奥武蔵 古代史ノート

武蔵国や常陸国・霞ヶ浦周辺の古墳や史蹟めぐり

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                                                                   (埼玉県行田市埼玉)
 稲荷山古墳は全長120㍍の前方後円墳である。築造は五世紀後半か。西側につくりだしをもち、そこから埴輪が見つかった。
 昭和43(1968)年の調査で礫槨(第一主体部)粘土槨(第二主体部)があきらかになり、礫槨から鉄剣、鏡など多彩な出土品が検出された。いずれも円墳部の表面に掘られたもので、古墳の主人公は地中深くまだ眠っているであろうと考えている考古学者は多い。
 問題は国宝に指定された鉄剣である。金錯銘鉄剣、長さ73.5㌢、表に57字、裏に58字、金象眼で文字が刻まれていた。刀をつくらせたオワケとその先祖八代の系譜、オワケが天皇に仕え、国を治めることを助けたことを、この鉄剣にしるし後世に伝える、といったことが書かれていた。
 この解釈については歴史学者などさまざまな分野から意見がでた。ここで紹介したいのは江上波夫氏の考えである。
 オワケがつかえたのはワカタケル、雄略天皇であろう。その児の名、その児の名と八代の系譜があり、親から児へ男系の名だけつづく、これは騎馬民族の書き方である。農耕民は土地の名、地名が重要だが、遊牧騎馬民族は父系男子の名を伝えた。アラブ、モンゴル、ユダヤでも共通である。
 主人公は杖刀人の首、天皇のボディガードのこと、近衛兵の隊長、側近として仕えたということであろう。大和朝廷の要人でもあり、間接的には天皇家が東北アジア、ユーラシアの典型的な騎馬民族出身の王族であることを表している。
 大和朝廷、そして天皇の過去の姿がこの鉄剣に浮き彫りにされているというのだ。
 オワケがのち膳氏を名乗ったのではないかという説もある。被葬者のなぞはまだ闇の中といったところだ。

*写真は丸墓山古墳から見た稲荷山古墳、この古墳からでた武人埴輪


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