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昭和40年頃に撮影された写真と比べれば、他の商業地域と同様2階建の木造はビルに建て変わり、商店の多くも顔ぶれが様変わりしました。
それでもまだ、少ないとはいえ当時から続いている店も残っていて、昔馴染みの記憶が細い糸で繋がっているように感じます。
拡幅された道路に面す新しいビルの数々は、災害時に防火壁の役割を果たすのだそうですが、脇の道路を奥に入っていくと昔ながらの住宅地が広がり、昭和の戸建てや木造アパートが立ち並ぶ風景に出会います。
日興さんは創業昭和34年・・・ 今年で59年。
その奥は、いつ頃だったか建物が解体されてオープンテラス風に・・・
矢印の方向に路地があり「昭和の街」へ誘う。
解体跡地
奥のバイク置き場も解体跡地
伸びた植物
東中野を南北に貫く主要道路「山手通り」の下に地下鉄12号(大江戸)線や首都高速中央環状が造られるなどとは、昭和40年頃に商店街で買物をしていた庶民には想像すら出来ない大変革だったと思いますが、地上を歩いている限りはまだ当時からの時間がゆるく繋がっている感覚があり、懐かしい痕跡など見つけて安心することも。
あくまで既存の道路が拡幅されたのであり、大規模な開発によって新規の道路が造られたのではない点が大きいでしょう。建替えは所有者個々の事情により五月雨式というかバラバラに建て替えられるので風景の変化が徐々に進むのに対し、新規に道路が開通すると驚異的な速度で風景が変わりますね。
このムーンロード、かつての名称は「住吉小路」でした。
地図で見た印象だと、エリア全体で東西70m×南北50mくらいでしょうか。
以前よくお邪魔していた居酒屋さんも数年前に無くなってしまい、今後の推移が気になるところです。 |
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記事から10年も経つと、やはり記録しておいて良かったと思います。
過ぎ去った事柄は時間と共に風化して、折角の経験が無かった事になりかねません。今の自分は過去の蓄積で成立しているのに、忘却は恐ろしいですね。
限りある人生なのに同じ失敗を繰り返す事ほど不毛なことは無いですから、僅かかもしれませんが経験値は無駄にしたくないと思います。
まさに「紐づいている感情」にアクセスできるのは写真付きのブログならではかも知れません。手書きのダイアリーは再現性の点で弱いですからね。
こちらこそ今後も宜しくお願いします。

なんだか凄いところですね、東中野。中野坂上の駅は所用で度々利用するのですが、あそこからものの1〜2kmでこんなに違う風景の街が残ってるのですね・・・。昭和40年代からの建物が未だ多く残されているというのは郷愁があり懐かしさを感じますが、これだけの都市開発が進んだ都心部の中ではかなり異質な感じもしますよね。
シャンソンはお好き?の玄関も凄いことになってるし、この伸びた植物も思いっきり電線に絡まってますが大丈夫なのでしょうか??夜はまたどんな雰囲気になるのか、興味があります・・・
駐輪禁止の下の金庫が寝かされたような状態はかなりシュールな絵に見えます
2018/10/15(月) 午前 0:33
> りょうさん、東中野の西隣である「中野」にも古い飲み屋街の一角があったのですが、立退き・解体されマンションになりました。昭和の名残りも建物の寿命とともに終わって行くんですね。かつての賑わいも記憶の彼方、人間の老いにも似ています。
まったく、後戻りを許さない時間の経過というのは過酷ですね。
平成生まれの子らにはピンと来ないのでしょうが、僕ら昭和世代の者にとって自分が辿って来た街風景の記憶は個人史と直結していて、もちろん新しい世代にも同様の事象は起こるわけですが、昭和の木造建物と狭い路地の中で育った感覚は、その後の世代と大きなギャップがあるように思います。
シャンソンの店はこの日、ピアノの音が漏れ聞こえていました。
たぶん夜のライブに備えて調律していたんでしょうね。
2018/10/16(火) 午前 0:02
東中野、近いようでいて殆ど行ったことがありません。
知っているの(通ったことがある)は東中野銀座商店街くらいでしょうか。
昭和の残るこんなカオスな様相だとは…。
平成が終わると、昭和もまた一段と遠くなり古い歴史的風景となっていくのでしょうか。。。
[ まーりん ]
2018/10/20(土) 午後 7:06
> まーりんさん、中野の隣駅として昔から微妙な存在感だった東中野ですが、新宿から徒歩20分なのに生活者優先の住環境が心地よい街です。
早稲田通り沿いの業務スーパーも含め、自転車でゼヒ回ってみてください。
解体が進む飲み屋街、中野5丁目にも似た雰囲気ですがコチラは規模が小さいです。
残念なことに近年は寂れてしまったようで再開発も仕方ないのでしょう。
2018/10/20(土) 午後 8:35