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(川越市小仙波町4−4−9)
久しぶりに川越市を歩いた。市街地の東部、雨空についーと伸びるけやきの大木、幹周り3メートルはありそうな巨木だ。良い目印だ。近づくと古墳の上に生えていた。20メートル四方の方墳である。高さは1メートルもない。参拝や子どもたちの遊び場としてか、表面がつるつるに固められている。4世紀後半の築造だろうとされる。墳頂にお稲荷さんがのっている。近くから古鏡、碧玉製石釧、壺型埴輪などが出土している。正式に発掘したわけではない。周囲の出土品などから、この古墳は川越市最古の古墳だろうという。川越市の名所・喜多院から東南に1キロ弱である。
その喜多院の慈眼堂をのせている丘も古墳だそうだ。全長80メートルの前方後円墳で、6世紀のものだろうとう。三変稲荷古墳のような表示版がないので、ちょっと不安に思ったが、川越市史には掲載されているので間違いないだろう。かなり変形されているので、素人にはわかりづらいものがある。
慈眼堂は喜多院再興の天海僧正をまつったもの。天海は徳川家康に認められ、江戸幕府の宗教、仏教界に大きな足跡を残している。怪僧と評するひともいるが、、、。川越に入る前は常陸国信太郡江戸崎村(現在の茨城県稲敷市江戸崎)の不動院を再興している。天台宗の寺で、医王山東光寺という。本堂は幕末、排仏毀釈の嵐の中で焼かれた。仁王様をまつる山門が当時の寺の繁栄をものがたる。本堂跡は広々として、われわれ子供時代の遊び場だった。そこに、近年小さな本堂が再建された。天海僧正については、いずれ再検証したい。
三変稲荷の近くに仙波仙芳塚がある。仙芳という仙人を記念した塚で、これも円墳を再利用したものであろう。新河岸川沿いに多くの古墳があったようだ。仙波古墳群というが、残っているものはわずかだ。貝塚も確認されていて、このあたりに古くから人々が住み続けてきたことがわかる。
*三変稲荷の小さな社をのせるために、墳丘の表土をのぞいたらしい。そのため、築造時の大きさからするとこじんまりしているようだ。
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