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第一部の 始まりです。 MZ誕生については、いろんな形で伝わっているが・・事実に反する事もあります。 『伝説は、後から作られる』の諺もある如く、事実が別の形となって、違う内容で伝わって行く場合もある。 MZの成功は、努力だけでなく、何らかの運・宿命的な要素・・があると 考えざるを得ないと思っています。 パワーが有っても、時流が付いて来なければ・・。逆に時流に乗れば、予想外の成果を得る事もあるでしょう。 今 思い起こせば・・、例えば、MZの発売が、一年早く、或いは一年遅かったら、成功したか、どうか ?。 また、職場環境、人材的にも PCを作ろう・・と、人々の輪(和)の力が 弱かったら、成功したか、どうか ?。 俺は、これを『 種々の条件・必然・偶然・・が、相まって、ビジネス・ウィンドウが開く・・』と言っている。。 お話は、少しさかのぼり・・、S社(当時は、H電機)への入社の前後から、話を 始めることにしましょう。 さて、時は『神武景気』の頃、皇太子ご成婚と、東京オリンピック開催を数年後に控え、好景気の時代だった。 当時、大学の工学部には、電気関係で強電と弱電の分類で、電気工学科、通信工学科の二つがあった。 白黒テレビ・・家電製品・・の普及が始まり、時代の要請と電子立国を目的に、一部の大学で、第三の電気系、 電子工学科が 新設される動きにあった。 俺は、子供の時から、世間で言われた言葉 『ラジオ少年』 そのモノで、ラジオを作ったり、修理をしたり、 アマチュア無線機を作ったり・・、将来の進路は、テレビ・ラジオなど通信・放送関連の仕事と決めていた。 高三の時、神戸工業(今の富士通テン)から、初めて、トランジスタラジオが発売された。 それまでの1R5,1T4,1S5等のミニアチュア真空管のラジオに比べ、圧倒的に小型・軽量になっている。 それを見てビックリ、此れからは、半導体の時代・・と思った。 将来は、半導体・電子機器を作る仕事に・・、 エレクトロ二クス・エンジニアを目指し、デキタテ・ホヤホヤのの電子工学科 第一期生として入学した。 そうそう、当時 小柄で 可愛いくって、知的な女性を 『トランジスタガール』と 呼んでいたなぁ〜。 今 流行の『萌え・メイド』とは、少しイメージが違うなぁ・・。その時々の『感性』の変化でしょうかねぇ。 東京オリンピック開催年の春、教授と相談し、教授推薦の企業の中から、希望する会社を選ぶ事になった。 俺は、あまり関西から離れたくない、H電機で良いだろう・・。 暫くして、H電機から面接の連絡があった。 H電機に出向き、講座と卒研の事を聞かれた・・、下宿に帰ると『サイヨウ、ナイテイ』の電報が来ていた。 最後の夏休みを返上し 会社実習。カラーTV研究室で高圧発生のフライバックトランスの設計を命ぜられた。 当時、白黒TVの普及が始まったが高価であった。まして カラーTVなんて、通常では買える代物ではない。 カラーTV用ブラウン管に、高圧4万ボルトほどの電圧を印加していた。 そのトランスの設計をするのに、 フェライトコアの 周波数特性、磁束密度・・などの電磁気理論だけでなく、 使う絶縁材料・耐熱など、 かなり勉強になった・・と言うより、文献を 読みまくった感じ・・。 ハードな会社実習だった。 < つづく > |

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