奥武蔵 古代史ノート

武蔵国や常陸国・霞ヶ浦周辺の古墳や史蹟めぐり

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                                                                                                  (飯能市中藤上郷=旧中藤村上郷字八株はつかぶ)
 
 
 飯能市周辺のハイキング地図を見ていたら、ずいぶん山奥に磯前神社という表示と鳥居のマークが目に入った。磯前というと、たいがいは海の近くというのが相場だ。なんでこんな山のなかにあるのだろうと疑問におもい、訪ねてみた。
 市内から13キロ位かな、自転車で山道をこいでたどりつく。
 中藤川の石橋を渡り本殿、その右手に土蔵と広壮なお屋敷があった。「武田」とある。武田家と関係あるのかなと思い、尋ねようとしたら留守らしい。だいぶ長期にわたり住んでいないみたいだ。聞くところによると、当主は市内に住んでいるという。
「埼玉の神社」によると、武田家は甲州武田勝頼の子孫だそうだ。勝頼は武田信玄の息子にあたる。この神社は、明治時代前は本山修験・道林寺持ち薬師堂と呼ばれていたという。廃仏毀釈で薬師堂を磯前神社に改称したというのだ。茨城県大洗町の大洗磯前神社の大己貴命、少彦名命を勧請したという。
 そうだったのか、と同時にやっぱり、そのときの感じである。武田信玄を代表格とする甲州武田氏は常陸国出身だと聞いていたからである。
「新編常陸国誌」は次のように記す。武田氏は那珂郡武田郷より起こる。新羅三郎義光の三子義清、刑部三郎と称す。初め那珂郡武田郷に居り、武田冠者と称し、父義光の嗣たり。子清光、大治五年、罪あり、その父子を甲斐に配し市川庄(山梨県市川三郷町)に置く。
 武田氏が常陸から甲斐に赴くのは大治五年(1130)、平安時代までさかのぼる。甲州の地に根を張り信玄公として覇を競うまでになる。この常陸の武田郷は、水戸市の北、那珂川の対岸、JR勝田駅の南にあたるようだ。武田という地名がのこっている。大洗神社は那珂川をくだってすぐである。大洗の神が筆者同様、この飯能の地においでになる、不思議なめぐり合わせかな、と感じたことである。 
 本殿には大洗の神がまつられているのだが、もとの主、薬師如来も同居しているようだ。ここでは、神も仏も仲良くひとつ屋根で過ごされているという。
 

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