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長崎在住の政策クリエーター・橋本剛による長崎関係モノローグ。

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以前「長崎消息」に連載していたコラム「つよしの長崎アラカルト」ですが、長崎消息が休刊した後も、個人的に時々同じような体裁で書き綴っています。ここ数日、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞に関連して記した文章を再構成して、1本のコラムにまとめました。画像がそれですが、小さいサイズの画像なので見にくいため、下記に全文を転載しておきます。

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つよしの長崎a la carte (54)
「ザ・ノーベル・レクチャー」

 昨年10月、長崎生まれの英国作家カズオ・イシグロ氏にノーベル文学賞の授与を決定したとのニュースが駆け抜け、長崎ではお祝いムードが広がった。日本国籍がある(あった)ノーベル賞受賞者はほぼ例外なくどこかの名誉市民・町民になっているので長崎市も同氏を名誉市民とすべきと11月の市議会本会議で提案したところ、本年2月の市議会で実現することとなりそうだ。

 また、先日、市民団体「カズオ・イシグロ長崎歓迎の会」設立記者会見に同席。カズオ・イシグロ氏のお父様がシャギリの楽譜を取り寄せるなど大のくんちファンだったことを受けて、くんち桟敷への招待に取り組んだメンバーを中心に、これらを継続的な活動とするものだ。同氏やご家族を知る方々の「記憶」も少しずつ失われていくので、同会はこれらを収集し、同氏と長崎の縁を深めていく考えだという。

 カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞時のスピーチ(ストックホルム市庁舎「青の間」での「ザ・ノーベル・レクチャー」)の最後に語られた言葉は、「良い文学は人々の分断をもたらす障壁を打ち破る力を持っている」というものだった。

 この「文化が憎しみ合いかねない人々をつなぎ、和解を促す」というメッセージは、どこか身近で聞いたことがある気がする。

 そう、1954年3月に打ち出された「長崎国際文化センター建設計画」の根っこにある考え方だ。実に良く似ていると感じる。

 長崎国際文化センターは「文化の力で平和を」と掲げ、国内だけでなく、第二次世界大戦の記憶も未だ鮮やかな時期、敵味方の憎悪を超えて世界中から長崎復興への寄付を募り、文化を育む各種施設を生み出していったもの。その成果としてまず1959年長崎水族館が開館し、次いで1960年長崎県立長崎図書館が開館。最後に完成したのが昨年取り壊された長崎市公会堂だ。

 カズオ・イシグロ氏は長崎国際文化センターが世に出た1954年の生まれ。文化施設ができはじめた1960年、5歳のときに長崎を離れている。この間の長崎は、長崎史上珍しく「ビジョン」を掲げて世界に発信しており、石黒ファミリーも当然センター構想は日々見聞きしただろう。遠く離れた英国へ移住後、家族の「長崎観」はこの熱を帯びた時期の長崎だったはずだ。

 大戦後、「文化の力で対立を乗り越える」ことを軸に議論が広がっていた長崎で生まれ育った少年が、半世紀の後、「文学は分断をもたらす障壁を打ち破る力がある」と掲げてノーベル賞受賞スピーチをする。

 戦後長崎の人々の願いが、当時長崎に暮らした少年を通じて、21世紀に結実したかのようだ。

 そう思えば、公会堂も跡形もなくなってしまったけれど、このような形で長崎国際文化センターの成果は脈々と生きているのかもしれない。

 ところで、カズオ・イシグロ氏の著書との出会いは大学生協で購入した、当時新刊の『日の名残り』。入れ替わりの激しい私の書棚で28年間定位置を占めている。映画にもなり評価の高い『わたしを離さないで』は私が25年前に書いていた近未来小説になんとなく設定が似てるせいか、まだ手が出せないまま。人間の個人の遺伝子を組み込んで、移植用の臓器を育てるミニブタの話で、完全に拒否反応を消すためには、身近に置いて愛情が生まれ、手放したくないと思ったときに「別れ」(自分への臓器移植が可能となる)がやってくるという設定だった。実は臓器移植だけではなく、食するということも同じというメッセージを込めたかったのだが、農水省1年目に現実逃避気味に書いていたので、徹夜連続の日々の中未完に終わる。あのまま書き続けていたら、今ごろノーベル文学賞候補かも!(笑)

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