奥武蔵 古代史ノート

武蔵国や常陸国・霞ヶ浦周辺の古墳や史蹟めぐり

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  (笠間市泉)

 桜の愛宕山を訪ねたのは30数年前だった。山頂から下界を眺めると常磐線の電車が箱庭を走るようで印象に残っている。
 久しぶりでのぼった天狗の山、愛宕神社の不思議に感じ入った次第である。
 案内によると、祭神は火之迦具土命、平城天皇大同元年(806)徳一大師によって開山創建されたと伝える。
 徳一という人は筑波山中禅寺(つくば市)西光院(石岡市)佐竹寺(常陸太田市)など常陸国内で多くの足跡を残し、会津・恵日寺で没したとされる。境内には徳一を顕彰する宝塔が残されている。ところが、徳一研究者によると、茨城県内関係寺院38あるそうだが、この愛宕神社はそれに含まれていない。それでも宝塔が建てられているのはどういうことか、今後の課題だ。
 その時代、神も仏も一緒にまつられていた。神仏習合の時代は江戸時代までつづく。そのころ、旧密蔵院が支配していたが、明治になって、愛宕神社が成立する。拝殿にはこわい天狗の面が参拝者をむかえる。
 本殿の背後、急な石段をのぼると飯綱神社、その後ろにご神体が入るという六角堂が鎮座する。手力男命を祀る飯綱神社、その霊が六角殿に入っているというのだ。
 岩倉の上にたつ六角殿、なんとも異様だ。江戸時代にはあったそうだが、いつ造られたか不明だそうだ。青銅製の菊のご紋の扉、六頭の象が屋根を支え、その上に鳳凰があたりを睥睨している。周囲をとりまく十三の天狗の石の祠、12月の悪態まつりには天狗に扮した住民がここを舞台に乱舞するという。
 この天狗については、幕末の国学者・平田篤胤が『仙境異聞』(岩波文庫)で紹介している。天狗の修行を治めた少年の聞き書きである。江戸・浅草まで飛んでいったなんてはなしもある、ドキュメントでもある。
 この飯綱神社が式内社・夷針神社だと主張していることだ。いはり、いしみとも読む。『新編常陸国誌』は愛宕山が本物だとするが、茨城町大戸にある神社がこちらが式内社だともいう。夷針がどんな神かも不明、いずれ探ってみようと思う。
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