奥武蔵 古代史ノート

武蔵国や常陸国・霞ヶ浦周辺の古墳や史蹟めぐり

古墳

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                                               イメージ 2  (熊谷市大字箕輪字北廓)
 
 古墳の表情は、おのおのさまざまだ。墳頂に立つと、民家が古墳のきわまでせまり窮屈そうだが、草刈りされたばかりのようでうねるくじらの背のようだ。
 発掘されていないので内部の状況は不明だ。外形だけ測量したようだ。全長74㍍の前方後円墳、後円部高さ5.5㍍、前方部高さ6㍍である。周辺から出土した土師器や土器から、6世紀中ごろの築造だろうと推定されている。さきたま古墳群の将軍山古墳や新観寺古墳とほぼ同時代だ。
 北に荒川、その広大な河川敷、その向こうに赤城山や日光連山、そのふもとに控える毛国の強大な権力、東にはさきたま古墳群の一大勢力、とうかん山古墳の被葬者には微妙なバランス感覚が必要だったのではないか。武蔵北部の防衛を任せられた彼の力量が、この古墳に表されているのではないか。
 大里行政センターから2キロ南下した坂をのぼりつめた左側民家4,5軒うしろにある。車ではよほど注意しないとわからない。民家の背後からつきでた後円部をみつけ、やっとたどり着いた。交通事故には気をつけたい。後円部にまつられたお稲荷様のとうかから、とうかんとなり、とうかん山と言われるようになったという。
 
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                                                (川越市富士見町33−1)
 
 
 周囲42メートル、高さ5メートルの円墳と案内板に表記してある。周溝が確認されているという。6世紀のもののようだ。墳頂に登ると、富士浅間神社が鎮座している。本殿裏にまわっておどろいた。溶岩でできた3メートルほどの擬似富士山がそびえていたのだ。その中に浅間様がまつられているようだ(写真下)。2匹の猿がおまもりしている。富士塚とよばれるものだ。その背後に1メートルほどの穴が地面にあいている。火口を模したものだ。江戸時代の富士山信仰の名残であろうが、ここまで念入りに造られていることに改めて感慨あらたであった。富士は不死につながる、そんなことを、どこかで読んだように思う。
 
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 国道16号の斜め向かい、北東400メートルほどのところにあるのは愛宕神社古墳(川越市富士見町21)。東西30,南北53メートルの歪な円墳。高さは6メートル、幅6メートルの周溝が確認されている。6世紀中葉のものだという。
 
古墳の下に仙波河岸史跡公園がある。新河岸川の舟運盛んな時期、川港として賑わっていたという。この古墳は1500年、時代の盛衰を見てきたに違いない。

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                                                      (さいたま市指扇)
 
 
 運転免許を取り立ての頃、埼玉県から霞ヶ浦の実家へ帰省するとき、国道16号をよく使った。とりたてで、高速運転がこわかったから。旧大宮市の埼玉栄高校前をすぎると、すぐ大塚古墳という交差点を通る。ここの近くに古墳があるんだ、ハンドルをにぎりながら気になっていたことだ。やっとその古墳を訪ねることができた。
 底辺21×25メートル、高さ4メートル、墳頂部は9.5メートル四方の方墳だそうだ。古墳時代末期のものだという。昭和33年に埼玉県指定史跡。とはいえ、御覧の通り草ボウボウ、残念なかぎりです。発掘調査してないので、外観をみて想像しなければならない。この現状では、ちょいときびしいね。
 近くには琵琶島貝塚、五味貝戸貝塚があり、縄文時代からこの地にひとが住んでいたことがわかっている。     
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 方墳について付け加えておきたい。中国では、秦漢時代にふつうに築造されていたという。高句麗や百済でも積石塚、土塚として方形に墓をつくっている。日本では4世紀から7世紀にかけて造られる。7世紀以降、前方後円墳が造られなくなると、巨大化が顕著になる。用明天皇陵、推古天皇陵が方墳である。埼玉県内では川越市の三変稲荷古墳、小川町の穴八幡古墳、関東では1辺80メートルの巨大古墳・岩屋古墳(千葉県、竜角寺古墳群)が知られている。
                                                          (桶川市川田谷)
 
 埼玉県を分ける荒川の広大な河川敷を西に、かつては紅花を産した田園のなかに熊野神社をのせて古墳は築かれている。昭和59年の調査では直径38メートルの円墳、周溝が16メートル確認されている。40メートル弱のそれほど大きな古墳ではない。
 昭和3年(1928)ころ、熊野神社の拡張工事のさい、墳頂部を削ろうとしたら大量の粘土がでてきたという。そのなかから副葬品がでてきた。周辺のひとがそれを拾い集め、保存してきたようだ。考古学者は、この中に割り竹形木棺があったのではないか、そこに副葬品があったのではないかと推測する。現在は行イメージ 2田市の県博物館に保存されている。複製品が桶川歴史民俗資料館に展示してある。
 この副葬品がすごい。硬玉製勾玉4、瑪瑙製勾玉2、同棗玉1、石釧、紡錘車形石製品、筒型銅器などなど。さらに、銅鏡や鉄刀や鉄鏃などもあったのではないかといわれている。当時のことで、分散してしまったのではないかと思われる。それにしてもこれだけのものが残されたのだから、よしとしなければなるまい。一時は国宝になったのか、現在は重文に指定されている。
 筒型銅器や玉類、石製品など、これらの出土品は畿内の古式古墳と共通するものがあるという。それらのことから、4世紀後半に築造されたのではないかと推測される。
 この荒川流域にヤマト王権とつながりを持つ豪族がいたとしたら、どうであったか興味をよぶ。このあたりで入間川が西に遡上する。この流域では牛塚古墳など川越市にいくつか古墳群が点在するぐらいなものだ。その先の日高市や飯能市は古墳空白地帯といわれてきた。熊野神社古墳の主がなんらかの影響をふるっていたのであろうか。
 熊野神社古墳の北、太郎右ェ門橋のふもとあたりにひさご塚という前方後円墳があったらしい。資料館に埴輪2体展示してある。この北に原山古墳群が広がっている。
 
       *                 *              *
 
 巨大な古墳ではないが、出土品などから推測するとこの地域の有力者のひとりが葬られていると思われる熊野神社古墳。右上は社殿わきに建立された「国宝出土品之碑」、周辺の人々のあつきこころがわかるようだ
 
 
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                           (埼玉県朝霞市岡2丁目)
 墳丘の裾に立つと、視界がひらけた。荒川本流に新河岸川、黒目川が合流する広大な河川敷がひろがる。右手には三角形の直線美をみせる外環道の幸魂大橋、対岸にはさいたま市副都心部の高層ビル、東京近郊の典型的な風景だ。
 柊塚(ひいらぎづか)古墳。全長72メートル、後円部径48メートル、高さ8メートル、前方部の長さ18メートルの前方後円墳である。前方部がやや短い、ホタテ貝式古墳に近いかな、そんな感じがした。6世紀前半の築造だろうとされる。一部削られ完全な形ではないが、周囲の整備とともに、きちんと管理されている。
 後円部に木炭槨と粘土槨の2基の埋葬施設があったそうだ。木炭槨の上から家型埴輪、土師器、周りに掘られた濠から馬形埴輪、人物埴輪、円筒埴輪などが出土したという。近くの小学校には一夜塚古墳があったそうだ。むかしはいくつも古墳があったそうだ。根岸古墳群と呼ばれていたという。開発という美名のもと、一夜塚をはじめ大部分破壊つくされ、この柊塚古墳だけが残ったそうだ。ほんとに貴重な古墳である。武蔵国南部では最大級の古墳であろう。
 近くの中道・岡台遺跡では弥生時代の壺が出土している。そこには舟が描かれていた。荒川流域や東京湾にでて漁をしたり、交易をしたかもしれない。そんな古代人の生活の息吹を思わせるものだ。あるいは、かれらが遠く西の方から黒潮にのってその舟でやってきたのかもしれない。さきたま古墳群では石室に房州石を使っていたことがわかっている。古墳を造るのに、内房から海、川を利用して石材を運んでいたのである。舟がどういう風に使われていたのか、それを考えるだけでも楽しいものである。
 
*柊塚古墳の後円部。左手に荒川の河川敷がひろがる。
 
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