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(埼玉県行田市埼玉)
将軍山古墳は全長90メートルの前方後円墳である。二段築成で六世紀後半の造成であろうとされる。石室内部が見学できるように全体復元されている。副葬品は馬具、ガラス玉、埴輪など多彩。石室には当時のように復元、展示されている。石室には千葉県産の房州石が使われていることも注目したい。
異彩を放つのはやはり馬具である。とくに馬冑(ばちゅう)は和歌山県大谷古墳から初めて出土、埼玉は2例目できわめてめずらしいもの。ことしになって佐賀県でも出土したと発表された。
騎馬民族説で知られる江上波夫氏は次のように述べている。
馬具はスキタイ地方で発達、馬面や轡、あぶみなどで馬を飾り、戦闘に利用した。馬冑は中国南北朝に北魏、高句麗でみられ、朝鮮南部をへて、古墳時代後期に日本列島にもはいってきた。大谷古墳、そして韓国・釜山の福泉洞古墳で同じような馬冑がでている。釜山市から金海市は任那といわれ、ここから天皇を中心とした天孫族が日本列島に渡った一つの基地のようなもの。かれらは九州から大和に入り、大和朝廷をつくる。
馬冑といっしょにでた蛇行鉄器というもの、はじめなんなのか謎であったが、行田市酒巻古墳ででた埴輪馬によってあきらかになった。馬の鞍後部に据え付ける旗指し金具であった。
高句麗の古墳壁画に馬に馬冑をつけて、旗指し金具を装着、戦闘する騎馬像が描かれている。
この日本列島では、これらの馬具や武器を実際使ったものとはおもえないが、祖先の遺物として伝えられてきたものに違いない。われわれ現代人は、これをどう解釈するかである。
*写真上が将軍山古墳で出た馬冑、右が将軍山古墳全景
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2015年08月15日
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