早雲の旅

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宝塚プルーフ硬貨

東京駅の100周年記念Suicaは、デザインも良く欲しいと思っていたのですが、あの長い行列を目の当たりにして諦めてすぐに引き返しました。並んでいても買えなかったようですね。
 
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そういえば、宝塚も100周年だそうです。
 
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こちらのプルーフ硬貨は抽選で並ぶこともなく宅配で送られてきました。そういうやり方のほうが、スマートで良いと思います。
 
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三島(4)

三嶋大社の主祭神は「おおやまつみのみこと」(おおくにぬしの祖先)と「つみはやえことしろぬしのかみ」(恵比寿様)です。
 
鼠の夢
 
三嶋大社と言えば、早雲の「鼠の夢」が有名です。
 
北條早雲は三嶋大社へ参龍し、「私から七代、北條家があい継いで関東で権力を取れますように」と、まごころをこめて析ったのである。
 
早雲は翌年の正月二日の夜に夢を見た。広々とした平原に大杉が二本生えていた。そこへ鼠が一匹現れ、根もとからしだいに食いちぎってしまった。と同時に鼠は虎に変身していた。
 
夢からさめた。早雲はみずから夢判断を試みた。
 
「二本の杉は両上杉である。私は子年の生まれで、上杉を滅ぼすはずの者であるから、じきに杉を食い祈ってしまうだろう。これはつまり関東を滅ぼし、子孫永代にわたって、東国のあるじになることができるのを示した吉夢だ」と考え、おおいに喜び、ますます上杉征伐の計略をめぐらしたのである。
 
(以上小田原北條記(上):教育社 江西逸志子原著 岸正尚 訳 より抜粋)
 
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第一次国府台攻合戦の主戦場の戸定が丘歴史公園を散策してみました。
以下合戦の概要です。

北条軍(北条氏綱・氏康) × 小弓軍(足利義明、里見義尭、真里谷信応)

【結果】第五ラウンド北条軍の勝
  (北条氏は下総一帯を支配下におく)(小弓公方滅亡)(真里谷氏の家督は、信応から信隆へ)
  (小弓公方の遺臣が里見家に組み込まれた)

− 北条チームは、江戸川を渡河して、旧松渡城の台地上に布陣し、合戦に臨んだ。−

【第一ラウンド】足利義明、里見義尭、真里谷信応1万の軍勢で国府台に出陣
【第二ラウンド】古河公方(足利高基)の要請(義明討伐御内書)を受け氏綱・氏康は江戸城入場
【第三ラウンド】氏綱・氏康は2万の大軍で松渡城へ向け出陣
【第四ラウンド】北条チーム江戸川を渡河
【第五ラウンド】足利義明が北条軍の横井神助に弓で射られ戦死。
        里見義尭は安房に敗走。
        真里谷信応は北条方の真理谷信隆により家督を奪われ、追放

【アクセス】松渡城 => 現在の戸定が丘歴史公園(松戸駅より徒歩11分)
【参考文献】「国府台合戦を点検する」:千野原靖方著

油壷(3)

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油壷には、早雲ファンにお馴染みの新井城跡があります。
早雲の宿敵、三浦半島の覇者三浦道寸がサザエに蓋をするように立てこもった最後の場所です。

愛読書の司馬遼太郎氏の「箱根の坂」を読むと、
「関東大震災で地勢が変わってしまったが、早雲の時代は油壷を天然の濠として
断崖上に築かれた三浦の城は陸路とわずかに地続きしつつも島の上にあるようであった。」
と記述されています。

で、どこにあるかといいますと変なところにあります。
東大の大学院理学系研究科附属の三崎臨海実験所の敷地内で立ち入り禁止です。
中には入れません。残念です。

1枚目の鬱蒼と樹木が生い茂っているあたりが新井城跡になります。
(ややこしいですが,2枚目が油壷で4枚目が相模湾です。)

小田原(1)

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早雲と急襲部隊は湯元経由で、今でいえば国道1号の道ぞいでしょうか。
牛の奇襲部隊は大観山から聖岳へ向かう箱根ターンパイク
のコースで小田原へ入りました。

箱根の坂で司馬遼太郎氏は、早雲について
「若い頃は、どこかひねこびたところがないでもなかったが
今川範満を討ったときは五十六歳であり、
そのころから顔つきや身動きが少年のようになってきた。」
と言ってます。

早雲の小田原討攻めは六十四歳のときです。
銅像は、駅西口にあります。

東口は繁華街で小田原城へ続いてます。
東口からすぐのおしゃれ横丁の一角にこじんまりと
北条氏政・氏照と氏政夫人の墓があります。

お墓ぎらいの方は多々いらっしゃると思いますので
画像はUPしません。
関東大震災で墓所が埋没したので地元の有志の方が作られたものです。

「幸せの鈴」(地元の方と氏政、氏照の関係のエピソード)
墓所に置いてある箱の中に、鈴が入っています。
この鈴に願いをかけて持ち帰り、願いがかなったら、返しに来ます。
(探したんですけど、どこにこの箱があるかわかりませんでした。)

北条氏政、氏照は、領主としての教育をみっちり受けているので
秀吉の包囲網の様子をみてもはやここれまでと断念し、
相手は秀吉なので領民たちにむごい仕打ちはしないだろうと開城を決意しました。
それから城主氏直の代わりに切腹させられてしまいます。
氏政、氏照の二命により領民が無駄な苦労をせずに済んだことになります。

幸せの鈴が一杯になることが、ここに眠る英霊への、なによりの供養となるのでしょう。
そしてお墓のまわりにはたくさんの鈴が結ばれていました。

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