奥武蔵 古代史ノート

武蔵国や常陸国・霞ヶ浦周辺の古墳や史蹟めぐり

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 梅雨の六月下旬、かねて来たかった熊本県の装飾古墳館(熊本県山鹿市)を訪ねた。入口をはいって目についたのが『茨城の装飾古墳』というパンフだった。サブタイトルに〜建借間命が遺したもの〜とあった。ずいぶん突っ込んだタイトルだと思った。以前から、小生も建借間命がどこから、常陸国へきたのか、古墳文化との関係はあるのかないのか、思い続けてきたので、ここでそのような企画展が平成21年度に開かれていたことにちょっと感動した。
 建借間(たかかしま)命は『常陸国風土記』行方郡のところに、つぎのようにかかれている。
 崇神天皇の時代、東国の蝦夷を平定するために、建借間命を派遣した。後の那賀国造の祖先である。安婆の島に泊まったとき、国栖の夜尺斯・夜筑斯の二人が穴を掘ってすんでいて、抵抗をした。命(みこと)ははかりごとをくわだてた。渚に武器をかざり、舟をつらね、虹のように旗をあげ、天の鳥琴、天の鳥笛をならし、杵島唱曲(きしまぶり)を七日七夜踊り続けた。周辺住民は驚き、住処からでてきて、そこをみことの軍勢にうちほろぼされたという。なんとも残酷なはなしである。
 この杵島というのは、現在の九州佐賀県武雄市、その南西に肥前鹿島市があり、その中間に杵島岳という山がある。そのあたりを指すもののようだ。ここにも鹿島市がある。常陸の鹿嶋市と無縁なことではないかもしれない。建借間命が杵島唱曲を演じたことは、この地の出身者か、それに近い者と考えていいのではないか。
 装飾古墳館の企画展の主役というべき古墳は、言うまでもなく「虎塚古墳」(茨城県ひたちなか市)である。
 虎塚古墳は那珂川支流中丸川左岸、河口の那珂湊漁港から5キロほど上流のところに築かれている。ひたちなか市中根字指渋。全長56㍍、後円部径27㍍、高さ5.7㍍、前方部幅30㍍、高さ5.2㍍の中型前方後円墳である。昭和48年に調査され、石室に壁画が描かれていたことで大きな話題となった。
 後円部に凝灰岩製の両袖型玄門付き横穴式石室があり、そこを白色粘土で表面塗布、ベンガラの赤で武器や舟とおもわれる絵が描かれていたのである。
 七世紀前半の築造と考えられている。
 装飾古墳館の企画展では、虎塚古墳が建借間命の墓、もしくはその関係者のものではなかろか、と推定しているようだ。パンフでは、茨城県と熊本県の装飾古墳のちがいを次のように指摘している。
 茨城県の装飾古墳は、6世紀末から7世紀前半、虎塚古墳はじめ船玉古墳、折越十日塚古墳など前方後円墳、方墳といった盟主墳、それに近い古墳に採用されている。熊本の菊池川流域の永安寺東古墳(7世紀初)などに同種の装飾が確認されている。武具を描いたた水戸市の吉田古墳は、菊池市の袈裟尾高塚古墳(6世紀後半)内の線刻と絵画技法で共通しているという。
 建借間命をまつるひとびとが北部九州から東上、東国常陸国で虎塚古墳などを造ったのではないかというのだ。遠い古墳時代のいぶきを『常陸国風土記』は伝えているのではないかという。
壮大なロマンだ。虎塚古墳の壁画を今一度思い起こしてみてはどうだろうか。
 
*写真は虎塚古墳奥壁の壁画イラスト(『虎塚壁画古墳』1973勝田市史編さん委員会 から)
 

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