奥武蔵 古代史ノート

武蔵国や常陸国・霞ヶ浦周辺の古墳や史蹟めぐり

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上が高萩市の丹生明神をまつる三神社、右は飯能市の丹生神社
          
                              (埼玉県飯能市飯能・茨城県高萩市下手綱)

 水戸藩附家老中山信吉ゆかりの茨城県高萩市の丹生神社を訪ねた。わが飯能市が中山氏のふるさとである。両市はそんなことで、友好都市として交流を続けている。
 飯能市と中山家、丹生神社の関係について『高萩歴代領主』(松岡藩藩校「就将館」編、佐川春久編著)に詳しい。
 松岡藩の丹生神社は、奈良県の丹生川上神社を本社とする高靇神(たかおかみ)を祭神とし、のちに稲荷、天神を合祀して、現在は三神社とよんでいる。
 たかおかみは水の神、万物をひとしく潤し育てる神という。中山家の祖先は宣化天皇の子孫で、もと丹治氏、家紋は虎杖(タジ)、枡形に月をもちいている。
 丹治氏が武蔵地方に落ち着くのは平安時代。そのころ、高野山の丹生明神の分霊を中山(飯能)にむかえ、氏神としたと伝える。
 この神が、やがて水戸藩附家老中山家の居所となった常陸太田にまつられ、文化2年(1805)第十代中山信敬の松岡移転によって、現在の高萩市に遷されたという経緯がある。
 飯能市の丹生神社は『諏訪乃森の神々』によると、次のようだ。
 1100年前、宣化天皇の後裔、丹治武信が武蔵国高麗郡加治を所領、守護神として紀州高野山の地主神丹生明神を勧請、飯能市中山に祀ったのがはじまり。この一族は丹党として代々武勇を誇り、丹生明神はいつしか羅漢山、現在の天覧山山頂に移され、のちふもとの能仁寺境内、そして現在地の諏訪八幡神社に合祀されるようになったという。

 丹生の丹とはなにか。赤色の辰砂、水銀鉱石のこと。縄文時代には土器などの装飾、古墳の石棺に塗布して魔除け、奈良東大寺大仏造立のときは全国から集められたという。
 丹生神社や丹党といわれた人々は、その産地や流通にかかわったもののようだ。そんな縁で飯能市と高萩市はむすばれていたのである。
 高萩市の丹生神社には棒に獅子頭をのせて舞う棒ささらが伝えられている。4月第二日曜に奉納される。江戸時代から伝わる伝統芸能だ。11月の飯能まつりでも披露される。

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