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今年はブログを再開します。

番外編 駿河を歩く

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「静岡県の祭ごよみ」によると、毎年3月17日に藤守の「大井八幡宮」で「藤守の田遊び」が行われる、ということで見に行った。

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境内でもらったパンフレットによると、

「藤守の田遊び」は、藤守の氏神さまである「大井八幡宮」の祈年祭(三月十七日)の夜に、氏子のなかの未婚の成年男子によって奉納されます。
大井八幡宮は、今から1180年前の平安時代初期に、大井川の水害を恐れて、川除けの神さま「大井宮」として祭られたのが始めと伝えられています。
それから80年後の1100年程前に社殿を作り、このときに「田遊び」が行われたといわれています。
その後、鎌倉時代に磐田市から八幡さまをお招きして「川除け八幡宮」として祭られました。
そして室町時代末期に、今のような「田遊び」の様式が定まったと伝えられています。
更に、桃山時代の天正年間に徳川家康公が、この地を通行の折、大井川の増水に遭い、藤守の「川除け八幡宮」に祈願したところ、たちまち水が引いたことから、神領を寄進し、社名を現在の「大井八幡宮」にしたと伝えられています」

ネット検索したところ、田遊びは18時から22時ごろまで行われる、ということで、家を13時ごろ出発、途中道を間違えて少し遠回りになって、15時ごろ藤守に到着した。

神社はこれまで見てきた「田遊び」が行われている山間部ではなく、海に近い平野にある。

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神社横の駐車場はすでに満車で、神社から歩いて5分ほどのところの臨時駐車場に留めることができた。

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境内へ行くと、拝殿前の舞台では何やら神事が行われていて、あとで買った大井川町教育委員会発行の「藤守の田遊び(1000円)」によると、「外祭の儀」という神事らしい。

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拝殿には、ご神体の鏡と、神様の身代わりになる獅子が祀られている。

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拝殿脇には、祭りでかぶられる「ショッコ」が並ぶ。

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カメラとビデオカメラを交換しようと車に戻り、16時ごろ境内にもどると、すでに神事は終わっていた。
30分程、写真を撮りに来ていたおばさまと雑談をして、出店も沢山でていたが、好みの食べ物がないので、車に戻って、またお湯を沸かしてカップ麺とコーヒー。

神社へ戻るところで、前方に富士山が見えるのに気が付き、また車にもどってカメラをとってきて写す。

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大井川の河口でもこんな真正面に富士山が見えることに驚くとともに、富士山を拝めたことで得した気分になった。


17時ごろ境内に戻るが、カメラマンも少なく、常連のカメラマンにどこがいいポジションになるか聞いて、舞台の北東にあたる角に陣取る。

18時に田遊びの参加者の記念撮影で祭りは始まった。
田遊びに奉仕する者は、氏子中の未婚の青年ということで、この祭りは、衣装は華やかだが、なにか体育会系の雰囲気がする。

田遊びは、25番組と番外の天狗、鯛釣からなり、まずは、番外、雌雄の天狗による舞台の清めから始まる。



第1番は、長刀、荒草を薙ぎ払う動作で農地の開拓を表現する。



第2番振取と3番御獅子は、この田遊びの最も重要な演舞で御獅子(牛)を祭神の身代わりと考え、祭神を内陣より迎え奉る意を表す。
獅子は、振取に誘導され舞台に立ち、振取の和め慰める所作の舞を受納する。



第4番鍬入は、地に鍬を入れる田仕事の手始めを表現していて、舞はなく、唱え詞と共に御納の「牛の舌餅」をまく。唱え詞は、「などようよう。鍬入れをしょうずるようは、ひと鍬打ってひきおこせば、よき酒とふる酒のにほいにほい」

第5番荒田は、刈敷を田に踏み込む動作をあらわす。

第6番寄塗は、水田の水を保つために畦に土を塗る作業で、舞はなく、唱え詞と共に御納の「牛の舌餅」をまく。唱え詞は、「などようよう、よせをぬろうずるようは、へろうりへろうり。」

第7番の水口申は、現在では演舞されない。

そして第8番鳥追は、苗代の鳥を追うとともに、農村を乱す悪霊を追い出す内容。




第9番山田は、舞台中央に田を擬した台を置き、鍬を順に打ちながら歌を送り、「よう徳さん徳さん」の声で、第10番の造花の万燈花を飾り付けた「ショッコ」をかぶった徳太夫が登場し、山田の労をねぎらって酒をふるまう。



第11番の麦搗は、現在は演舞されていない。

第12番田植は、殿とその供が登場、青年全員がぶたいの縁に並び、のど自慢が田植え歌を歌ってにぎやかに豊作を祈願する。



第13番代草は、水田の除草で、これも舞はなく、唱え詞と共に御納の「牛の舌餅」をまく。唱え詞は、「などようよう、代草を御かまにしょうづるようはにほい、にほい。」

第14番孕早乙女は、人の増加繫昌と増産を祈り、孕女を祝う演舞。



第15番小編木は、稲穂を荒らす鳥をにぎやかに追い払う演舞。



第16番早乙女は、氏子中5歳になった男児が親と舞台に上がり、禰宜様に抱かれて神前に三拝して、男児が改めて氏子に加わることを告げ、今日までの神恩を感謝し、将来の幸福を祈願する。

第17番高野殿は、稲の稔りが好いことを祝って、殿と供が酒を飲みかわす。



第18番棒は、藤守の郷を守護する内容の演舞。



第19番神子舞は、神の子として舞台を楽にあわせて竹ぼうきではらい清める。



第20番間田楽は、青年8人が田を擬した造花を頂きに飾ったショッコをかぶり、稲がよく茂り成長している様子を華やかに舞い踊る。



第21番猿田楽は、豊作を予祝する演舞で、この田楽のなかのメインイベント。かぶり物のショッコが華やかであるが、その舞は力強いもので、華やかさより男らしさが強調されているようにも感じる。

私の正面に来た青年が先頭のようで、「猿」の面をショッコにつけているので、これが「猿田楽」と言われるゆえんのようだ。



この番組が終わると、ほとんどのカメラマンは帰って行った。

第22番宝来は、青年5人が締太鼓の音頭と共に藤守の郷が富栄えている様子を歌う。

第23番稲刈は、豊作の稲の刈り入れを祝う歌を歌う。



ここで番外の鯛釣。本物の鯛が糸の先につけられ、口にご祝儀をいれて釣りあげられる。
海に面したところで、豊漁祈願も番外で行われるわけだ。



そして、鎮めに入り、始めと同じ、24番長刀で、舞台をはらい清め、25番御獅子では、祭神の身代わりである御獅子を慰労し、元の座に還り鎮まるよう振取が先導し、御獅子の御供餅を白扇にのせた振取が投げ挙げ、その方角により今年の稲の豊凶を占うそうだが、占いの結果は不明。
この餅を拾った人は幸福を受け恵まれるといわれている。


最後に、番外の天狗で、舞台をはらい、23時前にすべて終了





この日も眠くなかったので、そのまま帰路につき0時過ぎに帰着した。












「静岡県の祭ごよみ」によると、毎年2月17日に、藤枝市瀬戸谷地区滝沢の八坂神社で「田遊び」が行われる、ということで、17日に見に行く予定にしていたが、藤沢市のHPでは、開催は2月中旬と、日にちが特定されていないので、何か胸騒ぎがして、15日の金曜日にHPにあった問い合わせ先に電話して確認すると、開催は16日土曜日とのこと。

本当に電話してよかった。

会場で聞いたところによると、2月の第二土曜日に変更になったそうだが、あとでカレンダーを見たら今年は第三土曜日で、多分、中旬の17日に近い土曜日が開催日であるようだが、念のため電話で確認していったほうがよさそうだ。

で、16日土曜日、午前中に仕事を終えて、13時ごろ出発。
国道1号を走り、15時ごろ滝沢に到着。

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会場の八坂神社は、瀬戸川上流の支流、滝沢川沿いに位置する。

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神社をひとわたり見て車に戻り、田遊びは18時半開始ということで、いったん車に戻り4時半ごろまでひと眠りしてから、いつものようのカップ麺とコーヒーで腹ごしらえをして、17時ごろ境内に戻ったが、境内には祭りの準備をしている人以外は、私しかいなかった。

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田遊びは、本殿前の注連縄で囲まれた「八丁敷」と呼ばれる斎庭で行われる。

腰をおろして休んでいると、祭りの準備をしている人が、「滝沢八坂神社の田遊び」の小冊子と藤枝市郷土博物館発行のパンフレットを手渡してくれたので、今回は、その情報をもとに進めていく。

滝沢の田遊びは、現在は19演目が奉納されています。農作業を模した田遊び本来の演目である「山田打」「田植」「孕五月女(はらみさおとめ)」「稲刈り」のほか、能・狂言系の要素を含んだ演目である「年頭」「耕作散田」、修験道系の要素を含んだ演目である「薙刀(なぎなた)」「白刃(しらは)」「九字(くじ)」などがあり多彩な芸能となっています。なかでも、山田打・田植・孕五月女などの演目は、田遊びの最も素朴な姿を伝えている点で非常に重要で、昭和53年に国から「記録保存の措置を講ずべき重要無形民俗文化財」にも選定された。

田遊びは、18時半、「薙刀」から始まったが、カメラマンも少なく、私は正面に腰をおろして見物できた。

演目01 薙刀(なぎなた)

田遊びの開始に先立って舞庭を清める舞。白装束にツノ鉢巻の男性二人が薙刀を持って舞い、跳ね・四股を踏む動作は田の悪霊を封じ込めるものとされている。



演目02 獅子

チーラッパの冠に白装束の道化(マネキ)が、二本の扇で獅子を招くようにして舞い、二人立ちの獅子がこれに合わせて舞う。田遊びでは、この獅子は祭神の身代わりとされ、舞台に神を迎える行為を象徴的に示す演目。



演目03 祝詞(のりと)

本殿の中央にご神体のリキヒョウ(大きな幣帛に鏡餅をつけたもの)が、薙刀を持った従者を従えて立ち、これに向かって神主役が座して祝詞を奏上する。



演目04 千万歳(せんまんざい)

千秋万歳を省略した呼び方で、本来は人の住む家を誉めたたえることにより、その家の安泰と住人の長寿を祝う正月の祝福芸能でした。



演目05 白刃(しらは)

男子四名が、抜身の太刀(白刃)を振り回しながら跳ね、腰をぶつけあって舞庭の四方をめぐりながら舞う。



演目06 筏(いかだ)

男四人が、静かに体を揺らしながら舞庭を廻り、詞章(筏の猿楽)を謡う。詞章は牛頭天王社殿を造営するために用材を求めて山に入り、聖なる材木を伐り出し、筏に組んで流す、という内容になっていて、能・狂言の源流である猿楽の影響をうかがわせる大変貴重な演目。



演目07 十六拍子(じゅうろくびょうし)

やや前かがみに扇を膝に当てるように八の字に動かして舞進み、退場時には後ろ向きに舞っていく。



08 山田打(やまだうち)

爺尉・太郎・次郎の親子三人が、餅で作った鍬を肩にかついで順番に登場。謡いながら鍬を振り下ろし田打ちの動作をする。



演目09 田植え

田遊びの中心をなす演目の一つで、大人たちが田植え歌を歌う中子供たちが舞い、手に持ったササラを稲の苗にみたてて田植えの動作をする。
最後に「田植えもどき」といって、花笠をかぶり両手に扇を持って、掛け声をあげながら舞庭を廻る。



演目10 麦つき

筏と同様の男三人による舞で、ゆっくりした動作で「麦つき」の詞章が謡われる。



演目11 孕五月女(はらみさおとめ)

孕五月女が子供を産み拾い上げられる所作があり、他の田遊びにはみられない原初的な姿をとどめる点で、滝沢の田遊びを最も特徴づける演目。

子供たち囲まれた中で白衣を頭から被ってうずくまる五月女(田植娘)が、田にみたてたゴザの上に赤子(タロッコ人形)を産み落とし、農夫が鍬で田打ちするうちに赤子を見つけて大喜びで取り上げる。これは農作に先立ち人が子を産むところを穀物の神霊に示すことにより、秋の豊作を祈る人々の願いが表現されたもの。

この祭りのクライマックスで、カメラを構える人たちも増えていた。



演目12 耕作散田(こうさくさんでん)

散田(荘園で請作人に請作させ地子をとる田地)からの取高について帳簿を作成する様子を模擬的に演ずるもので、全国的にも珍しい演目。後半では「金貸し」という薙刀を持った男の狂言的な一人芝居になる。



演目13 年頭(ねんとう)

お供をつれた太夫が、亭主に年頭の挨拶をする様子を狂言風に演じる。古くは「えびす」と称され、太夫が恵比寿の冠をかぶっていたといわれている。



演目14 稲刈り

青竹に餅をつけて鎌をかたどったものを右手に持ち、左手に稲穂の束を持って、稲刈りのしぐさをして舞う。この演目は近年復活されたもの。



演目15 白刃

演目05の白刃と同じだが、このときは、「白刃もどき」があるそうで、多分最後に一廻りしたのかどうか、覚えていない。
以前はこの演目の舞人は、その年に成人した若者に限られていたそうだ。

演目16 九字(くじ)

九字は、修験道や密教系の儀礼で、護身の秘呪として九個の文字を呪え、指で印を結び、切るもの。二本九字、組九字、日天九字、月天九字の順に九字を切り、最後に刀を抜いて舞い退場する。そのあとすぐ、「九字もどき」といって、九字の舞人が四股を踏む所作を加えて舞庭を一周する。



演目17 太平楽(たいへいらく)

男九人が左手に幣を持ち、抜刀した刀を持って輪になって、中央に向かって輪が小さくなったり大きくなったりしながら舞い、最後に薙刀を持った一人が登場して、舞庭の正面で薙刀を大きく二回まわして舞う。
現在は行われていない「鳥舞」とともに舞楽系の舞といわれている。



演目18 獅子

演目02の獅子と同じだが、今回は田遊びの最終演目を前にした「神しずめ」の意味を持つ。

ここの獅子は見物人の頭を噛むことはなく、逆に我々見物人が獅子の頭を撫でて無病息災を願う。
私の正面にもやってきたので、獅子の頭を撫でて、またまた無病息災。



演目19 薙刀

これも演目01と同じだが、今回は舞庭の「後払い」で、舞が終わると舞人は本殿に上がり、薙刀を神前に返納して、田遊びの演目がすべて終了する。




21時半ごろすべてが終了して、いろいろ変化に富んだ演目で面白く、全然眠くないので、この日は車中泊せずに、帰路についた。

「静岡県の祭ごよみ」によると、毎年2月8日に焼津市の関方(せきがた)で「山の神祭り」が行われるということで、見に行くことにした。

祭りは、10時ごろから始まるということで、国道1号を走るので、渋滞する前にと、5時半ごろ家を出発、7時ごろ関方に到着。

道路脇に山の神祭りの掲示板を見つけたので車を留め、写真を撮っていると、近くの家からおばさまが出てきたので、祭りがあることを確認して、駐車できる場所を教えてもらった。

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おばさまによると、準備をする「宿」には早い人は8時くらいからやってきて、9時ごろから本格的に藁をなって「竜神様」を作り始めとのこと。

2月8日は例年好天に恵まれ温かな日和に恵まれるそうだが、この日も風もなくいい日和であった。

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駐車したあたりは梅や蠟梅が咲いている。

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私は、車の中でインターネットの仕事をして、9時前に準備している「宿」へ行く。

祭りの次第の張り紙が貼られ、「永田壽」さんが記した祭りについてまとめたパンフレットも配られたので、詳細がわかる。

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その「永田壽」さんのパンフレットによると、

「祭りの中心となるのは竜神様「蛇体」作りが全員により先ず御神酒を頂き乾杯をして始める。若い衆が中心になり中老の指示指導の下に作られる頭部は直径三十糎位眼玉は『ダイダイ』みかん、舌は葉蘭、ヒゲは縄に針金を巻きピンと立てる。背中に鱗が立つ様にし左縄に撚って八米〜十米位に仕上げる、30分程で出来上がると此の竜を太い青竹を十字に組んだ輿の上に「トグロ」を巻いて乗せる、中々見事の蛇体竜神さんの誕生だ、此れに小さな幟を立て完成する。」

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「三番鉦(二番鉦?)により十時半頃に行列を作って宿の家より大幟を先頭に竜神を中心に御供物、御幣、弓矢と隊伍を整えて出掛ける。」

「行列が宿を出発すると大きな声で『オンベイマイローマイロー山の神の勧進何でも壱升十六文』と掛け声勇ましく繰り返し繰り返し唱え奥の院に向かって登って行く。」

数十人の小学校3年生の一団も加わり、掛け声は、彼らが担当。

「奥の院山の神の鎮座する処は高草山中腹標高二百米位の『金ケ久保(カナケクボ)』の急傾斜の岩場のガレ場で神聖な処とし『普段は誰も立ち入らぬ処で祭り以外は誰一人立ち入る事はない処』行列は三十分程(この日は休憩もいれて1時間程)で到着、注連縄が張られ竜神さんは輿から降ろされ巨岩の岩場に頭を谷下の拝所に向かい這わせて安置祭られる。」

舗装道路を登って行くと、焼津の市街が一望できる。

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舗装道路を30分程登り、しばらく休憩してから脇道のかなり険しい山道を登って、竜神様を祭る磐座に到着。

注連縄が張られ、竜神様が磐座に安置される。

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「御酒、御供物をお供えして全員で参拝してから矢を射る準備に掛かる、先ず大弓が狭い祭場前に立てられるとその前に御幣を二本交差して立てる、その上に矢を乗せると弦を引きしぼる射手と参加者全員で『ヨイショ』の大きな掛け声とともに矢を拝所めがけて谷下に向かって放たれる(実際は投げる)」




「大弓小弓で三回づつ繰り返し矢が射られる(投げられる)、この所作が祭りの大事な意味を持っている様だ!此の矢に乗って山の神が田に降りて来ると云われて居るが此の地区関方に云い伝えはない、奥の院での行事が終わり下の拝所に向かって下山する」

拝所前では、「直会」があり、竹筒の燗酒や料理がふるまわれるのだが、車の運転があるので我慢して下山、焼津といえば「お魚センター」、ちょうど昼時で、すぐ近くなので昼飯はお魚センターで「マグロ三色丼(ビンチョウマグロのトロ、赤身、ネギトロの三色1250円)」にした。カニのみそ汁はおかわり放題で、私は2杯。

ついでに「金目鯛の干物(半身3切れ1000円)」と「マグロのカマ(大きなカマが4個入りで500円)」を購入。

金目の干物は、たまたま、旨そうなので購入したが、袋の中にチラシが入っていて、その店は「名代手造りひもの専門店」で、その日開いた、ケミカル添加物は使用していない完全オーガニックであり、独自の方法で塩糀・醤油糀につけて干している、ということで、焼いて食べたが、なかなか旨い。

カマは塩焼きと煮つけでまずまず。

帰りは道を変えて、国道150号を走り、御前崎の道の駅で野菜をいろいろ仕入れて、16時ごろ帰着。
毎年1月7日に静岡県島田市の千葉山智満寺で「鬼払い」が行われるので見物に出かけた。

3時過ぎに車で家をでて、国道1号線で2時間足らずで5時ごろ到着。
すでに薄暗くなり、本堂への石段を上るころにはすっかり暗くなってしまった。

智満寺は、けっこうな山奥にあるお寺であったが、本堂には、思っていたより立派な、格子で仕切られた内陣があり、本尊の大きな千手観世音菩薩像(国・重文)がある。内陣は撮影禁止となっていたので、写真には撮れなかった。

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一通りお参りした後、また石段を下り、門前茶屋で「とろろ蕎麦(600円)をいただく。

式典は20時ごろから始まるとのことで、車に車中泊用のキャンプ用折り畳みベッドと寝袋をつんであるので横になり、19時過ぎになると他の参拝客も来始めたので、私も本堂へ行く。

20時を過ぎるころまでは私をいれて6人ほどしかいなかったが、その後、住職の読経がはじまる21時ごろまでには100人ほどで内陣前の畳の敷いてある広間は埋まった。

住職が読経を始めるまで、紋付き袴で提灯を持った二人が太鼓の前の人のところへ挨拶に来ると、鉦・太鼓が打ち鳴らされる。


これは、静岡県民俗学会編の「静岡県の祭ごよみ」によると、「7度半のお迎え」というらしく、私は数えていなかったが、7度ほど打ち鳴らされたようだ。

21時過ぎに住職が入堂し、読経が始まり、万民豊楽・無病息災を祈願して、読経の途中で、床を柱で打つ場面もあり、その後、参拝者全員の額に厄除けの法印加持が行われる。

私も押してもらったが、花祭りや霜月まつりではお湯をかけられ、川名のひよんどりでは、水垢離の水をかけられ、ここでは厄除け法印を押してもらい、今年はますます元気に過ごすことができそうだ。

22時過ぎに、本堂の扉が閉められ堂内の明かりがすべて消されて真っ暗闇になり、鉦、太鼓が乱打され10分ほどすると、三匹の鬼が松明と柱を手に現れ、柱で床をつき松明を振りかざして乱舞する。

鬼は、内陣を乱舞した後、外陣に出て、我々参拝者に火を打ち振る。

鬼が、本堂内部をあらかた乱舞すると、本堂正面の扉が開かれ、鬼は回廊に出て並び、火を三度左右に振ると、庭に投げ捨て、参拝者はその松明の燃えさしの枝を取り合う。

燃えさしを家の門口に置くと、魔除けになるそうだ。


22時半ごろ、行事は終了。
私は車に戻り、朝5時過ぎまで眠ってから帰宅した。

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