全返信表示
[ マンボウAKIRA ]
2019/6/30(日) 午後 10:52
リフトバレーでの農作業風景
ケニアの自然
[ よし ]
2019/6/3(月) 午後 10:41
リフトバレーでの農作業風景
ケニアの自然
[ よし ]
2019/6/1(土) 午後 11:29
リフトバレーでの農作業風景
ケニアの自然
[ まさ ]
2019/5/23(木) 午後 8:37
[ なか ]
2017/8/9(水) 午前 8:49
薩英戦争と斉彬の遺産
無題
[ トルコ観光旅行は安全で良かったよ ]
2017/3/31(金) 午前 4:36
薩英戦争の結果はイギリス本国に報告されました。
ビクトリア女王は交戦になるのではないかと懸念していたことが現実となり、英国議会の開会挨拶の中で、鹿児島市民に多大な被害を与えたことに対し遺憾の意を表明しています。
イギリス国内においては、英国艦隊の行動を批難した住民の抗議集会などがあり、各地で批難の決議や書簡が政府や報道機関に寄せられています。交戦時に砲台を壊滅する必要はあっても、市街地を焼き払い、一般市民に多大な被害を与える行為は許せないとの声であり、人道的な立場からの深い同情の念が示されたものでした。
当時のニューヨーク・タイムズ紙は
「この戦争によって西洋人が学ぶべきことは、日本を侮るべきではないということだ。彼らは勇敢であり西欧式の武器や戦術にも予想外に長けていて、降伏させるのは難しい。英国は増援を送ったにもかかわらず、日本軍の勇猛さをくじくことはできなかった」と評した。
本国のイギリス議会や国際世論は、戦闘が始まる以前にイギリス側が幕府から多額の賠償金を得ているうえに、鹿児島城下の民家への艦砲射撃は必要以上の攻撃であったとして、キューパー提督を非難した。
のぞいてみたくなりました



