奥武蔵 古代史ノート

武蔵国や常陸国・霞ヶ浦周辺の古墳や史蹟めぐり

古代遺跡

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 渋川市の金井東裏遺跡の火山灰下から古墳時代の被災者が発掘され注目されたのは2012年の12月。よろいをまとって前のめりに倒れた状態で発見された。さまざまな研究が進み、8月にシンポジュウムが開かれた。
 榛名山の6世紀初めの噴火で遺跡が埋まり、現代によみがえった貴重な遺跡だ。
 この遺跡からはよろいをまとった古墳人と首飾りの古墳人、幼児、乳児の4名、ほかの被災者の遺骨、馬の足跡などが明らかになった。
 よろいをまった古墳人は前のめりにうつぶせの状態で発見された。163センチの男性。CTスキャンなどから、頭に冑をかぶり、小札甲というよろい、内部に骨製小札を着けていた。韓国ソウルの夢村土城で同じようなものが出土しているそうだ。この土城はソウル東部漢江左岸、オリンピックスタジアムちかくにある。石村洞積石塚古墳群もこの近くだ。2〜4世紀、百済発祥の地ともいわれる。
 ストロンチウム分析によると、その人物の生育地がわかるという。古墳人は長野県伊那谷地域から、馬の飼育技術をもって毛国に来たのではないか。渡来系の性格を帯びているらしい。
 古墳人の近くから首飾りの古墳人もみつかった。143センチの女性、30代らしい。くびに70個のガラス玉、12個の管玉など装飾、古墳人との関係は不明。面白いことにこの女性はストロンチウム分析では在来の渋川周辺の生まれではないかとみられている。乳幼児、いずれもこの周辺の生まれであろうという。渡来系の人と在地の人が一緒に住んでいたことがわかったことは大事だ。日本人の形成にかかわることだからだ。
 調査はほんの一角である。火山灰はこの毛野国一帯にふりそそいだ。さらに多くの古墳人の出現を待ちたい。

*写真上が古墳人の発掘現場、今は埋め戻されている。下が古墳人レプリカ、頭が右側
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イメージ 2 群馬県渋川市主催の「榛名の噴火痕跡山巡りツアー」に参加した。講師は早田勉・火山灰考古学研究所所長。榛名山の二ツ岳周辺をめぐり、噴火の様子や火山灰の状況を検証する。二ツ岳山麓から伊香保温泉までの六キロほどの行程。
9:20 渋川市役所を市バスで出発
10:00榛名湖近くヤセオネ峠付近から徒歩で山麓へ
10:34オンマ谷風穴到着。カルデラ火山の噴火口。溶岩がかたまり、あちこちに空洞ができている。この付近から地中のマグマが噴出、火山灰や噴煙となって降り注いだものだ。富士山の愛鷹山のように、山腹から噴火したようだ。二ツ岳山頂雄岳、雌岳は溶岩ドームだった。深緑の森にひめはるせみの鳴き声がやかましい。まゆみの原からオンマ谷をぬけるまでののぼりがきつい。
11:59むし湯跡。江戸時代まで噴気がでていて、湯治を楽しむことができたらしい。
12:10もみじの広場に到着。昼飯。二ツ岳を約半周したことになる。
13:00県立伊香保森林公園管理棟を出発。紅葉橋から伊香保温泉街へ。
14:15三美ケ丘自然公園。噴火物の検証。五世紀前後の噴火の様子がわかる。
15:00渋川市役所着。解散。

  二ツ岳の噴火は5〜6世紀にかけて3回認められるという。5世紀の榛名有馬火山灰、6世紀初めの大規模噴火の二ツ岳渋川テフラ、6世紀中頃の二ツ岳伊香保テフラの三度。火山灰の層がくっきり違うのだ。
 甲を着た古墳人が金井東裏遺跡から出土した。黒井峯遺跡も火山灰の下から現れた。榛名山東の遺跡は火山灰によって保護され、現代によみがえった。その時期が火山灰によって明らかになったらしい。いずれ、このあたりの遺跡をたずねてみたい。
 御嶽山の噴火、ハワイ島の溶岩流失、グアテマラの噴火、恐ろしい。榛名山が爆発したらどうなるか、近くに伊香保温泉があるだけにこわいことだ。富士山も同様、やはり備えははきっちりしておきたい。

*写真は㊤二ツ岳㊦オンマ谷風穴

埼玉県2例目の蛇行剣

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                                           (埼玉県坂戸市)
 埼玉県で2例目の蛇行剣が見つかったということで、坂戸市へ行ってきた。上の写真でわかるとおり、中央部がくの字形にまがっている。これが蛇行剣といえるか、ちょっと疑問が湧いた。
 坂戸市入西の農家にあった円墳、入西石塚古墳から出土したという。昭和31年ころ、当主が古墳をこわし、土を転用しようとしたときさまざまな副葬品がでてきたそうだ。数年後、厳重にくるみ別の穴に埋めたという。平成27年、市の調査により、保存措置がなされ、その過程で蛇行剣が明らかになった。
 副葬品は次のように多い。大刀、蛇行剣、鉾、鉄鏃、冑、板錣(いたしころ)、短甲、頸甲、珠文鏡、乳文鏡など。
 考古学者の北山峰生氏はつぎのように述べている。
 蛇行剣とともに小型の銅鏡が出土するケースが多い。5世紀ころ、銅製品を入手できるのはその地域の有力者。4世紀から5世紀にかけて、銅剣から実用的な鉄刀に変わる時期、剣は儀礼的な宗教的シンボルになってくる。蛇行剣の用途はまだ謎めいているが、さらに出土するようになれば、新たな機能がわかるようになるかも知れない。
 入西石塚古墳からも、蛇行剣と銅鏡がセットででてきてる。北山氏の説では、やはり蛇行剣なのか。疑問をていした筆者がまちがいか。ここで東松山市の岩鼻古墳で出土した蛇行剣も、比較の意味で見てみよう。こちらはきれいに蛇行して一目でわかる=写真下。

 入西石塚古墳の出土品は7月に坂戸市文化会館で公開された。

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                                        (静岡県沼津市東熊堂)

 JR沼津駅から車で北へ10分ほどのところに高尾山古墳がある。全長62㍍の前方後方墳である。道路工事がきっかけになり調査、出土品などの貴重さから、保存への取り組みがなされつつあるようだ。現状は写真のような状態である。いずれ古墳公園のような形になれば幸いである。
 副葬品から古墳時代初期のもののようだ。古墳築造は西暦230年、埋葬は250年ころと考えられている。調査によると後方部の舟形木棺周辺から破砕鏡(上方作系浮彫式獣帯鏡=写真下)1面、勾玉、鉄槍、槍鉋、鉄鏃など出土。畿内で王権が成立する前後にここ駿河湾地域に大きな地方権力があった。それをかたるものがこの高尾山古墳ではないか。
 この古墳が長い間どうして破壊されずに現在まで存在しえたか。それは、前方部に熊野神社、後方部に高尾山穂見神社が鎮座していたからだ。両社がいつまつられたかは不明。昔の人は神社を破壊しようなんて考える人はいなかったに違いない。
 伊豆半島のつけねあたり、『和名抄』には、茨城という地名がある、そして大北横穴群から「若舎人」と刻んだ石櫃が見つかっている。常陸国防人に若舎人部広足がいる。
 伊豆半島と茨城がどうつながっているのか、知りたいものだ。
 なお、これらの古墳からの出土品は沼津市文化財センターで見学できる。

*写真㊤手前南側が前方部、奥が北側後方部にあたる。現在は工事中のようだ

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 ふもとの鳥居をくぐり急坂をしばらく登っていくと社が見えてくる。雨間近のどんよりした午前、だれも登る人はいない。怖いくらいの山だ。かさかさ動くものがいる。熊かなとどきどきしたが、猿であった。やしろを守ったいるのであろうか。山頂の本丸跡(写真左)は標高460㍍、好天ならば眺望はすばらしいときく。
 天正18年(1590)六月、後北条氏照が支配する八王子城は前田利家、上杉景勝連合軍によって落城。ついで小田原城も落ちて豊臣秀吉の天下となる。
 この八王子城での戦いは壮絶なものがあったらしい。城に籠もる数百の兵士、前田・上杉の数万の戦闘、勝敗は目に見えていたようなもの。本丸跡近くの松木曲輪で防戦していたのが中山勘解由家範、その戦いぶりをみて前田利家は助命しようとしたという。それを聞き入れず、長男とともに自刃したという。その前、次男三男は脱出させている。氏照は当時、小田原城にいて後に自刃している。家範の墓は出身地の埼玉県飯能市、能仁寺にある。
 徳川家康は勘解由家範の戦いぶりを聞き、そのむすこ二人を捜索させ召し抱えるのである。中山照守、中山信吉である。
 照守は馬術の名手、その後の黒田直邦は上州沼田城や上総久留里城を治め、墓は飯能市の多峯主山にある。
 信吉は家康の信任厚く、幼い水戸藩主頼房を守り、初代水戸藩附家老として初期の水戸藩の基礎を固めたとされる。頼房の次の藩主、光圀を選んだというのも、信吉の慧眼を示すものといえようか。飯能市の智観寺に葬られている。信吉は高萩市あたりを所領していたことから、高萩市と飯能市は、現在友好都市として交流をつづけている。
                           ◇
 八王子城は天正15年(1587)ころ築造がはじまり、天正18年(1590)落城の短い命運をたどった山城であった。本丸跡よりも、むしろ城山川沿いの居館のあった御主殿跡あたりの様相が興味をひく(写真下)。庭園や各種建物跡などが調査によって少しずつ明らかになりつつあるようだ。現在調査中である。出土品の中でも、ベネチア製のレースガラス器など珍品があったそうだ。鎌倉幕府は中国貿易で莫大な財を蓄えたとも言う。シルクロードを通ってもたらされたものであろうか。
 侍たちが詰めたという曲輪跡、虎口、大手門や古道、落城の際婦女子の血で染まったという御主殿の滝など当時の面影をたどることもできる。国指定史跡、これからも注目していきたい。
 ちなみに、筆者は茨城県出身で飯能市在住である。  イメージ 2

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