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番外篇 伊勢を歩く

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125社めぐりのガイドブックによると、宮川堤の「一目千本」の桜が美しい、ということで、4月10日に近鉄宮町駅から小俣町をお伊勢さんの10社に寄り道もしてめぐり歩いた。
 
近鉄宮町駅から、まずは北の「高向」の集落のはずれにある外宮摂社「宇須乃野神社(うすののじんじゃ)」へ向かった。
 
神社の手前の道沿いに石仏を祀った祠がある。
 
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石仏の前にはたくさんの石ころが奉納されている。
 
 
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祠の横には、庚申塚もある。
 
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集落の向こうに樹齢千年といわれる大きな楠が見えて、そこが宇須乃野神社の森になる。
 
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祭神は、宇須乃女命(うすのめのみこと)で、五穀の霊神。
 
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この社には外宮末社の「縣神社(あがたじんじゃ)」もともび祀られている。
 
祭神は、縣神(あがたのかみ)で、この地高向の上田(あがた)の守護神だそうで、宇須野の水田に関わりの深い神社だそうだ。
 
宇須乃野神社のまわりの民家では、駐車スペースなど、家の前の広場への入り口には注連縄を張っているのが目につく。
 
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伊勢の注連縄

伊勢神宮の125社めぐりをしていると、「蘇民将来子孫家門」や「笑門」と書かれた木札の付いた注連縄をよく見る。
 
二見めぐりで「松下社(まつしたやしろ)」へ行ったとき、そこに神社の由来などを記した栞があって、松下社がその注連縄を頒布していることを知った。
 
「蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配布し(頒布初祭12月16日)、近郊それを受けて注連縄に吊るし、今に至っています。」
 
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「蘇民将来伝説」についてもその栞に記されている。
 
「昔、素蓋鳴尊が南の国へ行く途中、暴風雨に会って非常に困り一夜の宿をさがしたそこには、裕福な巨旦将来と貧しい蘇民将来という兄弟が住んでいた。裕福であった兄の巨旦が宿することを拒み、慈悲の心厚い貧しい弟の蘇民が、尊を温かく迎えて一夜の宿を貸し、粟の粗飯を差し上げた。尊はアサハの国から疫病が来る(暴疫鬼来する)ことを察し、蘇民に茅輪(ちのわ)を作って家に懸けさせた。翌日になると風雨はおさまり上天気になったが蘇民の一家を除いて、一村みんな疫病にやられてしまった。尊は別れる時、これからも難、禍を免れるために、蘇民将来子孫としるして門楣(まぐさ)に懸けるように仰せられた。そして現在もそのことをまもっている。」
 
また、その栞には、「蘇民将来子孫家門」と書かれた裏には、「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」と「セーマン」「ドーマン」と称する清明印、道満印(九字印)が記されているとあり、その写真もあった。
 
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「急々如律令」については、福永光司他著「日本の道教遺跡を歩く」によると、
 
「「きゅうきゅうりつりょうのごとくせよ」と読み、まぎれもない道教の呪文である。「天帝の定めた規律通りに早く実行せよ」という意味をもっている。もともとは「法律通りにしろ」と指示したオカミの文言で、中国の漢代には公文書の末尾に書かれたらしい。それを道教が「功過」「報応」などの法律用語を転用して使っているのと同様に、まじない用の文言として取り入れた。六世紀後半、中国の南北朝時代に成立した道教教典『玄都律文(げんとりつぶん)』などに、悪魔を退散させる字句として使われだした。」
 
いずれにしろ、招福・厄除けの護符であることは間違いない。
 
伊勢市の市街地から出ると、「笑門」と書かれた札の注連縄を見ることのほうが多い。
 
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「笑門」というのは、どんな本かは覚えが無いのだが、随分前に読んだ本に、本来は「蘇民将来の門」の「将門」であったのが、平将門の乱があって、「将門」と掲げるのはお上に対してはばかる、ということで、「将」の字を「笑」に変えた、という説があった。
 
内宮の門前町のおかげ横丁を歩くと、商売に関係して、いろいろな文言の札の付いた注連縄を見ることができる。
 
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札や橙とかの飾りの付かない、シンプルな注連縄もあった。
 
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猿田彦石から五十鈴川にかかる日の出橋を渡り、国道42号線を渡ってそのまままっすぐ、井戸口山へ続く道を行く。
 
橋からは、朝熊山が望める。
 
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ペットの火葬場があってそのすぐ向こうに山への登り口があり、内宮摂社の「神前神社(こうざきじんじゃ)」の石標がある。
 
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約260段の石段を登った頂上に「神前神社」の社が南向きに建つ。
 
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ガイドブックによれば、祭神は、荒前比賣命(あらさきひめのみこと)。
倭姫が江神社を定めたあと、荒前比賣命が迎えにでられて定められたそうだ。
 
この社には、内宮末社の「許母利神社(こもりじんじゃ)」(祭神:粟嶋神御魂(あわしまのかみのみたま))と「荒前神社(あらさきじんじゃ)」(祭神:荒前比賣命(あらさきひめのみこと))もいっしょに祀られている。
 
これらの神々はこの地、松下の海岸鎮守の神様で、もとは海岸近くに祀られていたが、浸水などでその社地を失ったためここに祀られたそうで、津波の被害にあって高台へ移ったようだ。
 
山を下り、その裾野を南へ500mほど行くと、「松下社((まつしたやしろ)」がある。
 
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由緒書板によると、
 
「祭神 素戔鳴尊・菅原道真・不詳一座
 例祭 2月2日
 松下地区の氏神さまです。加木牛頭天王社・御船社・蘇民の森ともいわれています。
 当社の創立は不詳であります。「氏経日次記」文安6年(1449)の記事が古い記録です。
 この社にいつの日か素戔鳴尊と同神とされる牛頭天王が勧請され、やがて同神とかかわる蘇民社も祀られたものでありましょうか。
 蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配布し(頒布初祭12月16日)、近郊それを受けて注連縄に吊るし、今に至っています。
 なを牛頭天王の縁起を書いた元和6年(1620)銘の儀軌が、当会所に蔵されています。
 また境内に樹齢1000年といわれる大楠(県指定天然記念物)もあります。」
 
栞によると、あの「安倍清明」も関係があるとのこと、
 
「当社の創立年は詳しくはわかりませんが、素蓋鳴尊をお祀りし、もと「牛頭天王」と称していました。それに加え、陰陽師・安倍晴明の勧請(神様をお招きしてお祀り)されたところとも言い伝えられてきました。また、『備後国風土記』にある「蘇民将来」の記事にとてもよく似た説話が、この地にも言い伝えられています。それで古くからこの社の森を「清明森」とも「蘇民森」とも称してきました。しかしながら古い記録や書物にこれらのことを記した例が見られないために、この近くの海で行われる伊勢神宮のお祭りの際、雨が激しく降る時には「松下社」でお供え物を調理したという室町時代に書かれた記録に基づいて、明治三年十月に改め、「松下社」という呼び方になりました。
 なお、伊勢志摩地方全域には「蘇民将来子孫家門」と書いた桃符を門楣(まぐさ)へ注連縄とともに懸ける風習があります。これは「蘇民将来」の言い伝えから、素蓋鳴尊の教えにしたがい、蘇民将来の子孫の家であると示すことによって禍がもたらされないという意味が込められています。今では当社の桃符と注連縄は伊勢志摩地方のみならず全国へ頒布されています。
 さらに、境内には「蘇民祠(そみんのほこら)」があります。ここは長く途絶えていましたが、昭和五十年十月に再建したものです。」
 
もともとは、ここ松下地区の氏神さということで、「不詳一座」というのがその神様であるらしい。
 
社殿は南東向きに建つ。
 
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鳥居をくぐってすぐに、「蘇民祠(そみんのほこら)がある。
 
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正殿前や境内社の八幡社や山の神社にも「榊巻(さかきまき)」という榊を束ねたものが祀られている。
 
栞によると、
 
「松下社には正殿の床下をはじめ、境内の十四カ所に、榊の枝を束ねて重ね、こんもりとした榊巻というものがある。榊は毎年巻き重ねていき、社の正殿が二十年目毎に建て替えられる時に、榊巻も新しくなる。榊巻神事は十二月三十一日に行われ、当地方でも珍しい習わしである。」
 
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そして樹齢1000年の楠が枝を拡げている。
 
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納屋のような建物があり、かなり古そうな木額がいくつも奉納されている。
 
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松下社横に道の駅があって、ソフトクリームで一休み。
 
JR松下駅近くから、一山越えて、海岸のほうへ続く道があり、海岸近くでは湿地帯の細い道を歩くことになる。
 
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海岸の堤防にでて南へ行くと海水浴場になり、その先の磯の小道を行き、また小さな砂浜を過ぎた向こうの岬の森の中に、内宮摂社の「粟皇子神社(あわみこじんじゃ)」が南南東向きに建つ。
 
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祭神は、須佐乃乎御玉道主命(すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)。
天照大神と素戔鳴尊との誓約(うけい)によって生まれた女神で、別名「淡海子神」と呼ばれる海岸鎮守の神と伝えられているそうだ。
 
ガイドブックでは池の浦のバス停へ向かうことになるのだが、バスは何時にあるのかわからないので、来た道をJR松下駅へ戻って、この日は帰宅した。
 
二見シーパラダイスから国道42号へ出て、鳥羽方向へ少し歩くと信号があり、そこから「江」の集落へ入る道がある。
 
江の集落にも趣のある建物がつらなる。
 
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目指す内宮摂社の「江神社」は集落のはずれの音無山のふもとの森のなかにあった。
 
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ガイドブックによると、祭神は、長口女命(ながくちめのみこと)、大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)、宇加乃御玉命(うかのみたまのみこと)。
 
「倭姫命が御塩浜から船で五十鈴川の入江に着かれ、佐見津日子命がここで迎えられたといいます。名の由来は入江があったことからで、入江を巻いて絵のように松が並んでいたので俗に巻江(蒔絵)の明神ともよばれます。」
 
今は、蒔絵の面影はないが、東のほうに次に向かう「神前神社(こうざきじんじゃ)」のある小井戸口山が見える。
 
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また、集落の南のはずれには「栄野神社((えいのじんじゃ)」がある。
 
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説明板があり、
 
「栄野神社は二見興玉神社の摂社で大字「江」の氏神でもあります。
 祭神は、天照大神を倭姫命が奉遷されたとき、当地の海岸に着船、出迎えた「佐見都比古命(さみつひこのみこと)」と、倭姫命が国名を問われた折、二見と答えた「大若子命(おおわくこのみこと)」のニ座が祀られています。
 大若子命は当社の境内社、若宮社に祀られていたが、明治43年3月30日に合祀されました。その後、昭和20年7月8日に二見興玉神社に合祀され、同26年1月、当地に再び遷座されました。
 例祭日は毎年1月14日、湯立(ゆたて)神事が行われております。この神事は祭場に大釜を据え、薪を焚いて湯を沸かし、その滾り湯(たぎりゆ)に束ねた熊笹を漬け、氏子崇敬者の頭上に振り注ぎ、清め祓いをします。この湯が体にかかると、その一年は無病息災という古い伝えがあります。」
 
社殿は、南向きに建つ。
 
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本殿は、ここも神明造り。
 
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また元きた道を戻り、途中「太江寺(たいこうじ)」による。
 
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由緒書の掲示板があったが、字がかすれて読みづらく、とりあえず、天平年間僧行基の開基と伝えられている、ということはわかった。
 
幟には夫婦岩とその真ん中にご本尊の千手菩薩像が描かれている。
 
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弘法大師が護摩修行をしたことでも有名だそうで、この日はちょうど、修験者が護摩供養をして、火渡りを行うようであったが、私は、先を急いだ。
 
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五十鈴川を渡る橋の方へ行く分かれ道に道標があり、「猿田彦石」という石が「すぐそこ」と書かれていたので橋のほうへ行ってみたがそれらしい石は見当たらず、ひょっとすると標識のすぐ隣にあった大石がそれか、と気がついて戻った。
 
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堅田神社からまた二見浦の参道の商店街にもどり、二見というば「夫婦岩」へ向かう。
 
みやげ物屋街を抜けて小山に行き当たると、「二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)」の鳥居がある。
 
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由緒書があって、
 
「祭神は、猿田彦大神、宇迦御魂大神。
 垂仁天皇の御代皇女倭姫命、天照皇大神の神霊を奉載して此の二見浦に御船を停め神縁深き猿田彦大神出現の神跡である海上の興玉石を敬拝し給う。即ち夫婦岩に注連縄を張り拝所を設けたが其後天平年間僧行基興玉社を創建す。明治に至り宇迦御魂大神を合祀して二見興玉神社と称する。古来日の出の名所としてまた伊勢参宮の禊所として有名である。」
 
二見浦と浜参宮の解説板もあった。
 
「夫婦岩(立石)沖には、現在は海中に没していますが、神様が寄り付く岩、興玉神石(おきたましんせき)があり、この周辺の立石浜は、神々のいる常世の国から寄せる波が最初に届く聖なる浜と信じられてきました。
 神仏に参拝する時、水を浴びて心身を清めることを垢離(こり)といいますが、古来立石浜は伊勢神宮の禊場(みそぎば)(垢離場)として人々の信仰を集めてきたのです。神領民は勿論、全国から来られた方々も、外宮から内宮へ廻る神宮参拝や神事に参加する前にこの浜で禊をするのが慣わしです。このように事前に禊のために立石浜を訪れてお祓いを受けることを「浜参宮」と言います。
 本来は実際に海水に浸かって禊をするのですが、現在では二見興玉神社に参拝し、興玉神石より採取した無垢鹽草(むくしおくさ)で身を清めるお祓いを受ける浜参宮が一般的です。」
 
夫婦岩というのは、その沖合いにある御神体の「興玉石」を拝する鳥居であることを知った。
 
鳥居をくぐって岬をまわると「天の岩屋」がある。
 
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神社のHPによると、
 
「古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられておりますが、我が国の随所に、天の岩屋、天の岩戸と称される処があります。当社も、その1つであり古くから石神(しゃくじん)とも申され宇迦御魂大神(豊受大神とも称される)をお祀り申し上げております。日の出に対し日の入(隠れられた処)、天照大神と豊受大神という関係と伝えられております。」
 
手水舎には蛙が出迎えてくれるが、神社の参道のそこらじゅうに蛙の像が置かれていて、その蛙について説明板があった。
 
「当神社の御祭神猿田彦大神は天孫降臨の際又伊勢神宮語鎮座の時に道案内された(古事記・日本書紀)ので、古来交通安全の守護神として広く信仰されております。蛙は大神の御使と信ぜられ境内に沢山ある置物は無事かえる、貸したものがかえる、などの縁起によりご利益を受けられた方々の献納によるものであります。」
 
 
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拝殿はコンクリート造りで、内部は華やかだ。
 
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「天の岩屋」の前にもあったが、拝殿の前には、「輪注連縄」が奉納されている。
 
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この輪注連縄は、筑紫申真著 「アマテラスの誕生」によると、
 
「二見興玉神社は、後世にほかの場所から移して建てられたもので、江戸時代にはなかったのです。そのかわりに、そこには神木である一本のサカキがあり、その木にはしめなわを円形に巻いた"輪じめなわ"の大型のものがかけてありました。この垢離かき場は二見の浦の江村の経営であったので、いまでも村の会所には、そのような"輪じめなわ"をかけた神木の描かれた垢離かき場の絵図が残されています。
 しめなわを丸くむすんでサカキにかけるとは、なんという素朴な太陽のシンボルでしょう。海の彼方から、太陽船に乗ってこの清なぎさにおとずれてくる太陽のたましいは、二見の浦の巫女にカミがかりして、「この輪じめなわを私と思ってまつれ」といったかもしれません。いまでも二見興玉神社では、参詣者のもとめに応じて、小型の輪じめなわを与えています。人びとが個人的にこの小型の輪じめなわを購って、神前に捧げている姿をみかけることができます。この二見の輪じめなわが、神島のグミの木でつくった日輪とおなじように、太陽のシンボルであることは、一見して判断できるといわなければなりません。神島の場合は村の共同祭祀の目標となったのに対して、ここでは個人祭祀の手段にされているだけの違いはありますが、そのシンボルとしての意味はおなじです。参宮客が、垢離をかくことによって太陽の若々しいスピリットをじぶんの身に分け与えられることをねがうための、祈りのシンボルであったのでした。」
 
拝殿の後方に本殿はなく、夫婦岩をとおして興玉石を拝する拝所がある。
 
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絵馬も勿論夫婦岩の図柄。
 
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夫婦岩からぐるりと海岸線によって二見シーパラダイスのほうへ行くと、二見興玉神社境内社の「龍宮社」がある。
 
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由緒書によると、
 
「祭神 大綿津見神 龍神大神。
 例祭(郷中施と称せられる)  旧暦5月15日
 月次祭 旧暦各月15日
 祭神、大綿津見神は海の守護神として崇められ、当神社は全国の漁業船舶関係の方の信仰があつく又龍宮さんとして不可思議な霊験により一般信者の方々には尊ばれ心願成就、開運、商売繁昌、海上交通安全、大漁満足などのご利益のある尊い神様であります。」
 
「郷中施」についても説明書がある。
 
「龍神をお祀りせし起源は寛政4年(1792年)旧暦5月15日大津波のため二見郷江村の民家の大半が流失、無難の家は僅か5、6軒という前古未曾有の災害が発生し、村人たちは隣人相助け合い他人に同情を寄せたり精神的、物質的な援助を行い、郷(村)中施しあってこの水難から立ち直り、以来犠牲者の追善供養又今後再び水難に遭遇せぬようにと海の安全を祈願して五十鈴川江の河口に龍神を勧請した。
 爾来今の地に遷るまでは大江寺の住職が祭祀を怠らず追善供養の誠を捧げると共に村人の祈念により村内平穏に今日まで至った。
 この龍神社は五十鈴川河口の埋め立てや護岸工事の為、昭和13年、当社境内の一隅に遷され龍宮社と称し、昭和26年二見興玉神社の承認を得て同年6月18日龍宮社と奉称、昭和46年12月20日現在の社殿が造営された。」
 
この地も200年前に大津波があったんだなあ。。。。。
 
 
 
 

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