日記

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こんなことはいいたくもなければ、考えたくもない。だが、そうする必要がある事態なのだ。菅だって、分かっているだろう。
踏み切るのは難しい。それは分かる。しかし、どんな犠牲を払っても、最悪の事態を避けねばならない。そのためには安全基準を守っての作業では間にあわない。今や、決死隊的な作業班を編成しなければならぬ時だ。つまり安全基準の10倍くらいの放射線を浴びる覚悟で作業してくれと、現場に頼む必要があるということ。その作業に携わる人たちの名前を公開し、首相は、かれらに「首都圏3千万の命を救うために、あえて自分の生命を危険にさらしてくれ、頼む」と土下座するのだ。かれらは成功すれば、永く英雄として敬意を払われるだろう。
これはもう何千万という命を守る戦争なのだ。
脳天気な顔をしているときではない。菅よ、それを決断する気持ちがなければ、危機の指導者といえないぞ。

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敗戦体験と重なる

ぼくは81歳。ツナミの画像を見ながら、敗戦を一面の焼け野原の中で迎えた16歳の夏の敗戦と
イメージを重ね合わせる。
今回も敗戦だと思えばよいのだ。日本は負けたのだ。どこに対して?自然に対してだ。今度の地震はマグニチュード9だ。このエネルギーは、三万三千発の広島原爆に匹敵する。広島の原爆はマグニチュード6の地震エネルギーだったといわれる。マグニチュードは1上がるたびに32倍になるという。
この三万発の原爆を一時に宮城沖に落とされて、自然に対して降伏した。こうしてぼくたちはもう一度敗戦を迎えたのだ。ぼくたちは、少し奢っていたのではないか。GNPが世界第2になった(最近三位に落ちた)などと浮かれて、傲慢になりすぎていたのではないか。敗戦と思えば、立ち直った経験が活かせる。
もう一度、ゼロからやりなおそう。

チェルノビリが二十五年前に起こした原発事故は、広島型原爆500個分を落とされたのと同じだったと計算されている。この事故がソ連の崩壊につながった。この事故のとき、ぼくは日本の原発は大丈夫かね、とある日本人エンジニアに尋ねた。すると「あれはソ連だから起ったのです。安全設計を十分に考えた日本の原子炉では絶対に起こりえません」。という答が帰って来た。ソ連で起きたことは、日本でも起こりうる。事故が起ったときどのような対策をとったか、その対策のどれが無駄で、どれが有効であったかを、謙虚に学んで、事故に備えていたら、もう少し事故後の対処仕方に役立っていただろうと思う。かつての軍が「日本軍は絶対負けぬ」といったのと、「チェルノブイリは日本で絶対に怒らぬ」、といったのと、精神の中で平行しているような感じがする。
戦後、ものが足りなくなった。ひもじい思いをした。スーパーに行き、からになった生鮮食料品の棚を眺めため息をつき、パンを買いに長い行列をしたり、混雑電車に押し込まれたりしながら、これも、あれも、みんな65年前にあったというデジャヴュ体験をしている。

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臨機応変の訓練は

3月12日
地震から一日たった。震源から遠く離れた鎌倉では、かなり揺れはしたが、被害はなかった。だが長時間続いた停電と、電話の不通と、交通機関のストップと車の大渋滞で、不安と不自由を感じた。車の大渋滞によって、消防車は動けない。救急車も動けない。火事も出せない。急病にもなれないということ。
原因は踏み切りにある。ある地点で電車が停まると、遮断機が下りて上がらなくなる踏切がある。ぼくの家の最寄り駅は北鎌倉だが、ここの下り線のホームに電車が入ると、建長寺下の踏み切りは、自動的に閉まる。そして北鎌倉駅に電車が停車し続けるかぎり、この踏み切りは閉まりっぱなしになる。安全対策上そう設定されている。ところが昨日のように電車が停まり、何時間も停まったままだと、踏み切りも開かないのだ。電車が停まって、動く予定がぜんぜん分からないのだから、踏み切りの遮断機を上げたらと思うのだが、三時間半後も閉めたままだった。北鎌倉の駅員に、どうして遮断機を上げられないかと質問したら、上からの命令だから、という。消防も動けない。救急車も動けない。命令などどうでもいいから、現場の判断で開けなさいとせまったが、不快そうな表情を見せただけ。おれの責任で、踏切を開ける、という元気のいい駅員はいないのか。かれに命令した上司なるものも、現場の意見をまったく参考にしないなら、緊急対策の責任者の資質にかける。それを見ながら、従順な日本人はふえたが、臨機応変に行動できる日本人のいかに少なくなったかをかを痛感した。もう少し、臨機応変ということを考えたらどうか。

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大宮ラフレでの講演

3月6日
大宮ラフレでの講演、何とか済ませてきた。準備した草稿を読み直すと、いい忘れたこと、途中までいい始めて、脱線したまま、元に戻らなかったところが沢山ある。でも、見た感じでは、反応が在ったように思う。
自殺予防運動に触れなければならぬといったこともあるので、無理して、アルコール依存が自殺に関連していることを語る。サービス精神が大きすぎるかもしれない。
常識の問題をもっと突っ込みたがったが、十分に出来なかった。
後輩の臨床医が駆けつけたので、あまり開業医の悪口もいえず、そうかといって、かれらにも理解してもらいたいことがあったのでちょっと歯切れが悪かったかな、と反省
きょうは形式的な、反応にとどめる。

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講演します

2月21日に講演します。
場所は東京都千代田区一ツ橋の日本教育会館
時間18時から20時まで。演題「現代を徘徊する《平均点》という化け物」
細かいことは、日本教育会館のホームページを開き、イベントを開くとチラシが載っています。
かなり過激な題です。
3月26日 土曜日 
横浜市栄区地球市民プラザ内プラザホールの栄区9条の会の5周年の催しで一時間ほど話します。
「靖国」と憲法のことを考えてみようと思っています。こちらもそれ以上に過激な題です。
ぼくは「神、この人間的なるもの」という本を書いています。
連絡先はgoto@kd5.so-net.ne.jp 
後藤仁敏
また鎌倉の地元の九条の会が、井上ひさしの命日に集会を開き、大江健三郎を呼ぶことになっているので、
その時にもちょっと話をします。鎌倉9条の会の呼びかけ人の一人として。

婦人之友には「怒りなさい」について。
ちくまには、チュニジアの革命についてかきました。原稿は送ってあります。

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