よもやま日記

季節の花や、出来事、郷土の歴史等をUPしてゆきます。

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義昌は文禄4年3月17日、九十九里平野にひろがる椿の海のさざ波を見ながら56歳の生涯を終った。戦国武将にしては戦野に屍をさらすことも無く他界したが、まぶたに去来したものは木曾谷の美林か、安曇野の清らかなせせらぎか、あるいは滅び去った武田一族の面影か ………

義昌亡き後は、長男義利が継いだが、阿知戸1万石への移封を左遷と見ての不服に基づくものか粗暴な振る舞いが多く、かねてより不和の叔父上松義豊(義昌の弟)を殺したことなどから家康の怒りをかい、慶長5年(1670年)義利は追放され、阿知戸1万石は没収されて直轄地となった。

木曾氏の所領


木曾氏の所領阿知戸1万石は、次の20ヶ村であった。
塙 村   (旭市塙)     273石  (石以下は省略)
下長谷村  (匝瑳市長谷)   144石
成田村   (旭市 ロ)    169石
阿知戸村  (旭市 イ)    154石
十日市場村 (旭市 ハ)    283石
野中村   (旭市野中)    156石
見広村   (旭市見広)     91石
後草村   (旭市後草)    160石
江ヶ崎村  (旭市江ヶ崎)   158石
蛇園村   (旭市蛇園)    278石
小笹村   (匝瑳市小笹)   132石
東、西足洗村(旭市東、西足洗) 370石
中鑓村   (旭市中谷里)   479石
神宮寺村  (旭市神宮寺)   353石
椎名内村  (旭市椎名内)   172石
足川村   (旭市足川)    276石
三川村    (旭市三川)     678石
八木村    (銚子市八木)    903石
上長谷村   (匝瑳市上長谷)   219石
横根村    (旭市横根)  660石 
  合  計         6115石2斗9升5合7勺3才

  旭市 戸口剛家蔵書 天正18年「木曾様御代之水帳」より

石高は、蒔高制でみるのと刈高制でみるのとでは違うし、米を測る枡(甲州枡と太閤枡)でも違っていたので、実態把握はかなり困難

木曾義昌の一族


義昌の子は「木曾考続 木曽氏系譜」によれば、
長男 仙三郎義利 徳川家康により追放され、阿知戸を退去してその後行方不明
となった。と言われていたが、 寛永16年(1,629年)
伊予国松山で没し,宗屋と号したという。
次男 長次郎義成 豊臣秀吉の小姓、大阪夏の陣で戦死
三男 与惣次義一 義通ともいう。改易後母と共に木曾に帰り余生を送った。
女子 名不詳   毛利伊勢守夫人
女子 名不詳   福島左衛門大夫夫人
女子 名不詳   蜂須賀阿波守夫人
夫人 万里姫   義通を伴い、木曾福島の山中黒澤に隠棲した。
         生保4年(1,647年)93歳で逝去、法名・真竜院
         現在、黒沢に墓が残っている。
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  万里姫の墓(長野県木曽郡三岳村黒沢の上村家敷地)

改易によりにより木曾家の家臣は四散したが、千村、馬場、山村らは、関が原戦に赴く徳川秀忠のために、木曾谷を掃討して功をたて、関が原合戦にも功があった。このため後に山村甚兵衛義勝は木曾代官に、馬場半左衛門正次は旗本に、千村平右衛門良重は伊那代官に取り立てられた。

いずれも木曾地方の治政に精通していた事と周辺の土豪に対する備えとしての配備であった。特に山村氏は尾張藩に属し木曾代官として明治まで木曽氏に代わって木曾地方を収める事になった。

木曾義昌公追悼

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  義昌公の兜(菩提寺東漸寺に保存されている)

弘文元年(1844年)3月、木曾氏の末裔と称する木曾義長(芦原検校)が東漸寺で木曾義昌250回忌を営んだが、其のとき葦原検校と親交のあった大名、貴族公卿など多くの人が追悼の和歌を寄せた。これを纏めたものが{慕香和歌集」として残っている。更に後年、地元の人々の和歌、俳句を加えて刊行したのが「波布里集」である。平成3年12月、残されていた版木により「波布里集」が復刻された。

また、嘉永5年(1852年)京都の学者 野々口隆正(後に大国隆正と称した。)が東漸寺を尋ね、後に懐旧の和歌を送ってきた。
  
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明治22年(1,889年)網戸村、成田村、十日市場村。大田村を合併したときに、町名を旭としたのは、発展の象徴である朝日とともに、この和歌の旭をとったといわれている。

義昌は椿の海に水葬され、後に椿の海が干拓されたので、天保14年水葬跡に墓が立てられた、墓石の表には「木曾左典厩兼伊予守源義昌朝臣墓」とある。

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木曾義昌公の墓(旭市網戸木曾義昌公遺跡公園)

平成3年、旭ライオンズクラブにより、傍らに平服座像のおだやかな表情の銅像が立てられた。
また、毎年八月の七夕まつり時には義昌公を偲び、市民が武者に扮した時代絵巻の「武者行列」が行われます。


               ☆ 木曾から来た戦国武将終わり ☆

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おわ〜〜!!旭の由来初めて知りました!!!!
あの武者行列も、そんな理由があったんですね〜!!!

2007/8/23(木) 午前 0:54 [ ゆうこぴぃ ] 返信する

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お早う御座います。ゆうこぴさんお久しぶりです。
旭の名前の付いた由来はこんな事だったのです。
残暑が厳しいのでお健康に留意してください。

2007/8/23(木) 午前 9:19 nagarebosi 返信する

はじめまして。木曽義昌は、こちらにところ替えになっていたのですね。そして木曽家は滅亡したのですね。

2007/9/23(日) 午後 10:47 houzan 返信する

houzanさん、御訪問コメント有難う御座います。木曾家も仙三郎義利で断絶したのです。当時の戦国武将の様子がかいま見られます。

2007/9/24(月) 午後 7:40 nagarebosi 返信する

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戦国大名木曽氏が木曽からこの地へ移ったとは知りませんでした。
良く調べているので、大変参考になりました。 削除

2008/5/24(土) 午後 8:46 [ 源次郎 ] 返信する

源次郎さん御訪問、コメント有難う御座います。
あまり更新されないブログですが、又の御訪問をお待ち致しております。

2008/5/26(月) 午後 3:54 nagarebosi 返信する

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流れ星さん、和歌。。。美しいです
「書」を見るのは好きですが。。。読めません
さらさらと、読めるようになるのが夢です

2008/6/28(土) 午後 7:02 毎日が夢の中 返信する

御久振りです。コメント有難う御座います。
流れるようなこの書体、何ともいえない美しさがあります。
最近ブログ離れしてしまいご無沙汰致してあります。
女庭師さんも元気で頑張ってください。

2008/7/3(木) 午後 1:05 nagarebosi 返信する

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