相模湾 海から見る風景

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鎌倉郷土芸能大会

鎌倉郷土芸能大会
鎌倉郷土芸能大会が駅前の生涯学習センターで開催され、観覧してきた。
先日散歩の折、八雲神社に寄った際、小坂宮司と立ち話、この大会で鎌倉神楽などが披露されると紹介された。
 
宮司とは、これまでいろんな話をしてきた。最近は、「鎌倉八雲神社の漆部氏姓」ブログで紹介した通りです。しかしその後の調査は進んでいないが、ブロ友のお蔭で、貴重な情報が寄せられるようになった。

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  甘縄神明宮を和銅3年(710年)に創建した漆部氏豪族染谷時忠、現在その神社を兼務社として管理する小坂家。一族が出会っているとしたら1300年の時を超えて甦った縁と言えます。
何故小坂姓を名乗ったか、源義光と出会う前は何処にいたのかなど宮司としても興味があるようだ。
 
鎌倉神楽を見る。
「鎌倉神楽」は湯立神楽とも言われ、釡に湯をたぎらせ山飾りを立て、舞人はその「山」の内で舞を行います。四柱がたてられ、五色の紙垂(しで)を挟んだ縄が張られ、斎場が設けられている。それを「山」という。

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「山」は神の依り代であり、そこで神と舞う人とが一体となって神楽が奉納されます。
鎌に湯をたぎらせ、笹に煮立った湯を浸け、飛沫を回りにふりまける。これに当たったものは無病息災が得られるという。
鼻くそつけた餅を客席に投げる場面もあった。これを拾った人は、縁起が良いと言う。

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お面をつけた舞人たちの鼻くそをつけるしぐさがおもしろい。餅を子供たちに向けて投げるがよくコントロールされ、子たちも奪い合いとなる。時々、投げるときにフェイントかけてあらぬ方向に投げるから会場は大笑いに包まれる。

法被姿の参加者の幅広い年齢層は、郷土芸能を継承しようとする力強い意志を感じた。


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光明寺お十夜鉦や太鼓

光明寺お十夜鉦や太鼓
すっかり涼しくなって過ごしやすくなってきました。当地方にとっては、実りの秋の風物詩となっている光明寺のお十夜法要があった。
今年は、大門が修繕用シートで覆われていた。先の24号台風による瓦破損被害によるが、猛暑から一転スーパー台風の波状的来襲の今年を象徴しているようです。
 
明応四年(1495)の十月、光明寺で「十夜法要」を行うことを勅許された。以来五百余年、戦国時代の打ち続く戦乱の中で、一日も早い平安の祈りを込めて十夜法要を勅許したといいます。
 
お十夜のとき必ず聞こえてくる太鼓の音、これは双盤念仏と呼ばれる歴史の古い念仏を称える形式です。大門の脇にやぐら櫓を組み、大形の鉦鼓二つを木枠につり、撞木で打ち鳴らしながら独特の節をつけて唱える念仏。激しくたたかれる太鼓の音と念仏が響く。私にとってはこれがないとお十夜とは言えない。
 
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日中法要のお導師が多くの僧侶や楽人、警護、詠唱講、お稚児さん達を従えて九品寺より練行列が行われます。
多くの信者が待ち構える中を行列が始まった。大門の下を潜って、太鼓の音が一層高く鳴り響く、ピンクの装束のお稚児さん華やかでかわいいお稚児行列、お世話する僧侶も今日ばかりは、腰をかがめて、小さな信者にご奉仕。


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笙を奏でる雅楽隊も続く、揃いの和服の婦人たちも鉦というか鈴(りん)を鳴らしながら御詠歌を歌いながら進む、百人を超える僧侶の列、在家の行列など長い長い行列が続く。

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信者たちが拝みながら見送る姿を見た。色とりどりの紙吹雪が舞う。皆こぞって拾う、経文が書かれていた。

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周りは、売店が並ぶが、いつもと変わらない。求める商品も決まっている。商品の良さは、例年購入しているから折り紙付き。
 
光明寺の門前市は、今でも鋤・鍬などの農機具、ざるなど竹細工品が、本堂の前に並ぶ。漬物屋が繁盛し、柿、食べ物類 焼き鳥、焼きそば、たこやき・・・・。それは賑やかなことこの上ない。

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鳥皮の屋台、いつもと売り子さんがちがう。今年は、多摩川ともう一か所のお祭りがぶつかってメンバー交代で応援に来たと言う。
 
和歌山の柿を商う人が、御詠歌の婦人たちに交じって何やら忙しそう。聞けば、和服の婦人が配送依頼を中途のままお金だけ払って立ち去ってしまったのだと言う。
歌や太鼓で舞い上がるいかにもお十夜の風景だ。
 
かくてお十夜の長い夜も太鼓の音とともにくれていったのです

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台風余話

台風余話
記録的な災害見舞われ続けているが、台風24号に続いて再び大きな台風が列島を襲おうとしている。またしても、急に列島に向かって曲がるコースとなっている。地球の気流の変化などの異常気象によると言う。
 
24号では、凄い風であったが、被害はなかった。神奈川県全体では、大きな被害を受けた。大規模停電が発生し、塩害による火災事故は続いている。
当日、台風は、風が激しく、家が揺れていた。あまりに強い風に家が壊れるのではないかと心配して目を覚ました。
ネットを見ると江の島の瞬間最大風速が、30mを越えていた。それに近い風が吹いていたのだろう。風が南から南西に変わるころ少し落ち着いて眠りについた。
 
   散歩で見かけた近隣の被害状況を上げてみる。
庭木が塩害で枯れてしまった。車も塩がこびりついて、GSの洗車機でようやく塩を落とした。
近所では、庭木の枝が折れ、下に停めてあった車を直撃、フロントガラスを損傷。

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    光明寺の大門の瓦が、損傷していた。早速修理が始まっていた。さすがに大きな寺は対応が早い。
 
破損個所は、南南西の風が強かったが、海側ではなくその反対の山側がやられている。

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    聞くところによると「屋根の瓦等は風の正面ではなく風下側に吸い上げる力が働く。」と言います。10年ほど前の大風の時は、鐘楼の屋根も大きく破損したが、今回は、大門の風下側一部で済んだようだ。
光明寺の最大の行事「十夜法要」も迫り、緊急安全対策工事をしているのだろう。
 
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先日の丹後半島の旅の際に、古民家をいくつか見たが、100年以上の古建築が、こういう災害にもめげずに残っている。日本海は北風をもろに受けるから、その強さは、相模湾に面した我が家とは比較にならないだろう。激しい風雪に耐える日本の木造建築の凄さを感じる。

木造建築が案外風に強いことを再認識したが、早く地球の気流の変化などの異常気象が収まることを願いたい。

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へしこは海人族からの贈り物
鯖のへしこをご存じだろうか。焼きよし、茶漬けよし。刺身も旨い。
丹後の旅で、宿泊した宮津の老舗旅館一押しのへしこを紹介され、この旅一番の土産にした。
 
イメージ 1へしことは魚の糠漬けのことで石川県から鳥取県【主に福井県】、の日本海沿岸地方で生産されており、魚の糠漬けにはいろいろな魚が使われます。
京都府内では、丹後半島の先端、伊根町の舟屋で有名な漁業のまちで、昔から保存食として作られ、食されています。
 
 
へしこの名前の由来は様々だが、漁師が魚を樽に漬け込むことを「へしこむ」といったことから「へしこ」となった説が有力だ。
 
魚類の糠漬けの起源は古く、文献に依れば鎌倉時代より行われていたようです。
 
 

焼きへしこ
   適当な大きさに切り、弱火で焼く。我が家では、写真は三人分になる。
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脂がのり、香りがつき、身がしまっている。
そのまま食べて、おいしいのは無論だが、ほんの少し齧るだけで、味がしみ込んでいるから、ご飯が進む。

   箸でつまむと、ほどけた切り身は、ピンク色、如何にもしょっぱい感じがするのだが、それほどの塩辛さはない。

   西京漬けと比較すると、西京漬けのサバは香りは素晴らしいが、へしこは、更に味にコクがあって、深みを増し、どっしりとした味になる。この地方の気候がそうさせるのだろう。
 
写真は、今回購入した浜文さんホームページから借用


へしこのお茶漬け
   焼きへしこの残りをお茶漬けにして食べている。身をほぐして、熱いご飯の上に乗せ、熱いお茶を注いで下さい。
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のりや三つ葉などをトッピング
 
酒も進むことは間違いないし、近所の越前そば店で、へしこの刺身を肴に日本酒を楽しんだのが最初であった。からすみを薄くスライスして、酒の肴にするが、あの感触、食感によく似ている。
 
薄くスライスした刺身が旨い。燻製のようにしまった切り身になっていた。
これが家ではできない。薄く切り分けることができない。ほろりと身が解けてしまうそうだ。
 
 
    海人族は、日本海側を出雲、丹後から若狭湾に入り,なお能登半島を北上した。「この丹後地方は、海人族が、大和王権と密接な関係を持ちながら、一つの王国を成すほどのまとまりを持って繁栄したという。」説がある。
海人族が日本海を北上し繁栄した地に重なるへしこ文化の広がりは、遠い海人族の祖先の知恵が残してくれた味のような気がした。

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海人族、浦島太郎のふるさと 
宮津は、京都府北西部、日本海若狭湾西部、砂州の天橋立が南北両岸にわたる市域を結んでいる。西廻航路の丹後随一の港町、「縞の財布が空になる」とうたわれたほど繁栄した。

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        宮津 街道の街並
 
丹後半島は、レンタカーで回りました。これまでの日本人とは何かを考える旅の続きとなります。

丹後半島には巨大古墳が多いが、故門脇禎二氏は丹後王国を提唱した。
「古墳時代に丹後地方を中心に栄え、ヤマト王権や吉備国などと並ぶ独立性があったと考えられる勢力を「丹後王国」と呼んだ。4世紀末頃から5世紀にかけてが最盛期で、6世紀中頃にヤマト王権による出雲攻撃に伴いヤマト王権の支配下に入っていったと推定している。」Wikipedia

これから回る丹後半島は、独特の文化歴史が濃厚に残っており、旅の楽しみであった。
 
元伊勢籠神社
さて、最初の訪問地は、日本の建国に貢献した海人族の長ともいえる、元伊勢籠(この)神社。大陸と大和王権の仲介役として大陸の文物の物流を担った。
元伊勢とは、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所。
昨年友人たちと訪れた大和長谷にも最初の元伊勢があり、偶然だが訪れていた。
 
本殿の印象は、端然とし、どっしりとしている。熱田神宮に似ている。清浄にして静寂、ピンと張りつめた雰囲気がある。

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 籠神社宮司である海部氏の系図は昭和51年に公表され、日本最古の系図として国宝に指定されました。その後代々伝世されてきた鏡2枚、後漢時代の息津鏡、前漢時代の辺津鏡も公開。
 
真名井神社
籠神社は、現在摂社になっている奥の宮の真名井神社が前身という。
籠神社本殿の裏にある真名井神社は、住宅街の奥、山すそにある。現在建て替え工事中、ほぼ出来上がった社殿の銅板屋根が輝いて見えた。
 
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    この本殿背後の磐座を見たいと願っていたが、工事中ではやむを得ない、縁がなかったと諦めるほかはない。
境内には2つの磐座(古代斎場)があり、中には2500年以上前の古代から祀られていると云われている磐座もある。最初に稲作が始まった地とみていた。写真は、ネットより拝借した。

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階段の下に、「真名井の水」があった。この水の周辺の雰囲気を味わえただけで良しとしよう。それほど深閑として、静寂な雰囲気を感じ取った。清浄の地のこの空気感が、素晴らしい。
 
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    一人の友人が空気感がちがう。これまで神社から受けてきた感じと大いに違うと言う。
真名井神社を後にして、天橋立を見下ろす坂道を歩きながら、もう一人の友人が、「神社は、心の問題、精神性がある」と言い始めた。「そのきれいさ随分感心した。日本神道は、すがすがしさ、清潔、身体に関しては潔斎清浄など、常に新しく清くあることなのではないかと想う。その意味で、この籠神社には大いに驚かされたと同時に我が意を得たりやと嬉しくも感じた。」
 
 
殆ど神社などには訪問したことのない彼ら、私の企画した丹後半島の旅に同行すると言い出し、少し無理強いかなと思ったが、意外な反応であった。
一生を通じて、物理学や数学を極めてきた彼らにとっては、籠神社の印象は衝撃的であったようだ。
「日本人は、清潔であること、質素だが、小ざっぱりしていることを大事にする。
神社にもこれを求める。むしろ神社はその権化というべきだろう。」
 
浦島(宇良)神社
伊根の集落に向かう途中、浦嶋太郎所縁の浦島神社に寄った。
この話は「日本書紀」「万葉集」「丹後風土記」にも記述が見られる。
「浦嶋子の伝説は、雄略天皇二十二年秋七月、浦嶋子は仙亀にひかれて海神の都にたどりつきそこで347年間、乙姫と共に暮らしたが淳和天皇の天長二年、再びこの地に帰って来た。」
天長2年(825)当時の丹後の豪族であった浦嶋一族の業績をたたえて小野篁を勅使として、宮殿を御造営されたと云われている。

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一人の友人が、神社の沿革を見て、「宇良とは、沖縄にある地名、おとぎの国とは沖縄ではなかったのか、衣装もどことなく似た感じがする。」と言う。
凄い発想、自然科学者の考えることは自由でよい。
 
さて、わたしの説は、「宇良とは温羅(ウラ)であり、桃太郎、吉備津彦に征服された鬼の温羅と同様、この地では、478年頃雄略王権に抵抗し、亡ぼされた土着の豪族宇良であり、347年後に再び甦った。怨霊の祟りと驚いた朝廷は、冥府を行き来する小野篁を勅使として派遣し、怨霊封じに社殿を建立した。」と推理した。

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    冒頭紹介した、古代「丹後王国」論のように、朝廷に拮抗する大国だったのならそんな話の一つや二つあっただろうと思う。
こんな自由奔放な歴史談義をしながら、丹後の悠久の歴史を偲んだ。
 
伊根の集落、日本海の魚
伊根の舟屋群は、観光地だが、私が30年ほど前に訪れたときは、食事をするところも少なく、遊覧船で回っただけで終わった。
今回はおいしい日本海の魚を食べたいがテーマ、岬の上にある道の駅 舟屋の里 伊根が整備されていた。ここでいろんなメニューが用意されている。
私と友人の一人は今日のおすすめ、「海鮮丼」とした。
生の魚は苦手な友人は、カンパチのあら煮定食であった。
この部屋から眼下に広がる湾の舟屋群を俯瞰できる、舟屋群の全体が見えて、これも壮観であった。
 
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海鮮丼は、カンパチ、マグロ、サケ、サバ、エビ、イクラなどが載っていた。カンパチが凄まじく旨い。シコシコして、甘みがある。さすがに伊根は、岸近くから一気に深くなる海底、ブリなどの養殖も盛ん伊根浦は古くからブリの好漁場として知られ,ここで揚がるブリは「伊禰浦鰤」、「丹後鰤」として珍重されただけある。

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カンパチのあら煮は、ボリューム、味付けともに凄まじいものであった。
食べきれないだろうと少し分けてもらった。タレが、砂糖の量がちょうどよい、私の好きな味付けであった。調理もよくする友人は、自分で荒煮の味付けをしているから極上の味付けにご満悦であった。私は、このタレをご飯にかけて食べることもある。

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