この地も200年前に大津波があったんだなあ。。。。。
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