奥武蔵 古代史ノート

武蔵国や常陸国・霞ヶ浦周辺の古墳や史蹟めぐり

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鹿島の夫婦塚古墳再訪

                                  
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                                                                                               (茨城県鹿嶋市宮中野)
 
 
 鹿島神宮に詣で、宮中野古墳群をたずねた。30数年ぶりだ。
 このあたり、当時は開発でいたるところ伐採がすすみ、切り株だけが未だ印象に残っている。そんな中、夫婦塚古墳だけが、立木がとりはらわれ、はだかの状態で墳丘を確認することができた。
 この古墳群は鹿嶋市のほぼ中央にあり、市内最大のもの。前方後円墳16基、帆立貝式2基、長方形墳2基、円墳104基、計124基の茨城県有数の古墳群である。しかし、水道施設の建設で大半が葬り去られてしまった。
 わずかに残された古墳の代表が夫婦塚古墳である。30数年たって、松の木立が美しく全身をおおっている。全長107㍍、後円部径47㍍、高さ7.5㍍、前方部幅34㍍、高さ5.7㍍。茨城県内では5番目の規模、六世紀ころの築造と考えられている。鹿嶋市指定史跡。内部調査はまだなので、詳細は不明。
 だが、この古墳群の大塚古墳が調査されているので参考になるかも知れない。全長90㍍、周溝を含めると120㍍にもなる帆立貝式古墳である。墳丘は三段築造で、埋葬施設は前方部に確認されている。横口式石槨という石室に朱塗りの石棺が安置してあったという。盗掘されていたが、耳環、金製装身具、馬具、銀製弓、銀象眼刀子など貴重な出土品にめぐまれたという。7世紀中ころのものであろうという。
 夫婦塚古墳のかたわらに、このあたりで調査された古墳の石棺が展示してある。6〜7世紀のもので、筑波山のホルンフェルスという石だそうだ。緑泥片岩のようでもある。この古墳の西側は崖地で、そのむこうは北浦である。晴れていれば、きれいに筑波山の山並みがのぞめることだろう。夫婦塚古墳の被葬者が霞ヶ浦にどのような覇権をもっていたのであろうか、思いめぐらすばかりである。
 
 
*夫婦塚古墳、前方部から後円部をのぞむ。右手に円墳が2つのこされている。

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