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長崎在住の政策クリエーター・橋本剛による長崎関係モノローグ。

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昨日投開票が行われた長崎市長選挙で、「長崎を変える」仲間として支援・支持してくださった市民の皆さんに、深く感謝いたします。

今回の選挙では、医師会、商工会議所、さらには連合傘下の労働組合まで現職候補を推薦する中で、ここまで票が積み上がったのは、危機感を共有した「ふつうの市民」の死にものぐるいの力だったと思います。

ほんとうにご尽力ありがとうございました。

「国破れて山河あり 城春にして草木深し」。1000年以上前の杜甫の漢詩ですが、私たちのふるさと長崎の山河は変わりません。しかし、国は破れるときがあります。

これから先、わずか10年で75歳以上の高齢者は3割近く増え、医療介護に必要となるお金が急上昇することが見込まれています。

他方、国からの財政支援は減りこそすれ増えることはありません。

借金(臨時財政対策債)でなんとか固定費(経常経費)を支払っている長崎市が、人口も急減する中で、さらに借金を膨らませたら危険だと焦燥感を募らせての立候補でした。

しかし、市民に十分声が届かなかったのは残念ですし、届けることができず申し訳なく思っています。極めて低かった投票率が何より残念でした。

もう新市庁舎もMICE施設も後戻りできません。どちらも当初計画通り、過大だったり競合等に苦労しながら進むのでしょう。

実務関係者のご苦労お察しします。

これから、長崎市は厳しい時代を迎えると思います。私の生まれた、大切なふるさと長崎の未来に幸多からんことを祈ります。

幸い、長崎市議会議員選挙では、チーム2020の幸大助代表をはじめ、危機感を共有する仲間が多数当選しました。

この仲間たちとともに、長崎の難局を乗り切るためにできることは何なのか考えていきたいと思います。

改めて、これまでのご支援ほんとうにありがとうございました。

#長崎は今回変わらなかった

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あれから12年

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長崎市長選挙4日目、折り返しです。

また、伊藤一長市長が選挙中に銃撃された日から12年。報道各社からこの件で取材を受け感想を求められました。

・49歳で市長に当選した伊藤一長さんが亡くなって12年、ちょうど二回り違う私が同じ49歳で市長選挙に臨んでいることに感慨深いものがあること。

・アジア経済との連携、合併町の振興など伊藤市長が志半ばでできなかったことも受け継いだ市政を目指すこと。

そんなことを述べました。

早稲田大学政治経済学部の大先輩だった伊藤一長さんと初めて会ったのは20歳のとき。まだ県議時代です。

その後も帰省して大学同窓会等々でお目にかかっていました。

亡くなる2カ月ほど前、伊藤市長は、まだ農水省にいた私に「今度合併して、長崎市の農林水産行政が重要になる。知恵を貸してほしい」と言っておられました。

しかし市長逝去で知恵を出す機会は失われ、先輩の「遺言」のように。

今日の夕方早く、街宣車を降りて献花台に黄色い花束を献じました。「遺言」の実行を果たすためにも、あと3日、全力で走ります!

※画像は12年前の2007年8月、後援会の方に頼み込み、帰省して伊藤市長の精霊船を担がせていただいたときの写真です。

#長崎を変える

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輸出診断。

十数年前に生み育てた「日本の食を輸出する」取り組みが順調に伸びてきています。

元部下だった担当官が企画してつくった動画だと連絡をしてくれました。

よかったらシェアした文中にあるGFPのウェブサイトもご覧下さい。

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昨日は夕刻上京し、一般社団法人益田サイバースマートシティ創造協議会の設立。

私もこの社団の監事を務めます。

ニッポンハイテク再成長させる会のシンポジウムと連動しての設立公表でした。

人口5万人の益田市はセンサー+IoTで少ない人手となっても可能な行政運営を試みてます。

人口減少でも職員数は減らず増えるかもとか平気で答弁するどこかの自治体とは大違いで、真面目に未来を考えています。

私と同い年の山本浩章益田市長(私の出版記念パーティーでビデオメッセージを頂いた方)も駆けつけ、お隣の席でした。

ここに集うベンチャー企業、各省OB、大学等々のパワーを長崎に引き込みたいもの。

元々長崎に縁の深いメンバーが多く、長崎での取組を目指したものの、結局意欲のある益田市で始めた経緯があります(拙著『みらい丼』にも書きました)。

長崎出身でプロジェクトの立役者・AGDファウンダー豊崎さんと、テレビにもよく登場するディー・フォー・ディー・アール株式会社藤元社長とパチリ!

長崎関係では、お母様一族が長崎出身で、30年前県議時代から親しくしている松沢成文参議院議員(希望の党党首、元神奈川県知事)も懇談会に駆けつけてくださいました!

【参考】
産経Biz記事

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如己堂と乃湯

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 土日も動き詰めだったので、昨日は午後を自主休業?し、ダイアモンド☆ユタカの夏休みレポート取材に同行。原爆投下後も浦上天主堂近くの「如己堂」(にょこどう)で旺盛な執筆活動を行い、43歳で他界した永井隆博士の生涯をたどる記念館と現地保存されている如己堂を訪ねました。

 同館に置かれていた、タイピント印刷さん出版の漫画(長崎原爆の記録)を眺めていると、人々が川に折り重なって死んでいた光景などに混じって、防空壕の入口に転々と「黒くて丸いもの」があるというシーンが出てきました。

 それは、この漫画の元になった手記を書いた方がその直前まで一緒に過ごしていた友人・同僚たちの最後の姿だったそうです。この「黒くて丸いもの」になってしまった人間の姿、というものはこれまであまり聞いたことがなかったので、強い印象を受けました。

 以前このブログでも「影」だけ残った人間のことについて触れたことがありますが、止まった時計、ゆがんだ水筒、(非人道的ですが、それでも原形を留めている)黒焦げの人や馬の死体よりも、「異形のものになってしまった人間の姿」こそ核兵器の反生命性を糾弾しているように思えます。

 しかし暑い日でした。日が陰り始める帰り道、山里中学校前の銭湯「徳乃湯」に寄り道。長崎北高同級生のご実家で、同級生の家に遊びに来ていた高校生の頃以来、30年ぶりです。親父様もお元気そうで何よりでした。

 かつて100軒近くあった長崎市内の銭湯は、今や7軒とのこと(孔子廟横日栄湯、徳乃湯、稲佐、片淵、西山、それと茂木に2軒)。銭湯が決定的に減ったのは、私は内風呂の普及かと思っていたのですがそうではなく、自治体の老人福祉センターや老人憩いの家などの公的施設で入浴ができるようになったことが大きいようです。

 国の制度でこういう公的施設の建設・運営がサポートされているのだとは思いますが、60歳以上の方々を社会の他の構成員と切り離して囲い込む手法よりも、子どもから壮年、高齢者までが分け隔てなく利用できる銭湯のような社会的存在を活かしたほうがよかったように思えます。

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